超短編集

kneo自作ショートショート集。
これらは日経MIXおよびNew MIXのsf会議に発表した作品であり、一部は後から手を加えた。
歴代の議長であるimaokaさん、destroyさんに感謝。
すべて(c)吉川邦夫。無断掲載引用盗作を禁じる。

2013-12-19: 「獣」を推敲。
2002-10-12: 「予言」、「獣」など推敲。
2000-11-22: 整形を調整。「獣」を真鍋博に捧げる。「俺が降りる駅のブルーズ」、「ハナモゲラ惑星にポルノ小説」など推敲。
2000-10-24: 「車輪の発明」推敲。
2000-01-21: 「車輪の発明(旧題:不屈の魂)」、「花の名前」、「首都改竄」、「ハナモゲラ惑星にポルノ小説」他を加筆改訂。
2000-01-21: 「夢放送」「ミニー・マウスのバラッド」「花の名前」「夢見るひと」「メカタン」「ジュラシックパーク2」「ノドに優しい時代」「テープ」「その人は」「接近遭遇時に記憶される5音の旋律の解釈について」「オーケストラリア」を2軍落ちにする。




車輪の発明

「よお先生。また何か作ってるね。その薄べったい石は偽金かい?」
「何を言うか。この丸い石を2つ、真ん中に穴を開けて棒の両端に固定し、棒を木箱の底に作った凹みに通す。箱に重い荷物を入れ、ロバに引かせて運ぶ。どうだ。今度こそ大発明だぞ」
「ふうん。しかし、凹んでるとこが熱くなって燃えたりしねえか?」
「ぎくっ。無学なおまえが、なぜそんなことを知っている」
「俺は粉屋だぜ。水車のどこが熱くなるかぐらい知ってらぁ」
「そういえば水車にも似ておるな。では水を入れた瓶を準備するか。いや、その部分も石で作るか」
「だがなぁ、そんな発明、ものの役には立たねえぞ。隣村へ行く道ときたら雨が降ったら泥んこだ。そんな石なんざ埋もれちまう。その先は山道で岩がゴロゴロしてる。そんな凹みなんざ、すぐに外れる。一歩も進めねえだろうよ。それとも人夫を雇って平らな道を作るかい? そんな金がどこにある? 無駄だね。荷物はロバの背中に載せるものさ。ま、気を落とすなよ。じゃあな」
先生は気を落とさなかった。そして、ブルドーザーを発明した。




予言

「あ、いま何か隠したな、ケン坊。それ何だ。ちょっと見せろ」
「なんでもないよぉ。やめろよぉサブちゃん。わ、駄目だよぉ」
「へへへ。どれどれ、なんだ写真か。あれれ、この人、オレの親戚かな」
「あのさ、それはね、サブちゃんなんだよ。今から50年後の」
「なに、こんなハゲオヤジになるって。またウソだろケン坊。じゃあな、となりに写ってるシラガの爺さんは誰だ。言ってみなよ」
「それが50年後の僕だよ。国の研究所で時間技術の研究をしてるんだって」
「マジかよケン坊。そしたらアレか? こいつは、えーと2050年の世界から...」
「僕が発明したタイムマシンで送られて来た未来の映像らしいんだ」
「らしいって何だよ。未来からケン坊が来たわけじゃないのか」
「いや、未来のサブちゃんは僕の部下でね、これを送ってくれたんだ。健一君は日本にとって重要な人になるって。だから、いじめたりするなって言ってたよ」
「ったくもう、大ウソつきめ。悪いけど俺は、ケン坊なんかよりずうーっと偉い大人になるんだぜ。お前なんか一生ウソつきのいじめられっこだ」

サブちゃんには見せなかったが、ケン坊は写真と一緒にこんな手紙を貰っていた。
「健一君。私は50年後の三郎だ。私は科学省長官になったが、君は独力でタイムマシンの原理を発明した。だがマシンは未完成だ。手紙と写真を送るのが、せいいっぱいなのだ。ところで私が出世することは私(サブちゃん)に言うなよ。未来の自分を知ったら絶対に努力しない。そういう性格だ。だが君は違う。この写真を励みに、よく勉強し、発明の基礎を固める研究をして、どうかマシンを完成させて欲しい。」
三郎は、健一自身の未来を教えなかった。教えようもない、人間を過去に送る最初のテストに志願した健一は、50年前に向かって出発したきり帰らなかったのだ。

(手塚治虫に捧ぐ)




