TOEFLの結果から見た英語観


古いので更に最近の結果を付け加える。
尚これは先日のERECの講演で小池先生のハンドアウトに依るものである。
日本人の平均値=493.0 世界214カ国中  197
アジア27カ国中 24
1964〜1995年まで 日本 11点上昇
韓国 40点上昇
中国 77点上昇

(「国民生活白書」 経済企画庁 1996.11)

*上記の表の結果と大差ない!

因みにがオランダが605点でNo.1である。
しかし、よく考えてみればこの結果をどうとらえるかである。
単に「日本人は英語力が無い!」で良いのだろうか?
受験者数を見てもらいたい。桁違いに日本はNo.1である。
これは何を意味するかと言えば、選ばれた英語をEOPにしている人だけが受験 していると言うことではなく、誰もが受験の機会を得られる門戸の広い結果の集大成である。

「これは『日本の恥』と言った人がいたが。。。。」果たしてそんな恥なこと であろうか。
日本で出会っているESLの外国人の方々は以外とエリートが多くはないだろう か。
最初からレベルの違うところで何か比較してしまっているような気がする。
日本の英語教育は平均値が高い、底上げが高いのだと思う。
現に小中の英語教育をしてきても大学で短期留学、会話学校等で国内に居なが らにして英語に堪能な方はたくさんいると思う。
先日のEREC講演の時の野中様もそのよう環境だったとのこと。


理屈の分からないうちから習慣形成的にINPUTしSUBCONSCIOUS的に英語力を身 につけるために、早期英語学習なのだろう。
しかし、18歳から理屈の分かる段階でINPUTしてもほぼ同じ程度まで英語力が 伸びることは確認されている。そして、理屈が理解されやすい分飲み込みが速い 場合がある。
グレゴリー・クラーク氏が言われるように「学習順序に問題」があるのだと思 う。
最初にINPUTされた英語はあとあと修正が効かない
最初(入門期)に耳にする英語は本物でなければならないし、下手にコミュニ ケーションの名のもとにOUTPUTされるとそれが耳に残り発音上の矯正が後に効か なくなる。
また、当然正しい発音を知らない以上、聞き取れないことにつながる。
入門期ではINPUTが大切なのだと改めて感じさせられた。


「英語を大学受験から無くす」「英語授業そのものがいらない」等究極の意見 が聞けて本当にERECの講演はためになった。
グレゴリー・クラーク氏は「大学入試の英語は答えが2つも3つもあったり、 1つも無かったり、なぜあんな試験をするのか分からない。」「大学にはいるま での英語が間違っているのだから、それまでをゼロにして大学に入ってからテー プを使って本当の英語をINPUTしていくのだ」と言う。そして、18歳位からでも 十分間にあうとのこと。


更に、「英語だけでなくDOUBLE専攻制が望ましい」。「中国語とか今後日本に とって大切になる言語は1つではない!」とも付け加えられた。別紙で述べたが、 日本に流入している外国人の多くはアジア系である。そして彼らは日本語を必死 に学んでいる。生活や自己の生死に直接関わるからだ。アジア、中近東、南米の流 入が増えるにつれ私たちは何か場違いな言語を必死に学んでいる気さえしてくる。 警察の方でも今は”英語の通訳官”は需要があまりないとのことである。


野中さんは「『英語ができる→国際人→使える、すごい!使えない→自己の恥 』といった日本の戦後英語教育の始まりから今日まで引きずっている間違った考 えがある。
そして、それは「言葉を『道具だ』と考えられないようにしてしまっていて、 英語ができることが目的になっている。意識改革が必要」とのことを言われてい た。


私も常日頃日本の英語は完全にEAPであって、そこには使用目的ではない教科 としての姿があると思っている。だから裏を返せば日本の英語はその使用目的に あるのではなく、言語学的に論理的に解釈する方法論にあるのだとすれば、「こ れで良い」になる。そして、その使用は実践とか対人コミュニケーションではな くクイズ的な教科、優劣をつける道具である。

さらに、決定的なのは後者のような英語であっても日本は生活上なんら支障の無い、海外資本に頼ら ないですむ裕福な経済力を今のところ持ち合わせているということだ。

世間一般にEOPが感じられない以上、個人的にEOP/ESPを持つことになる。
通訳になりたい、外資系企業に入りたい、海外で活躍したい等。。。。
世間一般的にさほどせっぱ詰まった状態での必要性が英語に無い限り、そんな に英語力について中学段階で騒ぐこともない。小学校に導入する必要性も無い。
基礎基本に絞って、将来転向して英語職に就こうと思ったときに巻き返しが効 く程度で良いのだということになる。


個人個人を考えるに上記のようなことになるが、教育に国家や自治体の介入が あるとまた違ってくる。理想とされる外国語学習の形や目的が明確化され、その 学習プログラムが綿密に計画されればまた状況も変わってくるだろう。

「こういうふうに英語をやれば、その見返りがこのように大きい」というのが はっきりしてくれば、一人一人が間違えなく「正しい英語学習」を選択するはずである。
「現時点では海外留学MBA取得がさほど日本では重宝されない」(小林さん) のではやる気がしなくなる。



英語力を高めるのにはやはり外的圧力による変革しかないのか?(これではま た黒船の到来である。)

最近英語は「選択教科」なのだということを”改めて”認識した。


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