![]() | 岩手県 北上市のみどころ(1) |
古墳以外にも訪れておきたいポイントをいくつかご紹介します。 江釣子村はかつて日本一人口密度の高い村だったとか。古いむかしから豊かな土地であったことが史跡などからも想像されます。 江刺に近い、北上川の南側方面にも足を伸ばしました。 |
![]() | 江釣子古墳群の東近くに「カムイヘチリコホ」なる公園が整備されている。アイヌ語の「神々の遊ぶ所」を意味するというこの語が「江釣子」の語源ではないかという想定のもとに例の竹下内閣の「ふるさと創生資金」で村のシンボルとして作られたという。古墳をイメージした野外ステージの壁の石には村民の手形がびっしりと付けられている。 |
これらは古墳ではなくあくまでイメージとして作られたもの。ステージ前の水路の端にはストーンヘンジ風のゲートまであって全体的に無国籍な感じ。ここでは毎年9月下旬に「古墳まつり」が行われるという。 | ![]() |
![]() | 江釣子から南東の風景。江釣子は72の泉が湧き出ると言われる豊かな土地である。 |
![]() | 樺山遺跡の北東近くにある。県史跡。この塚は壇の浦の戦で300艘3000人の水軍を率いて源義経を助けたという伊予国出身の河野通信の墓と伝えられる。通信はその後承久の乱で上皇側に加担したために江刺国に流され、この地で果てた。墳墓としては上円下方墳の形をしていて、石で葺かれていたという。 |
説明板が立派すぎてフラッシュの光が反射してしまった。実は当初この塚について何の予備知識も無かったが、道標の「塚」の字に誘われて行き着いたのだった。これもご先祖様のお導きか。踊り念仏の時宗の開祖として知られる一遍上人は通信の孫であり、1280(弘安3)年に全国遊行の末にこのひじり塚を訪れ、「一遍上人絵伝」にもその情景が描かれている。 | ![]() |
![]() | 説明板に示された「絵伝」の拡大。絵巻物と実在の遺跡が一致する珍しい例であるそうだ。ただし、岩手県教育委員会のHPの文化財目録ではこの塚の年代が「江戸時代」とされているのが謎。 |