メディアコントロール                               

 「理性をもった人間は『必要な幻想』をつくりだし、人の感情に訴える『過度の単純化』を提供して、純真な愚か者たちを逸脱させないようにしなければならない。」(ラインホールド・ニーバー)

 小泉政権は発足5周年を迎え、それまでの短期に終わった政権とは対照的だ。今でもその支持率は高く、親友といわれるアメリカの現ブッシュ大統領とは対照的なものとなっている。この政権の表看板は「改革」なのだが、果たしてそれが支持率に現れるような成果を挙げているのだろうか。確かに今にも破綻しそうだった銀行が史上最高の利益を上げているようだし、曲がりなりにも道路公団は民営化された。しかし、「改革」はどんな目的でなされているのか、それが今ひとつ分らないところなのだ。景気は数字的には回復基調にあって、大企業はまれに見る利益を上げているようだから、これが目指したところであり、成果なのかもしれない。だがその改革の犠牲になった人は多いし、三万人を超える年間自殺者数は異常である。
 小泉流の政治は首記のニーバーのことばのとおり、極めて単純化された「フレーズ」で政策を語り、そのフレーズが浪花節的な「敵」を作る中で語られるのである。一方、メディアはそれを面白おかしく伝えることはするが、政権が目指しているところを解析し、その功罪について一般大衆が判断できるような情報を提供することには後ろ向きだった。国民の大半は感情と衝動に突き動かされて行動するから、政権のメディアコントロールは完全に成功していると言えなくも無い。
 あるアンケートの調査結果、小泉政権下の5年間に暮らし向きが「良くなった」という人はわずか18%しかいないのに、「悪くなった」という人は42%もいる。そして、「良くなった」人の大半が、それを小泉首相のおかげだとは思っていない(64%)のに対し、「悪くなった」人の殆ど半分(43%)が、それは小泉首相のせいだと思っているのである。
 こんな状況下においてすら高い支持率が維持されているのは、どう考えてもおかしなことである。


 「組織的宣伝は民主主義社会にとって、全体主義国家にとっての棍棒と同じ機能をもつものである。じつに好ましい、賢明な手法ではないか。」(「メディアコントロール」ノーム・チョムスキー)


 メディアが時の政権に利用される例には事欠かない。政権はメディアを使って大衆を誘導し実質的にコントロールしている。だから我々はあらゆる手段で、ことの真実をつかむ努力をしなければ、権力者に都合よく方向付けされるのではないだろうか。
 銀行は史上最高の利益を上げている。これは国家の金融政策で超低金利を続け、庶民に支払うべき金利を支払わず、ジャブジャブの日銀マネーを注ぎ込まれた結果にすぎず、ビジネスモデルの革新があったわけではない。一旦、金利上昇の寒風を受けたとき、果たしてこれらが維持できるのかは疑問である。 国家の財政も然りである。増税以外の解決の方策を知りながら、それをやれば純真な愚か者たちを混乱させ、自分の政権の維持が出来ない、と借金の積み増し政策に頼ることで、国家の財政の破綻状況を塗抹し、それを拡大してきた史上まれなペテン政権ではなかったか、よく考える必要がありそうだ。
 米軍再編に関して3兆円の負担を言われ、目を白黒させている三人!の戯画が新聞に出ていた。アメリカの懐は厳しい。日々にかさむイラクの戦費、皆はこれを知っているだろうか。