先般、アメリカの南部が巨大なハリケーンに襲われニューオーリンズの街が水没するというニュースが報じられ、何だか聖書にある”ノアの洪水”の物語を思い出させるものがありました。自然の破壊力の前では、世界最高の文明と言えども為すすべがない、人間の力の限界を感じさせるものでした。 もう何年前になるのでしょうか、ローマクラブの報告書が人類の未来を予見して話題になりました。人類は地球が許容できる人口数に近づきつつあり、今のままでは地球環境は破綻するというものでした。
今では人口も60億人以上になり、しかも大きな人口を持つ中国、インドがエネルギー大量消費型の近代化路線を走り、地球環境への環境負荷が急速に増大しています。
「”火宅の人”という言葉がある。自分の家が炎に包まれているのに、まだのんびりと夕食のごちそうに舌つづみをうっている。我々はその火宅の人のように、危機を実感することもなく、日々の快楽をむさぼり食っているいるのである。」(「気象変動の文明史」安田喜憲)
安田さんが述べるように、我々の鼻の先には”ノアの洪水”のように、荒廃した人類を罰するための自然の大異変を神が起こし、全てを壊滅させてしまうような危機が迫っているのかもしれません。私の子供の頃は手足が切れるような寒さを感じていましたが、最近では暖冬が普通でオーバーコートなど必要ではない冬になってきたと思いますし、一方では猛暑が続く厳しい夏が実感されることもあります。
これは地球が温暖化しているからなのかな、と思ったりもします。その原因については様々な論議がありますが、一つは化石燃料消費に伴う二酸化炭素の大気濃度の上昇だと言われています。原始地球の大気は大きな割合の二酸化炭素からなっていて、その温室効果で地表の温度は170度程度もあったと言われています。二酸化炭素の増加は確かに地球温暖化に影響しているのでしょう。
しかもこの傾向は一向に収まるという方向ではなく、加速度的になっています。地下に眠る化石燃料を掘り出し、燃焼させて二酸化炭素を大気中に放出するだけではなく、二酸化炭素を固定化する森林の破壊も急速に進んでいます。又食料増産のために地下水源の利用も進み、地下水位の低下、砂漠化の進行も報じられています。
南米チリーの沖合いにある絶海の孤島「イースター島」には巨大なモアイ像を作り出した文明がありました。しかし今では像は残っていますが、文明は滅亡してしまっています。何がそこイースター島であったのか、現在地球規模で起こっているような森林破壊のような環境破壊が行われた結果だと言われています。
自然=人間搾取系の文明は無限には拡大できない、必ず限界点に達して滅亡する。そのパイロットプラント的な状態ががイースター島だったのではと思われます。 我々は何処を目指しているのでしょうか、経済発展とは何を意味しているのでしょうか、人間は何のために地球を破壊しようとしているのでしょうか、豊かさとは何なのでしょうか、今こそその意味を考える必要があるように思われてなりません。
「大いなる都、バビロンは、 このように荒々しく投げ出され、 もはや決して見られない。 竪琴を弾く者の奏でる音、歌をうたう者の声、 笛を吹く者やラッパを鳴らす者の楽の音は、 もはや決してお前のうちには聞かれない。 ひき臼の音もまた、 もはや決してお前のうちに聞かれない。 ともし火の明かりも、 もはやお前のうちには輝かない。 花婿や花嫁の声も、 もはやお前のうちには聞かれない。 なぜなら、お前の商人たちが 地上の権力者となったからであり、 また、お前の魔術によって すべての国の民が惑わされ、 預言者たちと聖なる者たちの血、 地上で殺されたすべての者の血が、 この都で流されたからである。」 (「ヨハネ黙示録」18;21b〜24)
「神は死んだ」というニーチェの言葉で現代文明は幕を開けました。でも現代文明は今まさに破局点に向かって突き進んでいるように思われます。「ヨハネの黙示録」が語るように原理的資本主義者が大手を振ってのさばり歩き、科学万能の思想にとりつかれ、巷に争いは絶えません。今、まさに新しい文明モデルを構築することが求められています。自然との共生とはどういうことなのか、今ある価値観を捨てる勇気が求められているのだろうと思います。
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