![]() | 〜古墳軍ニュース〜【2005/11/05】 取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。 | →バック ナンバー |
![]() 北東から。今年もまた二子山はコスモス畑にとりかこまれていた。まだからっ風も吹かず暖かな日だった。 |
![]() 受付テントの片隅で展示された出土品。これはくびれ部の円筒埴輪のうち築造当初からの太めのもの。 |
![]() 南中島出土品。須恵器器台、ハソウなど主に祭祀具と目されるもの。須恵器大甕の口のようなものも見受けられる。 |
![]() 墳丘からの浅間山。後にこの日初冠雪を観測したことを知った。 |
![]() 春の現説で完掘状態で公開された北中島も完全に埋め戻されてコスモス畑に。 |
![]() 全貌をあらわした主体部舟形石棺。左端に立つ人物の背後付近に新たに検出された第二主体部石槨がある。 |
![]() 南西側。こちらには縄掛突起が無いらしい。今回向こう側の南東側を大きく掘って調査された。 |
![]() 南東側。ひび割れの様子がよくわかる。昭和5年の調査後に破壊され、後にまた修復された疑いがあるとのこと。 |
![]() 北東側縄掛突起。小口に2個は珍しいそうだ。舟形石棺としては大きな方らしいのでそのためか。 |
![]() 隣接2古墳の石棺の身は無事なのになぜこれはここまで破壊されたのか。蓋が行方不明なのも気がかり。 |
![]() 北西から。右端の礫で作られた空間は副葬品収納部。周囲の礫は整然と並ぶが昭和初期の積み直しの疑いあり。 |
![]() 東から第二主体部。中央最高部の礫群がそれ。後円部頂の北端近くで舟形石棺部に比べかなり浅い所である。 |
![]() 第二主体部。左のロープがほぼ主軸方向を示す。わが埼玉稲荷山古墳で金錯銘鉄剣が出た礫槨の位置と相似。 |
![]() 南西から。なんとなく石槨の形はわかる。全体が残っていたとしてもかなり粗い石積みの簡略なもののようだ。 |
![]() 南中島全景。北中島とほぼ同サイズ。上部は削られて低くなっている。トレンチは左右がNo.45上下がNo.46。 |
![]() No.46トレンチ南中島の北西側の端。葺石の状況も北中島と同じ。今回地下水大量湧出中だった。 |
![]() No.46トレンチ南中島南東側端部。人の足に比べ葺石が案外小さいのがわかる。向こうの端が内堤の立ち上がり。 |
![]() No.46トレンチの南中島よりさらに外側の部分。外堀の端と外堤の立ち上がりが確認できる。 |
![]() 前方部南側のNo.47トレンチ。ここでも外堀と外堤を確認。この右方向で外堀のコーナー(屈曲点)が検出された。 |
![]() 今回の第3の目玉No.50トレンチ。外堀のコーナーが検出された。 |
![]() 同じくNo.50トレンチ。前回説明会では反対側の内堀の西端コーナーが公開されていたが見かけはそれと同じ感じ。 |
![]() No.50トレンチ土層状況。隣のNo.48トレンチでも内堀コーナー検出を試みたがすでに中世の溝で破壊されていた。 |
![]() No.50トレンチの隣のNo.49トレンチ。外堤の立ち上がり部検出。 |
![]() No.50トレンチ付近からは墳丘部がはるか遠くに見え、外堀まで含めた墓域の広大さがわかる。 |
2005年10月23日取材 群馬町の井出二子山古墳の現地説明会。これが最終ということである。久しぶりの晴天に恵まれ、コスモスそよぐ傍らでの説明会はなかなかの盛況。散策がてら訪れていた人々も少なくなさそうであった。 今回は南中島と、新たに検出された第二主体部とがメイン。南西側外堀のコーナーもきれいに出ていて、墓域の大きさには改めて唸らされた。 今後は公園としての整備が進むことになるとか。八幡塚のように葺石を置いた姿に復元するのではなく、現状を生かした形になるらしい。どちらにしても、墳丘に上って眺望を楽しめる古墳というのは案外貴重なものなのである。博物館ともどもうまく運営していかれるとよいのだが…。 |
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