漫 筆 鳥 話

目次

プロローグ
第一話 11と18 2001年6月
第二話 ベテランらしく見せるためのミーハー鳥見講座 -名前編- 2001年7月
第三話 ベテランらしく見せるためのミーハー鳥見講座 -道具編- 2001年8月
第四話 鳥の落とし物 2001年9月
第五話 タカ熱 2001年10月
第六話 鳥の学名 2001年11月
第七話 フクロウ(その1) 2001年12月
第八話 フクロウ(その2) 2002年1月
第九話 ウグイス 2002年2月
第十話 ハト
第十一話 デジ・スコープ
第十二話 ホトトギス 2002年6月
第十三話 ニワトリ 2002年7月
第十四話 ハヤブサ 2002年8月
第十五話 鳥の絵 2002年9月
第十六話 白鳥 未掲載
第十七話 鳥の名の付く曲 未掲載

(鎌倉自主探鳥会会報「瓦版」に連載したものを加筆・訂正しております)


プロローグ

私が初めて探鳥会というものに参加したのは、1989年のことです。
きっかけはというと、20年以上も昔、職場で素敵な双眼鏡を持っている人がいて、その見え味の素晴らしさに、新しい物好きの私、すぐに同じものをと、思えば御徒町の多慶屋で購入したのでした。店頭品しかなく、「まけて」と言ったのですがダメでした。(^_^;) りっぱなケースの付いた素晴らしい双眼鏡でした。そのNikon 8×30がバードウォッチングの定番商品であることを知ったのは、10年ほどして日本野鳥の会に入会し、神奈川支部主催の探鳥会に参加してからのことです。それまで、鳥に興味はあったものの、自分で確認できた鳥はコゲラくらいのものでした。

結婚したての頃、朝早くから庭でうるさく騒ぐ鳥が耳障りで、始めたばかりの一眼レフでその姿を撮影しました。アルバムには「ギャーギャーとうるさく鳴く鳥」とコメントがあります。鳥を見るようになってから、改めて写真を見ると、それがヒヨドリであることがわかりました。

まだ鳥見経験の浅い頃、武山を散策していると、枝先に妙に胸の赤い鳥が出てきました。双眼鏡でよーく見て、図鑑を繰ってみましたが、そこは初心者の悲しさ、どれなのか、さっぱり分からない。さて一体何という名前の鳥だろう?ずっと疑問に思っていました。数年後、ふと、その時のことを思い出して、「あ、あれはアカハラだった!」と思い当たったのでした。

またある時、武山の林道で山側から出てきた小鳥に一瞬足を止めました。真横を向いて枝先に止まるのが見え、双眼鏡を向けました。嘴が細く、体全体は汚れたような、なんとも云えない変な色。すぐに谷底に飛び去りましたが、はて、何だったのだろう?これは、数年後に、ウグイスが鳴いている姿を見ることができ、その鳥がまさにあの時の変な色をした小鳥であったことが分かりました。ウグイスはメジロのような美しい「うぐいす色」ではないのです。

今ではリーダーの一人をつとめている鎌倉の探鳥会に参加したての頃、鳥の姿よりも、鳴声で識別するメンバーの耳の良さに驚いたものです。自分も早く鳴声で識別が出きるようになりたいものだと、早速「あ、あれは何ですか?」「ヒヨドリです。」「あ、これはなんですか?」「ヒヨドリです。」「じゃ、これは何ですか?」「これもヒヨドリです。」「???」

メンバーも根気よく答えてくれたものだと、つくづくありがたく思います。しばらくして多彩なヒヨドリの声に慣れた頃、聞き慣れない声が。「これは何ですか?」「タイワンリスです。」「あ、これは何ですか?」「これもタイワンリスです。」「・・・???」

まぁ、そういうわけで、鳴くのは鳥ばかりではないことも知りました。少し鳥見に慣れてくると、普段見慣れない鳥を識別してみたくなるものです。家内の実家近く、荒川の中州で一度見たことのあるオオジュリン、それらしい鳥を鎌倉の探鳥会で発見し、「これオオジュリンではないですか?!」とリーダーに御注進すると、「まぁ、この季節、その可能性もないではないですが、ホオジロの幼鳥ではないでしょうか。」「・・・・」なるほど、鳥は成鳥ばかりではないことも学びました。

かれこれ12年近く鳥を見ていることになるのですが、観察記録として野鳥の会神奈川支部に提出する「フィールド・カード」を書いてみると、いかに「鳥を見ていない」かがわかります。鳥は見ただけでは観察になりません。何時、どこで、何を見、何をしていたか、鳴声はどんなだったか?、何を食べていたか、何羽だったか、♂♀は?、繁殖行動は?、識別の難しい鳥なら、何を根拠にその鳥としたのか・・・等々、鳥を見るのは奥が深いのです。

