さよなら プッチ そして幸せをありがとう。

 黒猫プチとのにゃんとも楽しい生活は、21年を持って終了しました。
21歳とは人間で言えば100歳くらい。最近はめっきりやせて(食欲は旺盛でしたが)体重は2kgあるかないか。全盛期も3.5kgと小柄なネコではありましたが、さすがに2kgを切るとお腹はへこんでなでると腰骨の形がはっきり分かります。近い将来はプッチを送らなければならないことは覚悟していましたが、いつも抱き上げては「長生きしてね」とお願いする毎日でした。

 夏を過ぎたあたりに、片眼が真っ赤に充血し、病院に連れていったところ、内臓の機能低下による眼圧の異常だと言われ、飲み薬や目薬を続けた結果、充血はなくなり一安心。しかし、赤みはとれたものの、何かがおかしいと思って、ふと眼を見ると、明るい日中にもかかわらず夜見るときのようなまん丸い黒目。つまり瞳孔が開きっぱなしになっているのです。もともと晩年になってからは視力は低下していたようで、おやつをあげてもどこにあるか分からず、臭いで探し当てるという場面が結構ありました。しかしこのように瞳孔の反射がなくなったのは初めてのことです。また、歩く様子を見ると今までになくあっちこっちに頭をぶつけていることに気づき、再度病院に連れていくと完全に失明してしまっていることが分かりました。

 

 部屋の隅や家具の間に入って頭をぶつけては行ったり来たりしている姿を見て、可哀想で涙が出そうになったこともありましたが、某ホームページの記事からネコの行動は視覚だけではなく、嗅覚や聴覚に頼る部分が大きく、視覚を失っても人間が考えるほど困らないというのをを見て、少し気持ちが楽になりました。しかし、困ったのはトイレの位置が分からなくなってしまったこと。臭いでだいたいの位置は分かるのでしょうが、普段あまり入らない部屋や、台所の方まで行ってしまうと道に迷ってしまい、我慢ができなくで粗相してしまうことがありました。

 それからはこまめに部屋のドアを閉めたり台所に行けないように通せんぼをしてプチが迷わないようにしてあげたり、今までは玄関の奥にあったトイレを居間の階段下に持ってきたりしてすぐにトイレを探せるように工夫しましたが、眼が見えないせいか、トイレに入ってもお尻がはみ出していて外にしてしまったり、トイレにたどり着いて安心してしまうのか、トイレの入り口に手をかけたまましてしまったりと色々な失敗はありました。しかしそれでも一生懸命トイレを探してそこまで行こうとする姿はいじらしいものがありました。腎臓が弱っているために大量の水を飲むようになり、30分に1回くらいの割合でトイレに行っていました。今考えれば最期を目前にしたネコにとってトイレまでたどり着くことが重労働だったのかもしれません。

   

 この間何度か病院に連れて行く中で先生にネコの健康診断を進められ、血液検査、尿や便の検査等を行いました。その結果、年齢相応に腎臓の機能は衰えていたものの、他の臓器や血液期検査の数値にはほとんど問題がなく、先生も驚くような良い値が出ていました。したがってプッチとの別れがこんなに早くやってくるとは夢にも思いませんでした。

 11月22日。妻が翌日からの3連休を利用して学生時代の友人と旅行に出かけました。このときはプッチもいつもと変わらず、妻を見送り、私も仕事に出かけました。夕方私が帰ってきたときも特に変わった様子はなく、餌もそれなりに食べました。ただ夜になるとちょっと歩いてはかなり大きな声で数回鳴き、その場でごろんと横になり、5分もたたないうちにまた起き上がって歩いては鳴くといった状態になりました。そのときは眼が見えないために私を探しているのかな、と思い「ここにいるよ」と声をかけたりしましたがこの状態は深夜まで続きました。しかし私も疲れていたのでいつの間にか寝てしましました。

 次の朝、プッチに餌をあげていると、300kmほど離れた場所に住んでいる息子(2人兄弟の弟)が様子を見に帰ってきました。心配で昨日の深夜家をでて夜通し走って様子を見に来てくれたのです。状況は昨日と変わらず相変わらず歩いては鳴き、横になる、というのが続いています。考えてみれば、25歳の息子が幼稚園の時から一緒に暮らしてきたネコです。思い出は数えきれません。なんとか元気になって欲しいと言う、祈るような気持ちで帰って来たに違いありません。

