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酒巻古墳群(行田市)
行田市北端、酒巻導水路から利根川土手までの間あたりにある埋没古墳群。
現状では地表で観察できるものはありません。



酒巻古墳群跡地の風景


ない…。94年の報告書が出た時点では、まだあったみたいなんですが6〜8号墳の所在地付近の景色。6世紀前半から7世紀にかけて作られた古墳群とされる。この群は関東造盆地運動により沈降した所に河川の氾濫土が堆積し、大部分が水田面の下に埋没している。特に8号墳は27mの前方後円墳で墓前祭祀跡が検出されたという。

群の南寄りを流れる北河原用水。3〜5号墳付近が見えている。石室が検出され、埴輪、土師器、須恵器などが出た古墳もある。特に14号墳(推定6世紀末)からは二重埴輪列がほぼ元位置のまま検出され、尖った冠を付けた盛装男子、長袖の服を着た男、盛装女子、座る女、褌を付けた力士、旗を立てた馬(蛇行状鉄器の使用法を表現)とそれを引く人、など多くの形象埴輪が出土した。古墳の多くは、ほとんど埋没した状態のものだったようですね

集落手前には県道羽生妻沼線が群の中心部付近。向こうに見えている集落の背後が利根川である。46mの前方後円墳だった1号墳もこの範囲内にあるはずであるが、現状では影も形も全く見えない。1号墳の北隣の15号墳からは石室開口部の東側で大刀、靱、鞆などの器財埴輪、西側で人物、盾、馬などの埴輪が検出された。

付近は麦畑と水田が混在し、視界をさえぎるものがほとんど無く、かつてここに20基を超える古墳が並んでいたとは思えない風景になっている。この古墳群からはすぐれた馬の埴輪の出土も多く、「酒巻」の「マキ」は「牧」であり、古代の馬の牧場だったという説もある。5月の行田の風景。どこまでも麦畑が続きます
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