そうはいえ、いつも緊張しながら鳥を見聞きするばかりでは楽しくありません。山野を気ままに歩きながら、鳥の声、姿を楽しむことの素晴らしさはたとえようもありません。知らなければ見過ごし、聞き逃すことなのですが、教えてくれた人、図鑑や双眼鏡のおかげで、それらを識別し、観察する楽しさを味わえるのです。今では鳥ばかりではなく、鳥よりも前から好きだった植物を始め、昆虫などにも観察内容が広がっていきました。

今回から「探鳥記」に代わり、鳥に関する話題を、思いつくままにつづってみます。ご笑覧下さい。 目次


第一話 「11と18」

11はジュウイチ、18はシラコバトのことです。
5月の第二自主探では、横浜でカッコウの声が聞こえた、という方がおられました。ホトトギスの仲間の話になり、ジュウイチにも話が及びました。

ジュウイチはホトトギスの仲間で、日本には他に、カッコウ、ホトトギス、ツツドリが知られています。神奈川県では、場所によって、あるいは運が良ければ、この4種の声を聞くことができるそうです。これらを「杜鵑類:とけんるい」と呼ぶ人は、かなりのベテランかご年輩の方です。ミーハーな私はこれを「今年の杜鵑類の状況はどうですか?」などと早速使ってみて、事情を知らない人には、いかにもベテランに見える、という次第です。ちなみに杜鵑とはホトトギスの漢名です。ジュウイチの名の由来はその鳴声が「ジューイチー、ジューイチー」と聞こえるところからなのですが、昔の人はそんな即物的なことではなく「ジヒシン」と聞こえたそうで、別名を慈悲心鳥ともいいます。ホトトギスと同様、自らは抱卵せず、コルリ、オオルリ、ルリビタキなど「青い鳥」に托卵します。卵の色はコルリと同じ青いそうです。雛は真っ先に産まれ、他の卵をすべて巣からかつぎ落とすという、別名には似合わない、無慈悲な鳥です。

一方、シラコバトですが、日本では埼玉県越谷市付近にのみ棲んでおり、国の天然記念物に指定されています。もともとは、中央アジア、それに中近東からビルマにかけて分布していたらしいのですが、貿易などで東西の人の交流が盛んになるにつれ、今では中国からイギリスを含むヨーロッパ全土にまで分布しています。日本へは、江戸時代、鷹狩り用のオオタカやハヤブサの餌として輸入したものが野生化したそうです。

さて、シラコバトがなぜ18かといえば、学名が Streptopelia decaoctoで、ギリシャ語でdecaは10、octoは8だからです。それは、鳴声が「デカオクトー」と聞こえるからなのですが、このデカオクトには悲しい物語があるのです。
「かねがね男の子をほしがっていた女が、女の子ばかり18人も産んでしまった。18番目の娘は母親から特に憎まれ、ありとあらゆる方法で虐待された。神はこの娘を哀れに思い、シラコバトに変えた。そのため、シラコバトは、18番目の娘という意味でつけられていた名前、デカオクトと、繰り返し鳴くようになった。」ギリシャのサモス島に伝わる伝説だそうです。

余談ですが、ホトトギスは杜鵑・霍公鳥・時鳥・子規・杜宇・不如帰・沓手鳥・蜀魂などとも書くそうですが、喀血した正岡子規が、「子規」と号したのは有名な話です。これは「鳴いて血を吐くホトトギス」という言葉からですが、徳冨蘆花の名作「不如帰」は、愛し合いながらも、浪子が結核にかかったため、姑に武男と引き裂かれる、そして浪子は「もう女になんぞ生まれはしない」と言って死ぬところが、やはり、ホトトギスたる所以です。ホトトギスは夜も鳴き続け、「血を吐く」のではと言われるわけですが、これは口の中が真っ赤なことからこの様な話が生まれたのでしょう。

三浦半島でも、これらホトトギスの仲間を、運が良ければ見たり、声を聞いたりすることができるかもしれませんよ。 目次


第二話 ベテランらしく見せるためのミーハー鳥見講座 -名前編-

探鳥会などで、いかにもこの人はベテランらしい、とわかる物言いによく遭遇します。昔から鳥を見ている方はホトトギスの仲間を杜鵑(とけん)類と言うのは前にご紹介しましたが、ベテランの方からは「オオカワラヒワ」という名が出ることがあります。

