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深谷市の風景(深谷市)
県北の大都市深谷の、観光スポット(?)をご紹介しておきます。



深谷城址公園


妙に整然とした雰囲気のうえ、楼閣はないので城跡っぽさは希薄。城郭マニアには物足りないでしょうねえ深谷城は1456(康正2)年深谷上杉房憲が築城したとされる。付近に図書館、文化会館などの公共施設を伴った公園として整備されている。
 
元々の城の遺構はほとんど残っていないようで、石垣などは模造である。外見は城に見せているが、中は普通の公園である。入ってみると、なんということはない公園。転ぶと痛そうなので幼児を連れてくるにも向かないし、なんか微妙です
 

富士浅間神社


城址公園のすぐ東にあるもの。築山はありますが小規模元々は深谷城の鎮守として勧請されたもので旧称「智形神社」。社殿周囲の池と水路は深谷城の堀の名残りと言われる。
 
作詞家・加藤省吾氏(2000年5月1日逝去)は静岡県出身であるが、疎開のため一時深谷に滞在し、この時に「みかんの花咲く丘」が作られたとされる。境内に顕彰碑があるのは良いが、接近すると自動的にその曲がかなりの音量でラウドスピーカーから流れ出すのが心臓に悪い。「怪傑ハリマオ」「かわいい金魚屋さん」なども作詞されてます。歩兵Bは突然の音にたまげて転ぶとこでした
 

笛を吹く武者


言わずと知れた…?? 歩兵Bにはわかりません市役所前に立てられた「笛を吹く武者」像。バックの赤レンガは言わずと知れたかつての深谷名物。
 

「散歩道」(日本煉瓦引込線跡)


古い地図を見ると線路として描かれてるのがこれですかつて日本煉瓦深谷工場まで続いていた引込み線の跡が「散歩道」という名の遊歩道となって残されている。日本の近代化を支えた煉瓦であるが、その原料土を採取するために破壊された古墳群などの遺跡も多いと伝えられる。
 

東方城跡


立地などからみると、もともと古墳のあった場所だった可能性は高いような気もしますけど…東方(ひがしがた)にある。1590(天正18)年、徳川家康の関東入りに伴い松平康長が一万石の城主として入城したと言われるが、あまり実態がよくわかっていないようである。現在はわずかに土塁状の遺構がちょうど小型の前方後円墳の感じで残っているのみである。近くに木の本9号墳もあり、古墳だった可能性は無いのだろうか。
稲荷町北古墳からもう一度→→


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