人類が釣りを始めたのはいつ頃のことか
                    4万年前のクロマニヨン人のゴミ捨て場からは
                          動物の骨で作られた釣針が見つかっている。 

1.釣り事始め

 わたしが初めて釣りをしたのは小学校三年生の時、戦時疎開で福岡県朝倉郡甘木町に住んでいたときでした。住んでいた家の裏に小川が流れていて、小さな魚(当時は名前も知らなかった)ハエが沢山泳いでいた。 門司から時々家族の住む甘木へ来てくれていた父が、1m程の釣竿を作ってくれ、釣り糸等仕掛けを取り付けてくれた。釣り餌は家の軒に作られたあしなが蜂の巣を落とし、中にいる蜂の子を使った。そして小さな橋の上から釣り糸をたらし、魚が餌を飲んだら引き上げるという簡単な釣りだった。でも結構楽しい遊びだった。
 行動範囲が少しずつ広がり、当時は大きな川に思えた小石原川でも釣りをしていた。ある時、急にウキが見えなくなり、あわてて竿を立てると今までの小魚とは違い、大きなフナがかかっていた。この情景はいまでも鮮やかに思い出せる。この釣果は遊び友達の羨望するものとなった。

 私の父は釣りには詳しかった。自分で竹を切ってきて釣竿を作り、海でも川でも大きな魚をものにして帰ってきていた。でも、私が同行したときには一度も魚は掛からなかった。場所が悪かったのか、潮時が悪かったのか、不漁の原因は何だかこれは解らない。
 少年時代の釣りはここで終わり、戦後門司に帰ってからは興味がラジオなど他のものに移って釣りから遠ざかってしまった。

2.釣り心再び目覚める


  社会人になってからは職場でのレクリエーション等で時々舟釣りを楽しんでいました。水俣の沖合い、天草の島々近くは観光釣りで有名なところで、早朝、又は夕暮れ時、豪快な太刀魚釣りが楽しめます。素人でも簡単に釣れるから、多くの人に親しまれているようです。釣りたての太刀魚の刺身は美味であり、又塩焼きにしても美味しくいただけるので、水俣市の湯の児温泉の宿泊客には人気があります。でもこの釣りには注意が必要で、太刀魚の大きな口の先端にある歯は剃刀のような切れ味があり、釣り上げた魚を外すときに誤って手を切ったりする。

 梅雨時になるとアジが産卵のために天草の島々の海に群れをなします。 これを釣り上げるのもなかなか興味深いものがあります。でもこの釣りは根気のいるもので、アジがたまたま回遊してきたときにしか釣果がありません。しかし、大きな群れに当たると、一時に300グラムから400グラムのアジが十数匹掛かり、引き上げるのが大変です。アジは口元が柔らかいので、無理をするとバレテしまいますから、用心深く引き上げねばなりません。 梅雨時になるとアジが産卵のために天草の島々の海に群れをなします。これを釣り上げるのもなかなか興味深いものがあります。

 夜明けとともに出漁して、午前中いっぱいが勝負といったところでしょう。潮時がありますから、毎日大漁というわけにはいかないようでした。又棚取りが難しいので、擬餌針を20本以上取り付けて釣りますから、針さばきも大変です。でも毎年梅雨の時期になると親しい友人に連れられて船出したものでした。 大漁の時にはご近所へお配りしたりと大変でした。

3.川釣りへ回帰

  川釣りから始まった遊びでしたから、再び川釣りに回帰し、熱中したものです。水俣川も今とは違い、中流域から下流域にかけて流れに変化があり、深い淵と瀬が連なっていて各所によい釣り場がありました。  春から初夏にかけてのハエ(オイカワ)釣りは楽しめました。早朝、瀬に上って来るハエをクリ虫を餌にして釣ります。婚姻色の美しい大型のハエを釣り上げるのはなかなかのものです。先調子のロッドで竿をしならせて釣り上げます。夕暮れ近くになると、瀬に立ち込み、毛ばりを引いてハエを釣り上げます。辺りが暗くなり、川岸の竹やぶに蛍が光る状況になってもまだハエは毛ばりを追います。本当に楽しい釣りでした。
 護岸工事で川から自然が失われ、流れが単調になり、川が”排水溝”になってしまった今は、こんな楽しみも無くなってしまいました。環境破壊は確実に進んだということでしょう。

桜の咲くころ、水俣川の下流にある潮止めの堰の魚道を、鮎が群れをなして上っている姿を眺めたのはもう二十年以上も前のことでした。その姿を眺めながら、解禁日の六月一日を楽しみにしていたものでした。解禁日前夜はなかなか寝付かれず、午前四時頃起き出して目指す釣り場へ出かけたものです。初釣りを終えてから会社へは出かけていました。
 六月から七月いっぱい、休日には早起きが続きました。暗い内に出かけ、午前中鮎釣りを楽しみ、釣果をたづさえ帰宅して、昼食はそうめんと鮎の塩焼きが定番でした。鮎が多く釣れたときには開きにし、塩水につけてから日に干すと美味しい干物が出来ました。又、時には鮎飯も作ったりしたものです。
 釣りは釣りで終わらず、後が楽しめ、皆に喜ばれる素敵な趣味だと思います。
 水俣川で釣り上げた最大の鮎は28センチにも達する大物でした。今ではもうこんな鮎は水俣川にはいないでしょう。

4.釣堀


  一時期、安易な釣り、水力発電所の調整池での釣りも楽しめました。水俣川には「やまめ」は生息していませんでしたが、熊本県を流れる川、球磨川の支流川辺川には「やまめ」の姿が見られます。そんなやまめを容易に釣り上げることが出来たのが水力発電所の調整池でした。いわば釣堀といったところです。

 大きなやまめの引きは豪快で、先調子のロッドではハリスを切られることが度々で、胴調子の柔らかなロッドでじわじわと魚を手繰り寄せ、網ですくって取り込みました。40センチに近い大物を釣り上げたときの興奮は大変なものでした。
 九月からは大きな落ち鮎を釣り上げることも出来ましたが、長い竿を操る鮎釣りではなく、もっと容易に釣り上げる方法でしたがこちらの方が釣果は上がりました。ウルカは正月の酒の肴には絶好でした。

5.夢


  釣りをしていて是非やってみたかったのがフライフィッシングでした。とうとうやるチャンスがありませんでしたが、山間の静寂の中でロッドを振り、フライでやまめをしとめる、これが私の釣りの夢です。
 いつか実現したい夢、まだまだ若いつもりです。