カワラヒワには、本州北部で繁殖するコカワラヒワと、千島・樺太で繁殖し、冬場に渡ってくるオオカワラヒワ、それにオガサワラカワラヒワの三亜種が日本で見られます。古い図鑑ではオオカワラヒワ、コカワラヒワを区別しているものもありますが、今では多くの図鑑が亜種を紹介せずに、すべてカワラヒワとしています。冬場に、もし普段見ているカワラヒワよりも大きな個体を見つけたら「このカワラヒワ少し大きいねぇ、オオカワラヒワじゃないの?」などと言ってベテランぶりを強調することができます。

ハクセキレイは神奈川県では通年ごく普通にみられるのですが、昭和27年発行の「日本の鳥:内田清之助著、創元社」という図鑑では「この種類はヨーロッパとアジアに広く分布するが、我国では多少は蕃殖するが、主に冬鳥でわりに少ない鳥である。」とあります。かつては北日本で繁殖し、本州中部以南で越冬する鳥だったそうで、「ハクセキレイは珍しい鳥だったのになぁ」などと言う人は、相当長く鳥を見ているということが分かるわけです。「ヒヨドリもキジバトも街では見かけない鳥だったのよねー」などと、ベテランから聞いた話をいかにも昔から知っているかのように付け加えることもお忘れなく。

ツバメを見て「タダツバメ」という人がいますが、ツバメの仲間はツバメしか知らない人から見れば、いかにもベテランらしく見えます。「なぁーんだ、タダツバメか」という様に使います。ほかにもタダモズ、タダスズメ、タダノスリ、タダウソなどと使いましょう。つっこみに備えて、タダ○○の他にどんな種類が見られるかくらいは調べておくのをお忘れなく。コシアカツバメを覚えた頃、腰の白いツバメを見て「コシジロツバメですか?」と聞いて笑われてしまったのを思い出します。それはイワツバメだったのです。

鳥の名前を略していうのもベテランらしく見えます。
シギ・チはよく使いますが、個々の鳥でも、ヒメアマ、ルリビ、マミチャ、トラツ、クロツラ、ビロキン、ホシハ、アメヒなどなど。あまり略しすぎてもなんだか分からなくなってしまうこともありますので、要注意です。

ソリハシセイタカシギを谷津干潟に見に行った時のことですが、フィースコ(これもベテランらしくみせる物言いですね)を担いで歩いていると、前から来た外国製の高級双眼鏡を提げた、いかにもベテランらしいバーダー、すれ違いざまに「アボセット見に来たの?」ときたので、すかさず「えぇ、ソリハシを・・」と軽くかわしましたが、これにはビックリしました。日本人に英語で鳥の名前を言われたのはこれが初めてです。ちょっとキザなようですが、和名が長いので英名を使ったのかもしれませんね。 目次


第三話 ベテランらしく見せるためのミーハー鳥見講座 -道具編-

道具や服装で、初心者かベテランかを見抜かれてしまうことがあります。

ニコンのフィールド・スコープ(略してフィースコ)のことを、ニコンと分かっていても「プロミナー」と呼びましょう。プロミナーはニコンではなく、コーワ(あのカエルのコルゲン・コーワと同じ会社です)の登録商標ですが、昔はこれしか良いものがなかったそうで、バードウォッチャー垂涎の的。持っている人も持っていない人も、ベテランはついプロミナーと言ってしまう、というわけです。フィースコを「スポッティング・スコープ」などと正しく言おうものなら、たちまち初心者と見破られます。

双眼鏡は古くて傷だらけのものを持ちましょう。塗装が剥げ、胴体の革がすり切れた双眼鏡ほど迫力のある物はありません。ただし光軸の狂っているものはいけません。我慢して見ていると頭痛がしてしまいます。「光軸調整に一万円も取られたよー」などというのはなかなか格好の良いものです。古くてもズーム式は御法度。ベテランはほとんど使いません。探鳥会に双眼鏡を忘れてくる人があります。いくらベテランでも「武士の魂」を忘れてきたりすると、その場で切腹する羽目になりますのでご注意下さい。

使い古した図鑑もベテランの象徴。書き込みがたくさんあって、いつどこで、どの鳥を見たか200種くらいにチェックがしてあれば、なかなかのものです。チェックの数が少ないので、「見た鳥」ではなく「見たい鳥」にもチェックを入れたい、なんて思っている人にご注意。ミヤコショウビン、ハシブトゴイ、カンムリツクシガモ、キタタキ、マミジロクイナなどにチェックを入れても希望は叶わないかもしれません。

