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森将軍塚古墳小型埋葬施設群(更埴市)
森将軍塚古墳に伴う多くの小型埋葬施設。築造順は以下のように推定されています。
2号石室→埴輪棺群・石棺群築造開始→埴輪棺築造終了→2号墳→円墳群築造開始・石棺群築造終了→横穴式石室出現→円墳築造終了



4号埴輪棺


これはレプリカ前方部南東側のくびれ部近くに4号埴輪棺が復原展示されている。埴輪棺群はおおむね石棺群よりも古いらしい。埴輪棺は前方部南東側くびれ部裾付近に6、前方部上に4、前方部北西側くびれ部裾付近に1、後円部端裾の東側に1、計12基発見された。もともとは墳丘に立てられていた埴輪を転用したものと考えられている。
 
前方部上の小型埋葬施設の説明図。ここに示されたものの他にもいくつかの箱形石棺・埴輪棺・土壙墓などが発見されている。わずかながら出土した人骨には10歳ぐらいと鑑定されたもの(50号石棺)もある。狭い範囲にいくつも並んでるのでした
 
とんでもない大集団でこの作業にあたっていたんでしょうかねえ埴輪製作の説明図。この頃はまだ野焼きだった。様々な技法によるものが混在しており、多数の工人が製作したと推定されている。この埴輪のバラエティの豊富さが年代推定を困難にしているようだ。ここの埴輪を持って行って近隣の他の古墳や埴輪棺にも流用したのではないか、という説もあり、さらに事態をややこしくしている。
 

4号集石(4号墓)


4号墓は少々時代が新しいものなのでした円墳状を成し当初11号墳と目されていた。調査により北宋銭の出土などから平安期の1辺5mの正方形積石塚墓と判定され、4号集石と命名された。将軍塚の南西に方形の墳丘状に復原されている。鉄釘が出ており木棺使用の可能性がある。隣接の12号墳はこれを調査したおかげで検出された。左端に少し見えるのが12号墳。
 

12・13号石棺


石棺の展示。このあたりもゴミひとつなく綺麗なのでした前方部北西側、現在の登り口近くにある組合式箱形石棺の復原展示。奥の箱形が13号石棺、手前の石敷きが12号墓の上蓋。この上蓋の石は実物を使用している。ただし現地にはこのような説明が無いのでただ石が置かれているように見えるだけ。

 
石棺群の位置の説明図。少しわかりにくいが貼石帯の中にも作られている。「大甕出土地」とあるのは畿内から運ばれたという1号須恵器のこと。この大甕は上半部が地上に出ていたらしい。大甕は資料館に展示されてます
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