![]() | 〜古墳軍ニュース〜【2005/09/05】 取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。 | →バック ナンバー |
![]() 笊内古墳群(東村)。円墳2、前方後円墳1(2号墳17m)、方墳1、石棺墓1、横穴墓54の複合古墳群。農地開発で完全消滅。東風の台公園内に4号墳石室を移築復元。 |
![]() 笊内古墳4号墳石室。復元墳丘の下、更にコンクリートの掩体で保護されている。凝灰岩の荒い切石積み。両袖式というが不明瞭。例のごとくカマドウマの巣窟と化す。 |
![]() 古殿町稲荷神社の東の愛宕神社裏の塚状物(古殿町)。同町宮前古墳群探訪予定だったが事前調査不足で到達できず。 |
![]() 古殿八幡神社。笠懸流鏑馬で有名だが開催日以外はひっそり。小林和平氏作の独特の狛犬の方がいつでも見られてお得。 |
![]() 大壇古墳群1号墳(石川町)。墳長39mの前方後円墳。地中レーダーで横穴式石室検出。道路反対側に36mの前方後円墳の2号墳(29m)はじめ9号墳まで保存。 |
![]() 大壇古墳群4号墳。径18mで群内最大の円墳。説明板では3号墳も前方後円墳として描かれているが町教委の調査では確証を得ずと報告されている。 |
![]() 悪戸古墳群9号墳石室(石川町)。元11基、現存9基。この背後の山の中にも円墳数基がある。最大でも20mほどの円墳群だが巨石が露出した石室が強い印象を与える。 |
![]() 悪戸古墳群1号墳。長さ6mの玄室のみ残る。墳丘推定20m程度。所有のお宅のご主人の話によると近くの空港から観光客がタクシーを連ねて訪れるそうだ。 |
![]() 宮ノ前古墳(玉川村)。丘陵斜面に石室開口。説明板が見えながら夏草が茂り接近不能。今回他市町村の個人宅内の古墳は親切に見学させてもらえただけにつくづく残念。 |
![]() 宮ノ前古墳石室。群馬県前橋市総社古墳群などを思わせる、終末期古墳特有の整った切石積の石室。当初から天井石の端を露出させる設計らしい。 |
![]() 須賀川市歴史民俗資料館(須賀川市)。元は旧長沼町の資料館。特色ある資料としては人面取手付土器、室町時代の修羅、長沼染型紙などがある。 |
![]() 須賀川市立博物館・歴史民俗資料館。亜欧堂田善の超細密銅版画コレクションが目玉。全体の展示の図録を頒布していないのが不満。 |
![]() 大安場古墳群1号墳(郡山市)。墳長84mのまだ発見されて数年の前方後方墳。後方部中央粘土床に割竹形木棺。円形車輪石(石釧)出土。付近に他に円墳4基。 |
![]() 大安場古墳後方部から。前方部と後方部の軸線がずれている。初めは城郭跡と思われていたそうだ。事実、非常に見晴らしは良い。国史跡になり整備中。 |
![]() 二子塚古墳(大玉村)。長53mの前方後円墳。葺石有り、埴輪無しの後期古墳。東北道が近く、後円部わきに「大玉村高速道路地権者会ノ碑」がある。 |
![]() 二子塚古墳側面。右が後円部。くびれ部は削平されている。埴輪は無いとされているが周囲に土師器片が散見される。 |
![]() 金山古墳(大玉村)。天王壇古墳のすぐ東、本宮町との境界すれすれにある円墳。現状規模は天王壇古墳と同程度だが詳細不明。 |
![]() 金山古墳北東から。墳裾に墓地、墳頂には社がある。説明板も標柱も無く、近くの他古墳の説明板にも触れられていない。 |
![]() 天王壇古墳(本宮町)。径38mの造出付き円墳。造出部(写真温室の向こう側)の溝から甲冑形埴輪、東国最古の人物埴輪など多数出土。 |
![]() 天王壇古墳周辺の土師器あるいは埴輪片。周溝付近からは北限の埴輪棺も出たそうだ。主体部については不明だが盗掘済みのようで期待薄。 |
![]() 庚申壇古墳(本宮町)。墳長45m以上の前方後円墳。葺石・埴輪を伴い推定5世紀の築造。もともと低かったらしい前方部はかなり削られている。 |