探鳥会での服装にも気を使いましょう。さすがにハイヒールや革靴で参加する方はおられませんが、ウールのシャツにニッカー・ボッカー、ドロミテの登山靴にチロリアン・ハットだと浮いてしまうかもしれません。山用を流用するにしても、トレッキング・シューズにフリースくらいが無難でしょう。鎌倉自主探では夏でも長袖シャツに長ズボン、晴れていても長靴、さりげなく軍手をポケットに忍ばせている人が超ベテランですので、見分けは簡単。草刈りガマやスコップまで持っている人はエコアップに備えている会の指導的立場にある人です。公園の草刈りボランティアと間違えないようにしましょう。

ベテランになると植物、昆虫など鳥以外も良く見ています。鳥のことにしか興味がなさそうなそぶりはライフ・リスト(今までに見た鳥の種類)を増すのが生き甲斐のマニアックな人に見られます。他に自信がない場合はこのスタイルを貫くのも良いでしょう。昆虫に詳しい人でしたら、忍ばせた折り畳み式捕虫網でさっと一振り、チョウを捕らえてみて「おや?ツマグロヒョウモンだ・・・」などとつぶやいてリリースすると尊敬を集めます。植物に詳しい人は、版の古い「学生版牧野植物図鑑」を持つことです。古い版ほど印刷が鮮明なのです。「シュンランは”ほくろ”、カボチャは”ぼーぶら”ですものねぇ、牧野さんって偏屈だったのよねぇ」などと言ってみるのも技の一つです。

とまぁ、ベテランらしく見せる技をご紹介しましたが、鎌倉自主探でこれを使ってみて、付け焼き刃をあっさり見抜かれても、当方は一切関知しませんので悪しからず。 目次


第四話 鳥の落とし物

バードウォッチングの楽しみは、なにも鳥を見ることだけではありません。鳥に関するさまざなな事柄が興味の対象になり得ます。その一つに羽を集める、というのがあります。最近は羽図鑑というのも出ましたので、拾った羽が何という鳥のどの部分かも分かるようになりました。美しい色の羽は宝石のように大切にしたくなるものです。
なかなか拾えない部分の羽を持っていると、つい見せびらかしたくもなるでしょう。
こんな羽を持っていたら、それも無理からぬこと。例えば、オシドリのイチョウ羽、カモの次列風切羽(翼鏡)、ヤマドリの長い尾羽、鮮やかな水色のあるカケスの雨覆や風切羽などなど。また、根強い人気があるのはワシタカやフクロウ類の風切羽。美しいタカ斑が憧れの的です。あるとき、サンコウチョウのオスのあの長い尾羽は拾えるか?というのが話題になったことがありました。「あれは越冬地に渡る途中で落とすのじゃないの?」「いや繁殖羽根だから繁殖が終われば落とすでしょう!」と侃々諤々・・・もし、持っている人をご存じでしたら教えてください。とこの時(2001.9)に書いたのですが、その後、秋の渡りの時、オスのサンコウチョウは、尾羽が短いのが常識!ということがわかりました。ということは、どこかに落ちているかもしれませんね。

羽ばかりか、本体が落ちていることもあります。会社の一階にある渡り廊下の窓ガラスに、オオタカの♀が激突死したことがあり、そばにはキジバトも一緒に落ちていました。二羽ともすぐ冷凍庫に保存し、横須賀自然人文博物館の林学芸員(現館長)に届けました。林さんのお話では、キジバトを捕まえたが、重いためになかなか上昇できず、透明な窓ガラスに気がつかずに激突したものでしょう、ということでした。再発を防ぐため、ガラスには衝突防止のオオタカシールを貼りました。今のところ衝突事故はありませんが、オオタカシールが当のオオタカに効果があるかどうかは疑問の残るところです。
件の落鳥は、捕らえたキジバトを翼で覆うという、オオタカらしい仕草を再現した立派な剥製となり、博物館に収蔵されています。

鳥が落とすものは羽ばかりではありません。糞やペリットも立派な収集の対象になります。茶こしに入れ、蛇口の下でふるってみると、植物の種やら、昆虫の羽が現れてくるでしょう。フクロウのペリットだと、カヤネズミやタイワンリスの骨が出てくるかもしれません。糞から採取した種を植えてみて、何の種だったのか確かめている人もいます。生長した植物から落とし主を推理するというのも、なかなか楽しいものだと思います。米国の理科教育用通販カタログを見ていたら、「研究キット」の標本として、カエルやザリガニに混じって、メンフクロウ(Barn Owl:Tyto alba)のペリットがありました。5個で$13.95・・・取り寄せてみたくなった私って、ビョーキでしょうか?

