賛美歌 100番
1.生けるもの凡て おののきて黙せ、 2.きみの君なれど  マリアより生まれ、
  世の思い棄てて ひたすらに仰げ、   うまぶねの中に  産声をあげて、
  かみの御子は  くだりたもぅ       おのが身をば   あたえたもぅ
   このきよき日にぞ。              つみびとのために。


3.とこしえの光 暗き世にてりて、
  み使は御子を かしこみて崇む。
  いざわれらも  ほめうたわん
    いとたかき君を。

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 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(「ヨハネの手紙」3;10)

 クリスマスは日本人の間でも年末の一行事として年々盛んに行われています。街にはイルミネーションが美しく、ジングルベルの音楽が流れ、サンタクロースの姿があちこちに見られます。まあ日本人には楽しい、明るい日と思われているのでしょうね。でも喜ぶのはクリスマスを口実に商売をやっている人達かもしれません。
 今年の漢字として選ばれたのは「愛」でした。その意味づけを聞いていると私は愛をこんなに簡単に取り扱っていいのだろうかと思えてきました。人間は本質的に愛から遠い存在ではないでしょうか。日々耳にする悲惨な出来事、親が子供を虐待し、子供が親を撲殺する。幼い子供を自分の欲望のために殺める。なんと悲惨な出来事が多いのでしょう。民族間の紛争、独裁者の人権無視、地上には愛とは対極的なものばかりのように思えます。そうなのです、私たちには愛するということが非常に難しいことなのです。聖書の中にもありますが、「自分を愛するように他の人をも愛しなさい」自分を愛することは出来ても他人を愛することの難しさは誰でも実感するのではありませんか。他の人を愛せる、それは神の恵みであって神からの贈り物、感謝の対象なのです。私たちはひたすらに御子を仰ぎその尊き償いの行為を通してなされる愛、それ以外には愛とは無縁の存在だと思うのです。
 私にとってのクリスマスは人間の弱さを自覚する日、弱さを哀れんでくれる神に感謝をする日です。日常生活はなかなか思うようにはなりません。でもそんな事を思い煩っても仕方ありません。今、ここに生かされている、その思いだけで十分のような気がします。主を通しての交わり、その中に愛があります。