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稲荷山古墳(行田市)
例の「金錯銘鉄剣」が出たのがここです。戦前に破壊され、半壊ゆえに発掘調査が優先されたおかげで鉄剣の発見につながり、今またのんびりと復原工事が進む数奇な運命をたどる日本で最高級に有名な古墳。
昔の写真に見える、田んぼの中の大きな浮島のような素朴な佇まいもいいんだけどなあ…。
現在はとてもきれいに整備されていて、階段で墳頂にも登れます。最近、さらなる復原工事が進行中。
工事の進行状況の続きはこちらにも



稲荷山古墳


左手前が前方部にあたるのだが少し古い写真。前方部は1937(昭和12)年に土取りのために破壊されたという。この時はまだ前方部が復原されておらず、円墳状に見えていた。

西側より見た前方部が復原されつつある様子。周堀は珍しい長方形のものという。西側の外堤には方形の祭祀場らしき張り出しがあり、埴輪群像が立てられていた。2000年10月時点では、こんな感じだった

遠目だと、なかなかうまくできてるようだが1935年の測量図面によると、前方部の高さは後円部よりも約1m低いとされているということだが、これを見ると明らかに低すぎる。復原の意図が不明である。もう一段土を盛るのか。

くびれ部の所がこのような状態になっている。どうやらすぐには元の状態をリアルに復原するつもりではないようだ。ここでは五月の連休のころに「火祭り」と称して模擬古代祭祀イベントが行われるので、復原完成の暁にはその晴れの舞台となるのかもしれない。つながってないぞ! つなげるとなると階段をつけかえないと…

本物の石槨はセメントで固めてあるわけではありません墳頂に復原されている石槨。長軸方向と平行している。長辺内法で5.7メートルもあるものをこんなふうに囲んで展示している。鉄剣などが出土したのはこちら。この古墳の二つの主体部は、いずれも中央からずれているので、他に本当の第1主体部が存在するのではないかとも言われる。そして、鉄剣の主は、いわばナンバー2で、本当の埼玉政権の宗主の主体部は未発見なのだという説がある。他にも鏡が出土し、同笵鏡は高崎市観音山古墳などからも出ている。

このあたりに粘土槨が。軸線と直交している。レンガで点線状に形が示されている。長さ6.5メートルもある大きなものだ。こちらの主体部はかなり荒れていて遺物は少なかったという。いずれにしても、てっきり横穴式石室があるとばかり思っていた発掘当時の調査員も墳頂に主体部を発見してびっくりだったそうだ。本物の主体部は埋め戻してあります。これは展示用レプリカ

ここの階段は丸木ではないのが復原古墳らしいところだ墳丘上から見たニセくびれ部。くどいようだが、何回見ても変。
次は稲荷山古墳(つづき)→→


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