もっとビョーキが重くなるとこうなるという例。あるベテラン氏から伺ったお話。ある時、台所で茶こしを使ってふるっているところを奥様に見つかり、大目玉を食ったとのこと。それもそのはず、それは鳥のペリットではなく、タヌキの糞だったそうで、台所でやるには問題がありそうです。奥様のお怒りはごもっともだと思いました。 目次


第五話 タカ熱

鳥見を長く続けていると、自ずと好みの鳥というものが決まってきます。
カワセミを見てはまってしまった人、オオルリ、サンコウチョウに魅せられて毎年営巣地へ通い詰める人など様々ですが、「タカ」の魅力にとりつかれる人が、この自主探には多いように見受けられます。

タカが渡って来るのが待ち遠しくて、秋になると、天気の良い日には仕事が手に付かない人、伊良湖岬や白樺峠(長野県)に出かけてしまう人、こういう人たちは「タカ熱」というビョーキに罹っている人たちです。ベテランにはしばしば見られる症状です。また既にお孫さんがおられる方で「子守りよりタカ見」という方は特に「タカ爺」「タカ婆」と呼ばれています。
タカの渡りの名所に出かけていく人もありますが、大概はご自宅の近くに観察地点(定点)というものをお持ちで、毎年そこでのタカの渡りを楽しみにして観察を続けておられます。折り畳み椅子に腰掛け、心地よい秋の一日、青空を行くタカを見送りながら、片手にウィスキーの小瓶・・・・至福の一時でありましょう。

ビョーキに罹るきっかけは様々でしょうが、タカ熱の場合は、サシバのタカ柱を見てしまった、という場合が多いようです。数十羽、多いときには数百のサシバが、上昇気流に乗って旋回しつつ上り詰めていく。そして流れとなって滑翔していく様を一度でも見てしまうともう感染してしまいます。私の場合も例外ではなく、武山山頂でのこと、周囲から湧き上がってきた40数羽のサシバが、頭上で渦を巻いて上昇していくのを見てしまったのです。私はその渦のまさに中心に位置していたのです。カウントするのも忘れて(たぶん)口を開けたまま、しばし呆然と見上げていたのでした。

タカの渡り観察では、天気、風向、風力、気温、タカの種類、数、雌雄、成幼、出現方向、飛去方向、出現時刻、飛去時刻、高度、などを記録します。万年初心者の私には、種類はもとより、雌雄、成幼など見分けるベテラン諸氏が神様に見えます。また、高度はなかなか難しく苦手で、一度、サシバと同じ大きさの鳥凧を作って揚げてみよう、と思っていますが、実行できずにいます。最近、ブッシュネルやニコンから比較的安価なレーザー距離計が発売され、スキルのない私には食指の動くところです。
 一度、高分解能のレーダーを貸し出してくれるところがあるということで、メーカーにコンタクトしたことがありました。タカの群がどこから来て、どの方向へ飛去したかはモニタ画面から正確にわかるので、非常に魅力的でした。メーカーも好意的で、真剣に借りることを検討しましたが、船舶用レーダーのため電源が200V!あまりに大がかりになるので、泣く泣く諦めた次第です。すぐ機械に頼ろうという安易な姿勢は現代人の悪い癖かもしれません。

とはいえ、レーダーほどのハイテク機器ではなくとも、鷹見に必須のアイテムは無線機です。これのないときは、それぞれのポイントで単独にデーターを取るという、話す相手がいなければ、実に孤独な作業だったようですが、私が参加したときに皆で免許を取りにいったアマチュア無線は非常に威力を発揮しました。リアルタイムで他のポイントと情報交換すると、こんなに面白いものはありません。大きな群だと移動距離と時間から飛行速度がわかります。分散配置したメンバーからの報告を聞くと、その日のおよそのコースもわかります。

タカの渡りは気まぐれで、いつ飛ぶのか、どのコースを飛ぶのかは様々な要因で左右されます。私たちの熱い思いもハイテク装備も素知らぬ顔で、タカ達は毎年渡りを繰り返していきます。 目次


第六話 鳥の学名

図鑑を見ると、「和名」の他に「学名」が載っていることがあります。学名はあらゆる生物に付けることになっていて、世界共通です。学名、というと、なんだか難しそうな感じがしますが・・・正直言って難しいです。
取っ付きにくい学名ですが、素晴らしい資料があります。自主探の重鎮、久保順三氏の労作「日本鳥名ノート:鎌倉自主探鳥会研究報」には、日本で観察された鳥すべての和名、英名、学名、地方名、中国名が網羅されており、学名については、その出典と意味について解説がなされています。
学名についての詳しいお話は、この資料をご覧になっていただくとして、これを少し勉強しておくと、色々な場面で役に立つことがあります。

