![]() | 〜古墳軍ニュース〜【2008/03/21】 取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。 | →バック ナンバー |
![]() 受付で貰ったパンフレットがこれ。A3二つ折で紙質も良い。整理券もお金のかかったものだ。 | ![]() パンフと配布資料より。円内が今回の現説の対象区域。蛇行する帯は河川跡。(クリックで拡大) |
![]() 今回は古墳時代の住居址・古墳・河川跡がメイン。低湿地のため堰の遺構など木材が腐食を免れて残っている。画面手前20mほどのところに鋤や臼の出土地点も。 | ![]() 旧河道は右下から左上へ。これを右上へと流れを変えるための堰で、長い横木に杭を並べて差込み、その後ろに支えの大木を置いている。緻密で高度な土木技術。 |
![]() 17号墳が被さっている住居址。古墳ではなく住居址から内行花文鏡が出た。調査員氏の立つ辺りは周溝で埴輪片が見えている。 | ![]() 左画像の左上に見えている17号墳周溝の埴輪片。円筒ではなさそう。このすぐ南は調査区域外なので、17号墳は半分ほどしか見えていない。 |
![]() 17号墳を東寄りから。反町遺跡ではこれまでに27の古墳が発掘されているが、墳丘の残っていたものはない。 | ![]() こちらは全貌が見えている14号墳。みんなこうしたパンケーキ状で、主体部の検出されたものはないという。 |
![]() 左から21・20・19号墳。規模は見たところφ20〜30mほど。かなり密集しているので、周溝と周溝の間がこんなに狭かったりする。 | ![]() 出土資料の展示もあり。がっしりした臼はむき出しでぼーんと置かれていて、係の人がちょくちょく水をかけるという大変手間のかかることになっていた。 |
![]() 鏡板や辻金具、手綱などもきっちり表現されている飾り馬。面繋などには鋲まで打ってある。 | ![]() 比較的質素で、滑らかにした表面が美しい馬。こちらの鏡板は長方形。上方に見えるのは左の馬からとれた鈴。 |
![]() 人物埴輪も数点展示されていた。後ろの丸いものは鞆形埴輪で、でっかく作ってないところがなにやら奥ゆかしい。 | ![]() 住居址から出た土師器類。坏・坩・器台・小型壺など。他に台付甕や高坏もあった。 |
![]() これが例の内行花文鏡。管玉と滑石製勾玉もあったがどこから出たものか表示されていなかった。 | ![]() 墨書土器より気になる「すえきくん」。「はじきくん」もいる。カード全部にこういうキャラクターがついているのである。 |
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2008年3月16日取材 東松山市にある反町遺跡の現地説明会に行ってきた。2005年に参加した遺跡見学会とは別の調査区域で、今回は古墳時代の遺跡が中心。 早めに着いたはずが駐車場が埋まりつつあり、受付には既に列をなしている状況にびっくり。年齢層はかなり高いように見受けられたが、地元小学生らしき参加者の姿もあって、なかなか周知が行き届いている印象だ。どうやら午前の部だけで700人近い見学者が訪れたらしい。 ここは低地で発掘前は水田。奈良時代には既に田んぼだったらしい。パンフに「古墳時代の大開拓地」とあるように、河川を拠り所に開けた土地であったようだ。 新聞記事は臼を取り上げていたがメインは堰の遺構だろう。保存状態もよく当時の土木技術の高さを伝える一級の資料だと思う。湿地のおかげで他の木製品も多数残っているようである。 今回の区域の古墳は全て円墳。かなり早い時期に墳丘が失われていたようで、残念ながら主体部が検出されたものはなかったが、周溝から埴輪が出ている。古墳の下の層には住居址群があり、堰を作ったのはそこに住んだ人達だろうか。 発掘はまだ続くが、ここは調査後ショッピングモールなどになるそうで、出店予定のユニーの担当者の言によれば「遺跡に関する展示スペースを設ける予定」とのこと。ちょっとだけ期待して待つことにしよう。 | |
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