やすかれ、わがこころよ。
             主イエスはともにいます。
        いたみも苦しみをも
             おおしく忍び耐えよ。
        主イエスのともにませば、
             たええぬ悩みはなし。
                   (賛美歌298番)

 その時は思いがけなくやってきました。社会人として最も充実した日々を過ごし、子供たちも独立に向かって離れてゆきつつある頃でした。ふと、私は今まで歩んできた道を振り返ると、自分の人生での色々な事象が、それは偶然というより必然に近い何かに動かされている思いがしました。人が生きるというのは偶然ではなく、人智を超えた何かに動かされている、そんな思いでした。
 バレンタイン・デ・スーザが「旅ゆくあなたへ」と副題の付いた小冊子の中で、「私たちはいつも神様とともにおります。この神様に気づくこと。この神様の力をいただくこと。私たちが永遠に向けて力強く生きるためには、早くこのことに気づかなければなりません」と書いていますが、まさにそうだったのでしょう。以前から妻が通う小さな教会へ、クリスマスなどの機会に時々顔は出していました。
 転勤の辞令を受け取る、それはサラリーマンである私の人生の中で一つの里程標みたいなものでした。それを申し渡された後のある初夏の日、私は賛美歌298番を聞きながら、神様の見えない手に導かれ、洗礼を受けたのでした。