鎌倉自主探に外国から参加されたお客さんに観察している鳥を示すのに、英名が分からなくても、学名でならなんとか通じたことがありました。もっとも、ラテン語をローマ字読みしたら、米国人のその方は英語風に発音してみせて、「こちらが正しい」と言わんばかりでしたが。
話が脱線しますが、我々はラテン語やドイツ語は、もとの発音に近いように発音することを心がけますが、英語圏の人は英語風に発音しますので、そうしないと彼らには通じません。ある時、米国人に、カセットボンベのバーナーを見せて「ブタンガスです」と説明しましたが、全く通じない。しばらくして彼は「オー!ビューティン」と言いました。そうだったのか、ドイツ語のブタン、プロパンは、ビューテイン、プロペインでないと通じないのかと、この時知りました。ちなみに、ピンセットは「トゥイーザース」、ホチキスは「ステープラー」です。ご存じでしたか?ある人から聞いた話ですが、会話の中で「エイ・プライオーライ云々」と言われて「?なにがオーライなんだ?」・・・はっと気がついて、それは哲学で言う「ア・プリオリ:先天的の意」のことだったのだそうです。
話を戻しますが、最近は手に入り易くなった外国の図鑑を見ても、それが自分の知っているものに、ただ似ているだけなのか、実は同じ種類なのかは、学名で判断できます。またその意味を知ることは、さらに興味を深め、楽しみが増します。

図鑑には2名法(属名+種小名)での学名まで載っているものが多く、3名法での亜種名までは載っていないのが普通です。日本の鳥の図鑑では、文一総合出版の「山野の鳥」「水辺の鳥」、M.Brazil著「Birds of Japan」には亜種名の記述がされています。亜種名まで分かると意外な発見があります。たとえば、第二話でご紹介したオオカワラヒワですが、この学名が、Carduelis sinica kawarahibaとなっています。亜種名を良くご覧下さい。カワラヒワではなく、カワラヒバですね。これは命名時に地方での読み方をそのまま亜種名にしたためと思われます。http://www.asahi-net.or.jp/~SG4H-HRIZ/dic/atori/kawarahiwa.htmlに「かわらひば」という地方名が紹介されています。

カッコウの学名、Cuculus canorus telephonus を偶然調べてみた、NTT研究所のあるOBが、亜種名にこんな疑問を持ちました。
「telephonus?カッコウと電話と、いったいどういう関係が・・?」
彼はOBのBBS(電子掲示板)にこの話を載せ、スレッド(関連した話題)が始まりました。私もこの話題に加わり、学名のことなら前述の「日本鳥名ノート」をお書きになった久保さんに教えていただこうということになりました。ご親切にも久保さんは詳しく調べてくださり、頂戴した資料から、古いドイツ鳥学会の文献を調べる必要が生じ、そのOB氏、私のメル友と共に我孫子にある山階鳥類研究所に足を運ぶことにもなりました。詳しい顛末は、下記のコンテンツをご覧下さい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~matsu-y/telefon.html(残念ながらリンク切れです)
山階鳥研では前にも登場した世界にただ一体しかない、ミヤコショウビンの嘴の無い標本を見せていただきました。
学名に興味を持ったことが新たな出会いを生み、貴重な体験をすることになりました。

コマドリの学名はErithacus akahigeですが、南西諸島で見られるコマドリの仲間アカヒゲの学名はE.komadoriです。学名をつけた当時のオランダ・ライデン博物館館長Temminck(テミンク)が名札を取り違えたのでは?という説がありますが、最初から違っていた、という説もあり、なぞのままです。コゲラの種小名はkizukiですが、キツツキのつづりを誤ったものと思われます。アオゲラはawokeraですが、これは当時のカタカナでの表記法にしたがったものでしょう。同様なことは植物のサザンカsasanqua、ウメmumeにも見られます。bucephalusはモズの種小名で「雄牛の頭」という意味ですが、アレキサンダー大王の愛馬の名でもあります。このように、取り違えられたり、分類が変わったために学名(属名)も変ってしまったり、いわれを辿ればギリシャ神話との関係など、面白い話がたくさんあります。なんだか難しそうだと避けてしまわずに、ちょっと興味を持って接してみると、新しい発見があるかも知れませんよ。 目次


第七話 フクロウ(その1)

「あなたはどんな鳥がお好きですか?」とうかがうと、「フクロウが好き」という方が結構いらっしゃいます。なかには「嫌い」という方もおられますが、お話をうかがうと、「子供の頃、夜道でフクロウが鳴くと、恐ろしくて震えた」などという体験をお持ちだったりします。大人になってからフクロウと出会った人のなかに、熱狂的なフクロウ好きもおられます。フクロウのグッズを集めたり、羽根を拾ったり、世界のフクロウの写真集を持っていたりと、様々に楽しんでおられます。