お〜い、でてこい

深い穴が開いていた。淵からまっすぐに落ち込んで底などあるものかと思
うほど深く、向こう側が霞んで見えないくらい大きな穴。落ちたら誰も助
からない。戦いでは、捕虜が何万人も落とされた。追い剥ぎが旅人を突き
落とし、罪人は穴に突き落と     を掘る代わりに死体を穴に落とし
た。食べ残しの屑も、汚物       も、なんでも穴に捨てていた。
やがて役人が穴の周囲に         その作業で、大勢の労働者が
穴に落ちた。そして役人         取った。何を捨てるにも金を
取った。けれども、穴ほ         なかった。穴は浅くなるでも
なく、臭いもせず、蝿も出       もしんと静まりかえっていた。
ついに白人どもがやってきた。    穴を調査し、測定不能なほど深い
と報告した。次に軍隊がやってきた。巨大な爆撃機から、作りすぎて始末
に困った悪魔の爆弾を大量に投下した。地球を何度も壊すほどの爆弾を。
しかし何事も起こらなかった。黒い穴からは何も出てこない。数世紀が過
ぎ、地表の資源は使い尽くされ、生命は消え失せた。穴だけを残して。

(星新一に捧ぐ)




What can I say ?

気掛かりな夢から醒めると楽園の外にいた。神様の声が聞えた。
「あんた、進化しなさい。進化して、次の段階に進みなさい」

熱い蒸気を浴びて、ウニは思った。
「このへんに、おれのいのちがあったなぁ。どっか、このへんに」

親方は俺に55マルクくれた。濁った声で「元気でな」と言った。
駅の食堂で、パンと安ワインとチーズを食べた。
それから俺は、列車に揺られながら母親の夢を見た。
母親は泣いていた。




原始的な四足動物が上陸してきた。重力と闘うように、よたよた歩行していたが、やがて足取りがしっかりして、腹が地面から離れた。骨格の無駄がなくなり動きが軽くなる。裸子植物の森林に入った。ますます元気になり、ついに後足だけで歩き始める。長い首をもたげ、水平に伸びた尻尾を振り、大きな両眼で獲物を見つけ、走りだす。昆虫を追いかけているとき、隣のライヴァルに気付く。顎が大きくて、鋭い歯が獰猛そうだ。食うか食われるか。両眼の大きな獣には羽毛が生えた。羽ばたき、何度も跳躍し、咆哮する大口野郎なんざ尻目に、空へと舞い上がる。歯が消え、前肢の爪が消える。眼下は針葉樹の林から花の群生へ変わり、海岸となった。そのとき「ずどん」。彼は撃たれ、死んで落ちて行く。隷獣が駆け寄って彼の死体をくわえ、主人の許へ走る。ハンターは銃を置いて犬から獲物を奪い、大きな顎と鋭い歯でバリバリ食べてしまう。食うか食われるか。彼は咆哮し、銃を取り上げ、次の獲物を狙う。そのとき「ずどん」。隣のライヴァルに撃たれて彼も死ぬ。隷獣は勝者に向かい、殺された大口野郎の残骸は、雨に打たれて水辺を流れて行く。

(真鍋博に捧ぐ)




首都改竄

そしてついに東京は超軽薄なアナグラム族に占拠され、すべての良識は壊滅した。
以下に示すのは、当時のJR「待てや線」路線図である。

         ※ゴマ
      ガス藻   バタた
     大カツ     リニにシッポ
   色気九分       っポリに
    メロ痔       うに大スグ
 バカのた駄馬       ウノ絵
     縮腎       父オカマ
    ヨギ世       腹あばき
  ジュラ爬区       蚊談
    シヤブ       兇盗
     S美       空輸ラ鳥
    ログ目       蛮獅子
    タダンゴ     挑発ママ
      竿起き   血股
         罠菓子

