![]() | 長野県 将軍塚古墳群 その4(更埴市) |
森将軍塚古墳の周囲にある小円墳群。 9号墳は2号墳に次いで大きなものです。 |
![]() | 南東から。森将軍塚の後円部の西にある円墳。2号墳の次ぐ15mほどの規模である。全国でも数例、特に畿内では出土例の無い複鐶式鏡板付轡が出土している。 |
東から。左は5号墳。将軍塚に近い場所は遠慮して小さな墳墓が作られ、少し離れた所に大きめの円墳が作られる傾向があるように思える。中世の青白磁の合子が出土し、3号集石から流れ込んだか9号墳自体が経塚にでも利用されたらしい。 | ![]() |
![]() | 説明板の発掘当時の写真。南東から撮影したものらしい。この付近の調査は立木の影で涼しい反面、光のコントラストが強くて写真測量に苦心したそうだ。主体部は破壊されていたが竪穴式石室と推定される。左手奥に見えるのが10号墳。この説明板では合計「13基」になっていて、15号墳が数えられていない。 |
![]() | 南東から。9号墳のすぐ西の13mほどの円墳。群中最も低い場所にあるが、サイズ的には4位ぐらい。竪穴式石室を持ち、隣の9号墳のすぐ後に作られたらしい。 |
![]() | 北東、将軍塚の前方部端から。将軍塚前方部の南西にある。説明板のコンクリート土台と階段の間の部分(写真中央左寄り)が復原墳丘。奥に隣接しているのは4号集石。当初はこの背後の尾根上方に将軍塚石室レプリカ展示室を設ける案も検討された。 |
東から。横穴式石室の西南寄りから耳環、北東寄りから首飾りと思われる土玉が出て、頭の位置を逆にした2体の埋葬が想定されている。 | ![]() |
![]() | 南西から。将軍塚の後円部の東、7号墳と6号墳の間に東西に並んでいる。向こうが径7mの13号墳で石棺を持ち推定5世紀後半の築造とされる。手前が径7.5mの14号墳で玄室と羨道の別のある横穴式石室を持つ7世紀前半の築造である。 |
説明板の発掘中の14号墳。石室は南に開口する。左側に見えるのは62号箱形石棺、さらにそのすぐ下が2号須恵器の出土地点、石棺の右上が2号土壙墓と、遺構が錯綜している様子がわかる。 | ![]() |