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藤本観音山古墳(足利市)
足利市南端の藤本町にある前方後方墳。
前方後方墳で墳丘長117mは栃木県で最大、東国では前橋八幡山古墳に次いで2位、全国でも5位の規模を誇ります。



藤本観音山古墳


南側裾には民家が取り巻いていて、後方部へ登る階段はこちらについてます南東より後方部。こちらの角に登り口がある。高さは約10m。後方部は比較的損壊が少ないが、階段の右側あたりに崩れがある。

墳頂には阿夫利神社が祀られている。かつては夭逝した矢場氏7代目当主を弔う観音堂があったと言われる。祠の後ろに柵が作られており、それ以上進入できなくなっている。素朴な祠が、大きな石を無造作に積んだ上に載せられてます。ちゃんと供え物あり

祠の背後を除いてみたら、こんな状態でした墳頂部には最近の第4次調査で十字形にトレンチを切って調査した跡があった。竪穴系の埋葬施設を想定して行われたものらしい。この調査は前方部中央でも行われ、中世墓地として利用されたことを示す蔵骨器片が出土したとのことである。

墳頂から南側に広がる水田を望む。中央付近に群馬県太田市の塚廻り古墳がある。藤本観音山古墳も実質的には太田付近の文化圏に属していたと思われる。ここが足利市の最前線。すぐそこから先は群馬県太田市域になります。なかなかの眺望だ…

きれいな玉石で土留めをしてあります後方部南側くびれ部の裾近くの様子。南側は宅地化されて、変形・加工された部分が多い。第4次調査では西〜北西部の周堀の立ち上がりの縁が確認された。これにより周堀が墳丘の形に沿っていないことが確認され、墳丘築造の土採りを目的として掘られたにすぎないものと推定されている。

南西から前方部。樹木に覆われている。前方部は高さも低く南側は宅地になっていて墳丘が目立たない。現在周堀は見られないが、幅は40mもあったと推定され、全体では200mを超す規模だったらしい。住宅が迫っているため、前方部にはあまり接近できません

ちなみに北側は廃材置場のようになっていて、墳丘に迫れるところはないのでした南から全景。右側後方部の墳丘が少し見える。前方後方墳は3世代3基にわたって造営された例も多いという。しかし、この古墳に後続する世代は矢場薬師塚古墳(群馬県太田市)・小曽根浅間山古墳(足利市)などの前方後円墳と推定されていて、付近は早い時期に前方後円墳の文化圏に入ったことがうかがわれる。

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