安政遠足(あんせいとおあし)マラソンの由来
安中藩主板倉勝明(いたくらかつあきら)侯の父、勝尚(かつなお)の時代、即ち文化5年(西暦1808年)3月、藩士の子弟教育のために安中城内に造士館(ぞうしかん)を設立し学問を奨励し、併せて武道をも大いに奨励した。安政2年(西暦1855年)勝明侯は、領内五料村(ごりょうむら)(安中市松井田町五料)に安中郷(ごう)学校(桃渓書院)(とうけいしょいん)を設立し、領民にも学問を奨励した。藩主板倉勝明侯は、安政2年5月19日より50歳以下の藩士96名を、5月から6月にかけて16回に分け、安中城門から中山道碓氷峠の頂上にある熊野権現(くまのごんげん)まで七里余(29.17キロ)を徒歩競走させた。
熊野権現の上州側の神官であり社家町の組頭をつとめる曽根出羽(そねでわ)は、安中藩代官久保庭谷五郎より呼び出しがあった。5月18日朝暗いうちに峠の家を出て安中に至り、遠足の審判員としての打合せを済ませた。割附札50枚を受け取って帰る途中、日も暮れて雨による悪路の事もあって坂本宿(さかもとじゅく)に泊まり、翌朝峠の難所刎石(はねいし)まで登った所でもう遠足の侍選手7人に追いつかれてしまった。審判が遅れて行ったのでは大変と一緒に競走して行ったことが伺える。
第51回安政遠足侍マラソン【スタート風景】
第50回仮装大賞受賞!【山中選手】
こんなパフォーマンスで20km…恐るべし!
峠コース(約30km)のゴール(熊野神社)
2022年5月8日安政遠足侍マラソン初参加(関所・坂本宿コース約20km) 【仮装;ドラゴンボールZスーパーサイヤ人】
〔☆ 2021年, 2022年は新型コロナ対策のため大会が中止となった〕