わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときのこそ強いからです。(「コリント書」12章)

 私たちは人生の中で艱難に遭遇したとき、何故こんな目に合わなければならないのだ、とそんな境遇を恨み、たとえ神に救いを求めたとしても、そんな境遇からの脱却を救いとして求めるものです。聖書のこの箇所は非常に示唆に富んでいると思いました。私たちは順境にある時はそれを当り前と受け止め意識せず、傲慢になりがちです。そして逆境に遭遇すると、それを不遇として受け入れないのが普通です。使途パウロは病弱で宣教をするのにも不自由な身でした。パウロはキリスト・イエスの教えを述べ伝えるという無上の使命を得たことで思い上がらないように、自分の身に「トゲ」が与えられたのだ、と語っているのです。そしてそういう身だからこそ強くなれるのだ、とそれを肯定的に受容しているのです。
 私たちもどんな逆境に遭遇した場合においても神は見守っていてくださる、だから力強くそれに耐えていこう、そういう生き方をしたいものです。逆境にあってこそ人間は成長できるのだと確信が持てることを願っています。

  主にまかせよ、汝が身を
  主はよろこび たすけまさん。
  なやみは  つよくとも
  みめぐみには 勝を得じ。
  まことなる 主の手に
  ただまかせよ 汝が身を
    (賛美歌 291)