古代中国や日本では親を喰うとされ、古代ローマでも皇帝アウグストゥスの死を予言したとされ、旧約聖書でもけがれた鳥とされるなど、あまり良いイメージを持たれていないフクロウですが、ローマ神話ではミネルバ(ギリシャ神話のアテナと同一視された)の使いで、智慧と技芸の象徴です。洋書・洋品の老舗、日本橋丸善のブランドがアテナというのもうなずけます。昔見たギリシャ神話の映画に機械仕掛けのフクロウが登場しましたが、そのモデルはコキンメフクロウ Athene noctuaでした。属名はアテネを、種小名は夜を表しています。夜を徹して仕事に励む智慧の象徴ですから、大学の先生など学問に携わる人に、フクロウ柄のネクタイをプレゼントすると喜ばれます。ただし、フクロウには「賢そうに見える間抜け」という意味もあるそうで、皮肉と受け取られては大変ですが。

フクロウの仲間は世界に何種類いると思いますか?「世界の鳥」をインターネットで調べてみると、学名、和名、英名についてなんと9946種ものデータベースを作っている人がいるのです。http://www.eonet.ne.jp/~saezuri/birdlist.files/birdlist.files/wbird.htm
早速ダウンロードして検索してみると、フクロウの仲間は、何々フクロウと名の付くもの91種、同様にコノハズクは62種、ミミズク21種、アオバズク19種、トラフズク4種、他にタテガミズク、カンムリズク、ジャマイカズクを加えて全部で200種いました。これを調べていて面白いことに気が付きました。フクロウはヨタカに近いとされていますが、何々ズクヨタカという種が8種おります。これらはニューギニアやオーストラリアに分布しているそうです。もっとフクロウによく似た何々ガマグチヨタカは12種類います。分類によってはヨタカの仲間をフクロウ目に入れているようです。

素人なりの推察ですが、フクロウの仲間は、ヨタカと同じ先祖から分かれ、小動物を捕食するのに都合の良いワシ・タカなどの猛禽類とよく似た形態に進化したものと思われます。フクロウのヒナは顔が親のようには丸くなく、ヨタカのような細長い顔をしていることからも、それがうかがえます。もともと夜行性のうえ、視覚、聴覚が闇夜に適した形態と機能をさらに進化させ、齧歯類などを捕食する仲間は鋭いかぎ爪が発達したのでしょう。フクロウ(Strix uralensis)の黒光りするかぎ爪を剥製で観察したことがありますが、掴まれたネズミなどの体を突き通してしまうほどの鋭さでした。フクロウに掴まれたことのあるベテラン氏のお話では、狩猟用の革手袋を突き破って、爪が手に突き刺さったそうです。小動物にとっては、なんと恐ろしいことでしょう。脚は、そんな断末魔のネズミの鋭い歯の反撃に備えて、びっしり生えた羽毛で保護されています。逆に主に魚を捕るシマフクロウなどのいわゆるfishowlでは、水に飛び込むために脚には羽毛がなく、濡れるのを最小限にしています。
アオバズクなど主に昆虫を飛びながら捕食する仲間では、顔があまりフクロウらしくありません。フクロウの平らな顔は集音器の役目をしているそうで、アオバズクにはその必要がないためと思われます。これとは反対にネズミやモグラを専門に捕食するメンフクロウの仲間は、極度に顔(顔盤)が平らに発達して集音器の役目をし、また脚も長くなっています。フクロウの仲間ではもっとも「フクロウらしく」特化したようです。音を良く聞くために発達した顔盤は、餌の内容が良く似たチュウヒの仲間にも見られると、武山の鳥仲間M氏から教わりました。

あらゆる生き物に云えることですが、進化の不思議さ、巧みさを感じますね。 目次


第八話 フクロウ(その2)

鎌倉や横須賀では、意外と多くのフクロウが生息しています。フクロウの巣はタブノキなどに自然にできたウロを利用することが多く、近年、緑が少なくなるとともに、個体数の割には住宅難のようです。私の住んでいる横須賀で、自然豊かなある場所が開発されることになり、そこに棲んでいるフクロウの繁殖場所がなくなってしまうと心配しておりました。地主にその話をしたところ、それなら巣箱を掛けましょう、ということになり、1996.12.8に、知人、友人等の協力を得て、開発地域に緑地として残された山林に巣箱を掛けることできました。巣箱は高さ90cm、縦横45cmという、巣箱としては巨大なもので、設計者によると、ヒナが簡単に飛び出してしまわないよう、深く作られているのだそうです。こうしないと、充分成長しないまま巣立ちしてしまい、生存率が下がるということでした。巣箱の製作には私が当たりましたが、初めてのことでしたので、巣箱を高い樹のまたに掛けるという難しい作業は、手慣れた先輩達にすっかりおまかせでした。誠に感謝に堪えません。