 結局プッチの状態は深夜になっても続き、その夜は息子が面倒を見ると言ったのですが、明日、また300kmを運転して帰ることを考えると睡眠不足は危険なため、2階の私の寝室に寝かせ、私は居間のソファで仮眠をとりながら一晩中プッチに付き合うことにしました。

 夜が明け、全く変わらないプッチの様子を見た息子は、これは人を探してるんじゃなくて苦しくて鳴いているんじゃないだろうかと分析し、私も鳴く声がだんだんと苦しそうになっていることに気がついて、病院が開く9時を待ってプッチを連れて行きました。

 先生の診断によると、胸に水が溜まっており、呼吸困難になっているとのこと。前々から少し水が溜まっていることは聞いていたのですが、ひどくなったら抜きましょうということになっていました。とにかく少しでもプッチが楽になるように抜いてもらうようお願いしたところ、とりあえず酸素が供給されているICUに入れてもらい、少し元気になったところで胸に針を刺して水を抜くことになりました。

 処置の準備ができたのでプッチを処置台へ。「これは痛いよ!我慢してね」と言って先生はエコーを見ながら針を刺していきます。私は看護師さんと一緒に「頑張れプッチ!」、そう声をかけながら体が動かないように押さえます。心臓に近い位置に針を刺すため暴れると死に至ることもあると聞かされていたので必死に押さえます。可哀想で涙が出そうです。結果、40ccほどの白濁した水が抜けました。このときのプッチの体重は1.8kg。それから考えるとかなりの量です。 

 処置が終わって「プッチ、痛かったね、ごめんね」と抱きかかえましたが、プッチは「シャーッ」とかなり怒っており、かみつき防止のカラーがふっ飛んでしまったほどです。先生も「これだけ元気なら大丈夫だね。」と言ってくれ、これでプッチも少しは楽になるだろうと思い、ほっと一息ついたのを覚えています。その後、落ち着くまで20分ほどICUに入った後、薬は必ず飲ませること。また薬は切れることのないようになくなる前に取りにくることを約束して帰路につきました。

 ところが、家に帰ってきてもプッチの様子に変化は見られず、相変わらず歩いては鳴く、という動作を繰り返していました。ご飯も全く食べません。大好きなチーズやちゅーるすらも見向きもしません。今晩から薬を飲ませなくてはならないのに何も食べないのでは餌に混ぜることもできません。しばらく様子を見ましたが、らちがあかないため、シリンジ(針なし注射器)を使って強制投薬に打って出ました。少量のちゅーるに薬を混ぜシリンジに投入、プッチの口を手で開けて強制注入!暴れましたが、なんとか投薬することができました。でもプッチもこのやり方は相当ストレスが溜まるらしく、投薬後はぐったりしています。明日から毎日朝晩、大丈夫なんだろうかと不安になりました。

 その後もプッチに大きな変化はありませんでしたが、おそらく2~3日は全く眠っていないと思われ、だんだんと元気がなくなっていくように見えました。午後になり、息子が帰る時間になりました。300kmといえば夏道でも5~6時間かかります。ましてや冬ですので峠などでは路面が凍結しています。暗くならないうちにゆっくりと安全運転で帰るため、午後2時に出発となりました。出発の時に「これでプッチとは最後になるかもしれないからちゃんと挨拶して帰りな!」と言ったところ息子も「そうだね」と言ってプッチとお別れの挨拶をして帰って行きました。しかし、これが本当に最後になるとはこの時はまだ思ってはいませんでした。

 その日の晩はさすがに私も疲れ切っており、「プッチごめんね。今日は寝かせてもらうわ」と言ってプッチを1階に残し、2階の寝室で12時頃眠りにつきました。本来は2階に連れてきて、一緒に寝れば良いのですが、眼が見えないだけに私が寝入っている間に2階の階段から転げ落ちないとも限りません。また、トイレを2階に持ってきても、見つけられずに探し回るのも可哀想です。

1階からは相変わらず定期的に鳴き声がしますが、こちらも限界に来ていたので勘弁してもらうことに。ところが夜中の2時頃、「ニャーニャー」と言う鳴き声が間近に感じたので目を覚ますと、なんとベッドの足下にプッチが来ているではありませんか!眼が見えない状態で階段を上ることが、どれだけ大変なことか。それでも私の姿を探しに来てくれたプッチ。涙が出そうになるほどいじらしくて、床に布団をひいて朝まで一緒に横になっていました。失明してからは高いところが怖くなったらしく、ソファーの上に乗せてもすぐに床に降りたがります。ましてや2階に上がることは一切なくなっていました。