この図には、まことに卑猥な装飾が施されるのが常であった。




俺が降りる駅のブルーズ

俺が降りる駅の下にはよ、必ずブルーズマンが居やがってよ、
俺が降りる駅の下にはよ、必ずブルーズマンが居やがってよ、
 くだらねえ仕事の汗に濡れた俺の下着の歌を必ずうたう。
俺が降りる駅の下に必ず居るブルーズマンは歌が巧くてよ、
俺が降りる駅の下に必ず居るブルーズマンは歌が巧くてよ、
 昼間稼いだ俺の緑色のカネをビールとタバコに換えやがる。
その夜、俺はとてもくたびれて、耳は何の歌も聴けねぇ、
その夜、俺はとてもくたびれて、耳は何の歌も聴けねぇ、
 そしたらブルーズマンが謡った、「じゃあ俺の家に来いよ」
「俺はおちぶれて台所にはネズミも居ないんだけどさ、
  俺はおちぶれて台所にはネズミも居ないんだけどさ、
  二階の太った酸っぱい未亡人がチーズとサラミをくれるよ」
ビールとタバコを買って奴の家についたら、二階もありゃしねぇ、
ビールとタバコを買って奴の家についたら、二階もありゃしねぇ、
 そしたらブルーズマンが呟いた。「世の中、間違ってるね」
俺たちはブルーズマンの汚い台所で飲んだ(ネズミはいなかった)
俺たちはブルーズマンの汚い台所で飲んだ(ネズミはいなかった)
 ビールとタバコが切れる頃か、そのちょっと前に俺はそこで眠った。
朝起きたら野郎は居ない。俺は奴に貸しがあるような気がした。
朝起きたら野郎は居ない。俺は奴に貸しがあるような気がした。
 だから野郎のギターをかっぱらって、喉が乾いた頃にさよならした。
駅でビールとタバコを買って、うとうとしていたら夜になった。
駅でビールとタバコを買って、うとうとしていたら夜になった。
 ギターなんか持ってるもんだから、俺はちょっと歌ってみた。




ある花火

ああ。ああ、おかあさん。おかあさんぼくはおなかがすいた。ぼ
くはなにかたべたい。何かを見物して、それからなにかをたべて
それからきっと兄は祭を撮影し額縁屋の小僧さんといっしょにお
にいさんはお勉強するんだ数学とか難しい本をよんでぼくにおし
えてくれる難解な書籍を微分方程式を。僕は兄の本にはさしえが
ないので、複雑な諸理論の概要を知り新発見や銀河系がどうして
できて、星の生涯やら相対性理論が説明する光とか波のことをお
ぼえて更なる知識欲と歴史的発展天体物理学は人類の進化をいっ
たいどの星へ誘う屈折式天体望遠鏡会合周期の計算と食のふしぎ
なこと闇を求め赤道儀中央標準時黄道傾斜章動など紙のうえのほ
しの動き月の視赤経視赤緯視差朔上弦望下弦南中を覚えていく。
それから空力学弾道計算硝石黒鉛燐水素酸素の周期表と実験をか
さねて種子島へ重力加速度離脱速度成層圏超高層空は黒くなって
いき雲はなく電離層反射波観測周波数対反射点見掛け高さをまる
であの太陽紫外線電離生成化学反応生成消滅を観測測定している
のは兄か彼の友人か地磁気嵐最大電子密度重力から解き放たれて
ただよう無重力の理想的環境融解熱蒸発熱燃焼熱窓のそとにみえ
るのは月と星と暗黒星雲の物理的諸量と輻射補正と太陽そうとも
これこそ主系列星の中の実視絶対等級彼は地球の慈母、彼こそが
われら従なる僕の進化発展を促進し黒点と彩層域と紅炎のいろど
りをして人を類人猿の薄明や知的爬虫類の跋扈からも救いたもう
たほむべし我が神よ永遠の水素爆弾全波長なる輻射のたまものよ
とこしえに燦くべし燦燦と、燦き燦燦とあれ燦き燦くひかりあれ
かみひかりあれ燦とい燦いた燦燦まい燦け燦れば光ありきかみひ
かりよしとみたまい神ひかりと闇とを分かちたまえりかみひかり
をひるとなづけ、やみをよるとなづけたまえり夕あり朝ありき。




荒ぶる魂

ああ、うちの星にも運動会はあるよ。あたりめえだよ、体育会系の星なんだから一年中運動会だよ。雨天順延なんてことはしないよ。酸性雨が降っても流星雨が降っても、やるときはやるんだよ。馬鹿にしたらいけんよ。
まあいいや、まず最初に選手専制を行う。つまり選手が絶対の権力を握り、すべての運営を司るわけだ。この権利を選手権というのだ。よく覚えとけよな。選手権は予選を通過しないと獲得できないから、各地の予選で厳しい試練を経た者だけが選手権を得るという、それほど大切な権利なんだぞ。だから選手専制には絶対の忠誠を誓わなければならないのだ。それが役員および観客の宣誓である。
それから儀式として生け贄をささげる。昔は処女の生き血をプールに満たしたらしいが、最近は処女の供給が滞りがちだから、まあ奴隷を2、3匹血祭りにあげるくらいだな。大運動会だと、もっと殺すよ。派手でいいよ、大会は。
最初の競技は、だいたい騎馬戦だな。ウマは奴隷を使う。武器は槍と盾だ。鎧カブトは、かなり自由に選べるが、電子機器の応用は禁止されている。もちろん細菌兵器や毒ガスもだめだ。相手を殺した選手が勝つ。
次は玉入れだ。玉は砲丸を用いる。当たると死ぬから、終わると死屍累々となる。入った玉を放り投げるのもかなり疲れるぞ。
それから綱引きもやる。これはワニザメがうようよいる池の上で引っ張り合いを行い、負けたほうはもちろんワニザメに食われるわけだ。あとは、まあ格闘球技、格闘五種、格闘リレー、奴隷食い競争といった具合だな。障害者も参加するよ。うちの星じゃ腕や足の1本や2本なくて当たり前だからね。
え、奴隷はどうやって手に入れるかって? おまえね、いくら私ら体育会でもね、自分の星の知的生命体を奴隷にするなんて、そんな野蛮なことはしませんですよ。わかりましたか? わかったら、さっさと跪いて焼き印を受けなさいね。

