男                                      

 「なぜ男が、しかもこんなに多く存在しているのだろう。男なんて世界に数人、いや一人でも十分用は足せるはずだ。それなのに、男はいたるところに存在していて、その行動もほめられたものばかりではない。ギルバートとサリバンによるオペラ「アイーダ」で、プシュケー夫人がこのように歌っている。『男はがさつ、男は無骨/男はみんなどこか変/男は下品、遊び人/自然が作った唯一の失敗作!』。現代の生物学は、まさにこの主張を裏づけるものとなっている。」 (スティーヴ・ジョーンズ「Yの真実」・化学同人)


 スティーヴ・ジョーンズの「Yの真実」を面白く読んだ。そもそもなぜ世の中に「男」と「女」がいるのかから始まり、男の弱点などを生物学的に記述している。第三章は「どうして男はハゲるのか」である。女性にハゲはいないことはないが、ハゲは男に多く見られる体型的現象だ。私もそうだがハゲはとても気になるものだ。旧約聖書の中に出てくるエリシャの話は知られている。エリシャはエリヤの後を次ぐ偉大な預言者なのだが、ハゲであったらしい。


 「エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上って行くと、町から小さい子供たちが出て来て彼を嘲り、『はげ頭、上って行け、はげ頭、上って行け』と言った。エリシャが振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。エリシャはそこからカルメル山に行き、そこからサマリアに帰った。」(「列王記下」2;23〜25)


 この文節をどう読むのかは難しいだろうが、単純に読むとハゲはそれほどまでに「呪わしい」現象なのかなと思ったりもする。
 日本でもそうだが、アメリカ人が植毛やかつらに使うお金は年間15億ドルにもなるという。ハゲを直す手段を発見できればノーベル賞ものだとも言われていた。先日も日経のオンラインニュースで「脂の酸化が脱毛を引き起こす、LIONが世界で初めて解明」などという記事が掲載されていた。Googleで「ハゲ」をキーワードに検索すると714000件、「育毛」をキーワードに検索すると792000件の項目がある。如何に「ハゲ」が気になる存在なのかが伺えるではないか。
 生物学的には男性は女性になりきらなかった存在であって、男性は放っておくと女性になってしまうので、そうならないように必死で努力しているのだという。”男らしさ”を保つ道は困難で、とても不安定なのもだそうだ。その結果の一つがハゲだという。この現象の詳細は未だ明らかではないが、男性ホルモンの受容体が関係しているらしい。毛根を調べるとハゲの人のそれには通常の三倍のホルモンが蓄積されているという。男が男であり続けるもは大変なことであって、それを怠るとすぐに生物学的通常体の女性に引き戻されてしまうというのだ。
 「歴史をみると、シーザー、ナポレオン、レーニンと男性的な人物はハゲだった。そして現在髪の毛に悩まされている人びとは、こう考えてみてはどうだろうか。ハゲは早すぎる衰えを表すものではなく、精巧で力強い男らしさをもっている証明なのだ。頭を触ってため息をつくのは、もうやめよう。輝く王冠に恵まれた幸運を、堂々と喜ぼうではないか」と「Yの真実」第三章は結んでいる。
 人類の歴史をみると権力や地位や富や名誉は、父から息子に継承された。そしてその過程で多くの血が流された。表層的見ると人間は男を決定するY染色体を後生大事に死守してきたかのように生物学的に見える。チンギスハーンに由来するY染色体は今や1600万人に広まっているという。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」ではないが、Y染色体は必死に自分のコピーを広めようとしているかに見える。しかしこのちっぽけなY染色体を持つことでの不利益は多いことが知られている。その一つが色盲だ。X染色体にこの欠陥は存在する。従ってX染色体を一つしか持たない男は色盲になる確率が女性の10倍にもなるのである。人間の社会では社会的存在として「男」は「女」より優位なものと考え、Y染色体が持つ意味が強く認識されてきたが、分子生物学的にスティーブ・ジョーンズは「哀れなY」の中にペーソスを見ている。決してY染色体は誇るべきものではなく、女性のために使いまわされボロボロになったジョーカーに過ぎない、女性のために奉仕を強いられただけなのだ。(「Yの真実」訳者あとがき)


 先進国に共通に見られるのは少子化現象だ。これは人間が本来備えていなければならない生物としての機能の喪失に関係があるようだ。意識的に子供を持たないということ以上に、生殖機能が環境汚染や社会的環境変化の影響を受け、その方向へと進まざるを得なくなっていることもあるのだろう。事実精液の中の精子の数がかなり減少しているとされている。子供を持つということは生物としての人間の最大の仕事ではないだろうか。人類の文明もやはり「盛者必衰」の原則から逃れることが出来ないのだろう。高度の文明に至ると滅亡への道を歩まざるを得なくなる。ここでは一歩立ち止まり、「性」とは何なのか、そしてどうあるべきなのかを真剣に考えなければならない。
 「ありまき」は「女」のみで子孫を作っている。しかし人間は「男」と「女」とが生物種として存続する為には必要なのである。男女同権だとか、性的差別の撤廃だとか互いが権利のみを主張しあうのではなく、自然の法則に戻ってそのあり方を考える、そんなときが来ているのかも知れない。