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森将軍塚古墳 その4(更埴市)
時間をかけた発掘と精細な復原作業によって、美しい姿を見せている森将軍塚古墳。この姿を維持されていくためのご苦労も相当なものでしょう。



森将軍塚古墳(その4)


ちょっと不思議なスペース後円部背面の「台形状施設」。埴輪列が二重になり、壷形埴輪が比較的多かったとされる。中央に20〜30cmの段差があったという。この背後の墳裾から土器が多く出て、中には匏(ひさご)形土器もあった。すぐ下には橋状遺構もある。主体部を聖域視し、外で祭祀を執り行うための施設かと考えられている。
 
後円部墳頂から前方部。端部左側近くに2号石室が、そのやや手前中央に配石遺構がある。2号石室は岩盤の深さが考慮され、当初から予定されたものと考えられている。くびれ部左寄りの区画は3号石室のある所。3号石室墓壙を利用して37号石棺が作られるなど、実は地下は複雑である。背後左寄りに12号墳と4号墓が見える。奥のほうにぽこりと盛り上がりがあるのが4号墓。12号墳はその手前にくっついてます
 
この右手が2号墳に連なる尾根になります南東から後円部端。前方部よりも裾石垣の高さは低い。ここにも貼石帯がある。左手の盛り上がりが橋状遺構に連なる部分。すぐ右には8号墳がある。
 
南西、12号墳・4号墓の傍らから全体。復原にあたっては葺石の下地にも崩落予防のための特製の四和土を用いるなど苦心したそうだ。雑草の一本として無くきわめて美しく整備されているのは地元有志「森将軍塚古墳友の会」の皆さんのご尽力の賜物である。こうやって見る限りは歪みは感じないんですよね
 
こんなふうになにげなく書いてありますけど、こりゃあ相当厳しい作業だったはずです…説明板に示された発掘調査当時の様子。上の写真とほぼ同じ位置から撮影されている。尾根上の大変な作業だったが、石室の上にかかる虹や、眼下に広がる雲海に映るブロッケン現象などが一服の清涼剤になることもあったという。
 
説明板に示された復原工事の様子。墳丘上に設置したクレーンは荷揚げや写真測量に大いに活躍した。現代工法による復原日数は計算上のもの。実際には1981年から11年にわたる長期の発掘調査の間に復原工事を併行、時には中断しながら今のような姿に整備された。発掘調査しながら復原を同時進行してたのですね
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