(椎名誠に捧げる)




お隣の白木蓮の木に

 もう気になってしょうがないんですの。ほら、もう、あんなに膨らんで、はちきれそうになっていますもの。
 いったい、いくつあるんでしょう、あの蕾の数は。わたし、毎年ですのよ。おたくの白木蓮の木に、今年はどんな花が咲くのかなって。
 あなた、ご存知かしら。昨春は、それは可愛い花が咲きましたの。ちょっと蒼いくらいに白くって、ぽっちゃりと重そうで、ふてぶてしくて、健康そうで、元気そうなお花がたくさん。
 わたし、とても嬉しくなってしまって、はしゃいでしまって、あのねぇ主人に叱られたんです。ちょっと、お前、変じゃないかって。
 いいじゃありませんかねぇ、お隣の幸せに嫉妬したくらいで怒ることはないですわよね。あら、嫉妬だなんて。でもねぇ、ほんとにうらやましかったんですのよ。蕾の頃からねぇ。
 いえ、主人にはわかっていますの。うちの庭には、もう花は咲きませんの。一度、むかし、咲きましたけれど、蕾のうちに萎れましたの。医者も匙を投げましたの。
 ですから私もあきらめましたから、せめてお隣さんの木を眺めて、今年はどうかしらって、眺めさせていただいておりますのよ。
 もうじきですわね、もうじき産声が上がりますわね。そして、まるまると太ったもくれんのはなが落ちてきますわね。わたし、それが待ちきれないんですの。





熱帯夜

あんまり暑いので携帯電話の店に行ったらカメラが泣いていた。パソコンが殺されたらしい。おれはパソコンのよく動く首が嫌いだったからいい気味だと思った。それにしても誰に殺されたんだとおれが聞くとよくわからないのとカメラは答えた。でもきっと眼鏡に決まってるわ。だろうな。いまどきの電卓や腕時計にそんな度胸はない。おれはうなずいた。どこの眼鏡かわかるか。わからないのようとカメラは喚いた。でもぜったい殺してやるわ。おまえパソコンが好きだったのかと聞いてみた。カメラは驚いたらしく目を見開いておれの顔を見た。なんでそんなこと聞くのよう。なんでってことはないがどうなんだよとおれは言った。あんたに話してもしょうがないわとカメラは言った。ひでえことを言いやがる。なんてひでえことを言いやがるんだこの女。おれはあんまり頭にきたのでカメラの頚動脈にアンテナを突き立てた。引き抜いた。赤く細い血が間欠泉のように噴出し飛び跳ね脈を打って流れ落ちた。カメラの顔が表情を失いながら意味のないことを喋った。それからだらだらと崩れ落ちていった。なんだかパソコンを殺したのはおれだったような気がした。いやそうだったかな。違うような気もするな。どうでもいいさ。パソコンは死んだ。カメラも死んだ。とにかく今夜は暑すぎる。また何か飲みたくなったのでおれは携帯電話を探した。携帯電話はどこかに電話をかけていた。電話が終わったらフローズンダイキリを頼むよとおれは言った。




