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森将軍塚古墳 その3(更埴市)
明治36年のこと、「塚掘り六兵衛」こと北村六左衛門が森将軍塚を掘りに行ったが「俺より偉い奴がいて先を越された」と語ったとか。かなり古い時代からたびたび盗掘を受けていたようです。副葬品などの出土が少ないこと、後円部墳頂の埴輪の配列がわからないことなどはそのためです。



森将軍塚古墳(その3)


右手に見える三日月形の部分が貼石帯です墳丘南東側。後円部の貼石帯が見える。貼石帯の実物は地下に保存されている。この貼石帯の復原が意外に難しかったらしい。こちら側の裾部でおびただしい数の小型埋葬施設が発見されている。
 
後円部登り口。墳丘2段目周囲の墳頂部石垣はほぼ垂直である。墳頂部は長29m幅17mの隅丸長方形。現在上段テラス部分には埴輪列が復原されているが、墳頂部は配列不明のため復原されていない。墳頂からは家形埴輪の破片も出ているが、復原不能だったのが残念。階段もかなり急です
 
眼下の平地には条里制による区画の見られる水田跡(更埴条里遺跡)があるとか。とにかくこれはいい眺めです後円部頂から北西方向。善光寺平を一望可能。無理してここに築いた理由がわかる。左の長野市篠ノ井石川の山には川柳将軍塚古墳(前方後円墳・93m)、姫塚古墳(前方後方墳・32m)がある。左下から中央に走るのは長野新幹線。東側には上信越自動車道も通る。どちらからも森将軍塚が見える。
 
墳頂北西隅から。石室は調査実施を記した標石と共に埋め戻され墓壙・石室の範囲標識があるのみ。ただし古墳館に実物大の模型がある。墳頂部や石室まわりは築造を一時中段した形跡があり、被葬者存命中に築かれた「寿陵」の可能性があるという。左手の尾根に倉科将軍塚古墳がある。樹木がなかったらきっと、向こうの尾根の上に古墳が見えるのでしょう
 
見事な石室の構造を示す説明板三角縁神獣鏡片は長野県で唯一の出土例だ。残念ながら盗掘のため他にめぼしい遺物は無い。石室は板石積みでベンガラで朱彩されていた。組合式木棺と推定されるが幅広の刳抜式木棺説もある。天井石はあまり残っていないが、付近の水路の橋に使ったという伝承もあるという。古墳館に実物大石室壁模型がある。
 
墳頂から歴史公園を見下ろす。広場の右が市立の森将軍塚古墳館、左が県立歴史館である。右端が物産館でお土産の購入や食事ができ、1日居座っても楽しめる。右上隅が上信越道で、このすぐ東で有明山トンネルに入る。ここに見える田畑一帯は平安時代前期の「更埴条里遺跡」でもある。入館料も別々にしっかり取られます(200円+300円)
 
大きい古墳=昔の将軍さまのお墓、ということなのでしょう。関東にはこの名をもつ古墳がいくつもありますが、長野は飛び抜けてますね墳頂から北東方向。向こうに細長く伸びる尾根端には土口将軍塚古墳(前方後円墳・約67m)がある。尾根上の前方後円墳に「将軍塚」という通称が多いのも長野県の特色である。尾根の左、画面外の更埴JCT付近が大量の奈良時代の木簡が出土して話題を呼んだ「屋代遺跡群」である。
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