![]() 庚申壇古墳後円部から前方部方向。林でよくわからない。主体部は不明。後円部頂にはその名の通り庚申塔や二十三夜塔などが建てられている。 |
![]() 傾城壇古墳(大玉村)。長42mの前方後円墳。周辺から60mの山頂。推定4世紀代築造のこの付近最古の古墳という触れ込みだが現地に標柱があるだけで説明板も無い。 |
![]() 傾城壇古墳墳頂。近年赤く彩色された土師器壺片が採集されている。しかし主体部が盗掘で大きく破壊されているので今後多くの発見が期待できないのが残念。 |
![]() 跡見塚古墳群(須賀川市)。実態不詳だがほぼ消滅らしい。調査後(!)の土木工事中に玉類・金銅製刀装具などの遺物が発見された。 |
![]() 跡見塚付近の墓地。左寄り草の盛り上がりのようなものは石室あるいは石棺の石材様のものの集積。花や線香が供えられているのも怪しい。 |
![]() 神成横穴古墳群(須賀川市)。かの安積疎水工事中に調査。14基以上の短い羨道を持つ横穴が横並びに。須賀川市内には横穴墓群が多い。 |
![]() 神成横穴古墳群の1基。全体的に小ぶりで平面形は隅丸方形・長方形、天井はドーム形。必要最小限に掘り易いサイズと形に作られている感じ。 |
![]() 蝦夷穴古墳(須賀川市)。水田の中の果樹園農家の敷地内にある。現状は長方形状だが推定36m程度の円墳。後期後半の古墳とされる。 |
![]() 蝦夷穴古墳石室。玄室長4.35m。楽に立って歩ける高さ。前庭部まで含めれば11mに及び東北地方最大とも言われる。奥壁、天井石と側壁下部に巨石が用いられている。 |
![]() 団子山古墳(須賀川市)。舌上の丘陵先端部利用の径40mの円墳。埴輪片有りで未盗掘の可能性高いということで今後大いに期待できる。 |
![]() 団子山古墳説明板。須賀川市は一様にこの木製タイプだが大して古くないのに風化が著しい。地中レーダーで横穴式石室・周溝検出と記されている。 |
![]() 市の関稲荷神社古墳(須賀川市)。墳長35mの前方後円墳。JR水郡線のすぐ脇にある。和田大仏と横穴古墳群は阿武隈川をはさんだ対岸である。 |
![]() 市の関稲荷神社古墳後円部から。今回見た中では最も墳形がよく残っているが、神社古墳であるせいか情報に乏しい。近くの家の庭には怪しい巨石が置かれていた。 |
![]() 大塚古墳(須賀川市)。径30mの円墳。阿武隈川が玉川村との境で蛇行する所の近くにある。景勝地乙字ヶ滝も近い。墳丘は築造当初よりかなり縮小している。 |
![]() 大塚古墳石室。玄室長11mで蝦夷穴古墳とほぼ同規模。持送り強く天井が狭い。天井・奥壁・床に巨石を用いるが、蝦夷穴古墳より積み方が粗い。 |
![]() 和田大仏及び横穴古墳群。高3.6mの摩崖仏。牡丹園の東南1kmほど。摩滅が激しく阿弥陀如来か大日如来かも不明らしい。須賀川には他にもいくつか摩崖仏がある。 |
![]() 和田横穴古墳群。アーチ形天井で奥行きが無い小規模なものがほとんど。付近に大仏前古墳群(3・15号・塚畑古墳が前方後円墳)があったがほぼ壊滅。 |
2005年8月13日〜15日取材 恒例の東北探索行は三回目の福島県。今回は中通りを巡る旅を企画した。訪れたのは、古殿町、石川町、大玉村、本宮町、東村、玉川村、郡山市、須賀川市。 都合により事前の調査がかなり足りなかったため、予定しながら行けなかったところ、訪れてみたものの場所が判然としなかったものなどあり少々悔いは残るが、天候も雨もようながらなんとか持ちこたえてくれたのは幸いだった。 なかでも、東北最大の石室といわれる蝦夷穴古墳をはじめ、数々の石室を堪能できたのは大収穫。地所内に古墳のある家の方には、お忙しいなか案内をしていただいて申し訳ないやら有難いやら。貴重なお話も伺えて楽しいひとときであった。 |
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