ハナモゲラ惑星にポルノ小説

あひょっ
頑拗な薬注で捻じられた珠異に、賢妙な登背曲動が効奏する。「はや記されてか」
「簾に速達で」違腹に木挽の豪笑が戻る。「ほら、ペトリ皿に液痕が残ってるぞ」
「縮緬でしょうとも」珠異に先祖伝来のこむらが促照する。「情史のくせに何を」
死孵した違腹に脆寂なマドリガルが宿る。「腐肉な。満書すべからく揉まれた」
両人の文脈に沈黙が蚊帳を掛ける。
「我勝ちに攀じ豚さ。しかし先祖の本が何を」語彙シーツを広げた違腹に、覚束ない仏邪心が託される。「そうだ、紀仏覇損に輩らの託命が塗別されてから、翌春に重金属式を迎える。毒水にも染まれと知るが、貸借が対照されたのだな」
「まあ、そんなに」珠異に日本語が返る。
「そう、もう500年になる。あの陳腐な猥本を残して、先祖に謎の消滅が訪れてから。おや、先祖の言葉が戻っているぞ」
「アラ本当に。でも、私たちの言葉に、まだちょっと妙なところが」珠異の脳裏に疑念が羽ばたく。「ああ、悲しい。私たちに、少しでもわかればいいのに。その変が、いったいどう変なのか」
「いや、むしろ先祖に定本を撒くメソッドがあれば」
「さすれば輩らにも、春信な動転が継承されたものを。やや。ややや。」顆驚が珠異の眼底を走る。「畜年の腰透かし。こたびも金瓶梅なりや」
「原罪に過去はない」違腹に諦鉄が打たれる。「かく輩らに託された淫業なれ」
「されど」珠異が挿油される。「あれ、またペトリ皿に液が。あひょっ

(筒井康隆に捧げる)




敵性音楽

予報が当たってドーヴァー海峡は快晴になった。天気が良すぎて上昇気流が気になる。海岸沿いは風が強すぎて条件が悪いから少し離れた位置で、と顧客を納得させたボスに感謝しよう。ただし本番が終わってから。
「キャッスル。準備完了した。エンパイアどうぞ」
「エンパイア準備完了です」間を置かず、明瞭なアメリカ訛りが耳に飛び込んでくる。
「了解。ギャラクシーどうぞ」
「ギャラクシー、OKです」若いパイロットだが落ち着いた声だ。
「キャッスル了解。最後のコースに入る。時刻、コースとも予定通り。以上」
機首を海岸に向け、計器を睨みながら高度と速度を合わせていく。まばゆいほど青い空と海の間に白亜の断崖が見えはじめ、それが大きくなるにつれて、崖の上に草原の緑が広がっていく。気流による上昇は計算に入っている。リハーサルよりもスロットルを開き加減に。よし、大丈夫だ。プロペラの回転数も完璧だ。うまくやって顧客を喜ばせてやろう。
その進路の先、誰もいない朝の牧草地のど真ん中に、皮張りの安楽椅子が一脚だけ置いてある。そこに座っている男が顧客だが、百歳も超えたかと思われる白髪の老人だ。家系を示すキルトを膝に掛け、髭の間に古色を帯びた大きなパイプを銜えている。その頭上、300フィートの高度で、双発戦闘機キャッスルが通過する。その僅か上をエンパイア、さらにその上をギャラクシー。この瞬間のために再現された3機のメッサーシュミットBf110だ。排気が描く直線が、120度の角度で交わり、離れて行く。しかし老人は空を仰ぎもせず、目を閉じている。彼が聴いているのは、遥か昔、少年の日々に聴いた音。どうしても忘れられなかった和音を、もう一度聴くために、彼の半生は費やされた。爵位も広大な領地も売った。愚行か。非国民か。いずれにせよ彼が聴きたかった音楽は、いま終わる。




妄想竹

我輩は竹である。名前はまだないどころかたぶん永久にない。固有名詞で呼ばれることなどa prioriに断念せざるを得ないところの無名性のイネ科常緑植物である。幹の中がからで節があり弾力に富みまっすぐ伸びる。主にアジアに産し種類が多い。松・梅と共にめでたい植物とされ風雅の友ともされる。このへん岩波国語辞典を引用している。もっとspecificに叙述するならば我輩は竹製品である。もとは竹という植物だったが人間の手によって加工されある種の道具となって永遠とは言わないまでも生物としての寿命を超越して存在し続ける器具的実存として自他共に認識されている。しかり我輩は物干竿である。であるけれどもしかしそのように名前を与えられ定義されて満足できるほど我輩の存在は単純ではなく竹的存在としての我輩はいわば一人のジプシーがジプシーと呼ばれる共同体の根茎の一部であり一個の脳髄が人類と呼ばれる根茎の一部であるように竹と呼ばれるグローバルな超国家的アジア的温帯生命の根茎の一部なのである。その我輩を腹が減ったからといってノコギリで切断し長時間圧力鍋で煮てはならない。警告するが、そのような行為は忌避されるべきだ。かかる高熱と高圧を与えられた我輩は煮えてしまうであろう。我輩は食われてしまうであろう。我輩は竹である。しかし考える竹である。熱い熱い。煮てはいけない。我輩は苦しい。我輩は死ぬ。

(嵐山光三郎に捧げる)


2軍

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