 朝になりました。連休が終わり今日から仕事です。身支度をしながら、プッチに餌をあげましたがやはり全く食べてくれません。色々な種類の缶詰を4つほどお皿に入れましたがやはりどれも食べません。「プッチ!フルコースだよ」と餌の前まで連れて行きましたがやはりだめでした。ちゅーるも与えてみましたがこれも同じ。薬は餌に混ぜましたが全く無駄に。仕方がないので今回も強制投薬にでました。朝は抗生剤もあるため、昨晩の倍の量です。こんなに飲ませていいのかな、と思いましたが、先生からは必ず薬を飲ませるようにと言われていたので、2包みの薬をちゅーるに挟んでシリンジへ。プッチを押さえて口の横から流し入れます。もちろん大暴れしましたが、何とか投薬成功。しかしプッチはぐったりしてしまいました。

 それでも薬が効いて元気になってくれることを祈って仕事に出かけました。昼には妻が旅行から帰ってくるので5時間ほど留守番になりますが、仕方ありません。実は、旅行中の妻にはこの状況は一切話していませんでした。せっかくの旅行が楽しくなくなると可哀想なので。この朝、初めて状況を知らせると、妻も相当驚いていました。

 旅行から帰った妻も午後5時から9時まで仕事に出てしまいます。心配だった私は3時から職場に休みをもらって家に帰りました。3時半に家に着いてみるとプッチは横になったまま立てない状況になっていました。妻の話では、妻が帰った昼頃にはまだ立って歩いていたそうです。何でこんなに急に状態が悪化してしまったのか、理解に苦しみましたが、現状を受け入れるしかありません。妻に何か食べたか尋ねると、ゆで卵の黄身を2かけらほど食べたとのこと。これは電話で餌を食べられないネコには卵の黄身を与えると良いと言うネット情報を知らせておいたことによるもの。しかし、私が調べたのはゆで卵ではなく、生卵。どうやら意思の疎通がうまくいかなかったようです。

 早速、生卵の黄身をほぐしてシリンジに入れ、プッチの口元に持って行くと、横になりながらもペロペロと舐め、卵一つを完食しました。この要領で水も与え、牛乳も飲みました。「よかった!」と少し安心しましたがプッチが元気になる様子はありませんでした。

 4時半に妻が出かけ、またプッチと2人きりになってしまいました。私はプッチの横に座りずっと声をかけながら撫でていました。今日が山場だな、というのは誰が見ても分かります。東京の息子(兄)に電話をして状況を伝えました。息子が家にいた頃は毎晩一緒に寝ていたプッチ。スマホのLIVE映像でプッチの姿を見せてやると、声を詰まらせて「プッチ、プッチ」と名前を呼んでいました。

 9時頃になってプッチの様子が変わってきました。今まで静かだった呼吸が少し荒くなり、手を伸ばしてのびをするような姿勢を何度か繰り返すようになりました。いよいよ最期が近づいてきたな、と直感で分かります。「プッチ頑張れ」と今までずっと言ってきましたが、苦しそうなプッチを見ていると、「もういいよ!よく頑張ったね、もう楽になって」という言葉に変わりました。

 9時20分、妻が仕事を終え帰宅しました。プッチはまさに最期の時を迎えようとしています。「早く来て!」玄関にいた妻をせかしてプッチの横へ。私と妻でプッチを撫でながら交互に声を掛けましたが、9時30分、体がぐぅっと伸びた後、最後の呼吸が終わりました。

 20年と11か月、約21年の命がここに終わりました。昨日は息子(弟)に会え、息子(兄)の声も聞けて、妻が帰ってくるのを待って息を引き取ったのだと思います。21年間、子供が成長する中で本当に色々なことがあって、それを一緒に見ていてくれたプッチ。みんなプッチが大好きでした。プッチはたくさんの幸せをわが家に運んでくれました。本当に、本当にありがとう!!そして安らかに眠ってください。そしてまた、息子たちが家族をもってネコを飼うことになったとき、そこに生まれ変わってきてください。
またいつか、会おうね!!プッチ!!!

       

HOME黒猫