翌年の5月初め、ヒナの声がするという知人からの情報を元に、友人M氏と共に、親鳥の襲撃に備えてヘルメットを被り巣箱に向かいました。巣箱までは7m程もあるので、M氏はロープを巣箱近くの枝に投げて掛け、二本を束にして握り、腕力とバランスで、巧みに登っていきました。(巧みに登っていくM氏)彼が巣箱を覗くと「ヒナが2羽いる!」彼は素早く出入り口からカメラを差し込んで写真を撮り、私と交代。M氏は若いけど、この私は・・・途中でひと休みしながら、やっとの思いでたどりつき、巣箱を覗いてみました。居た居た、真っ白い産毛に包まれたヒナが2羽。巣箱の反対側に寄り添って、青い四つの眼がこちらを睨んでいました。「ごめん、ごめん」と謝ってすぐに退散しました。M氏によると、ヒナは嘴をかちかち鳴らして威嚇したそうです。ヒナの大きさは20cmあるかないかで、2羽とも同じ大きさでした。こういうことは珍しく、たいがい一方が大きいそうで、元気の良い方に親は餌をより多く与えるからなのだそうです。
これ以来、毎年産卵、子育てをして、一羽のときもあり、二羽の時もありましたが、皆無事に巣立っていきました。(最初の年に生まれた雛)

2年目からは、地主がスポンサーになり、知人S氏の指導により、巣箱の外と中に、照明を備えたCCDのビデオカメラを仕掛けました。電源、音声、映像の配線を150m近く引いたおかげで、室内のテレビモニタで巣箱の内外を監視・録画することができます。樹に登って巣箱を覗かないで済むので、体力のない私としては大変助かるわけです。(内部観察用カメラの画像1画像2)
モニタする時間は短時間(5分程度)にとどめ、必要以上に照明を点けたりはしないことにしています。この分野の先輩S氏の話では、フクロウは個体によっては照明を嫌がるものもあるそうですが、そうでない個体はまったく意に介さないのだそうで、この巣箱を利用しているフクロウも、見たところなかなかの肝っ玉かあさんのようでした。
このビデオモニタのおかげで、フクロウのきめ細かな子育ての様子、餌の種類、ヒナの成長の様子がわかりました。餌は巣箱の掃除をしたときの状況も含め、ヒミズ(小型のモグラ類)、ズムカデ(大型のムカデ)類、ヒヨドリ、アオゲラなどが確認できました。(巣箱掃除で出てきた不明の頭骨(羽など)

毎年1月頃になると、フクロウの鳴き声が聞こえてきます。ホッホ、ボロッホ、ホッホ・・食物連鎖の頂点に立つ野生のフクロウ。フクロウが生きていける環境がいつまでも保たれるように、私たちは子供達からの預かりものの、この大切な自然を未来に残していかなければなりません。フクロウさん、どうかいつまでも、子育てしてね! 目次


第九話 ウグイス

探鳥会のリーダーをしておりますと、参加者の方達と色々お話をする機会があります。鳥を見つけて「あれはなんの鳥です、ハイおしまい」というわけにはまいりません。その鳥にまつわる色々なお話をすれば、より観察が楽しくなるというわけで、そこここで見聞きしたこと、聞きかじりの博識ならぬ薄識を臆面もなくご披露しては、恥をさらしております。ある時、こんなお話をメンバーの方としました。

「ウグイスの”谷渡り”とか、ヒバリが「チーチュル、チーチル・・・と休みなく鳴き続けるときは、吐く息でも吸う息でも鳴いているのでは?」このことをある大先輩にお聞きすると、「鳥には体の色々なところに気嚢というものがあり、これに貯めた空気で長くさえずることができるのでは?」と答えてくれました。やっぱり専門に勉強された方は私の知らないことを良くご存じだと感心しました。しかしそれだけでは納得できないへそ曲がりな私は、確かに気嚢の空気は長くさえずるにはとても役立つだろうけれど、ヒバリやオオヨシキリのさえずりを聞いていると、そんなにたくさんの空気が気嚢にあるのだろうかと疑問に思えてくるのです。私は推測して、例えばウグイスの谷渡りでは「ケ」で吐きながら鳴き、「キョ」で吸いながら鳴いているのではないか、と思っていました。
ところが、最近、小西正一著「小鳥はなぜ歌うのか」岩波新書、にその答えがあるのを見つけました。米国の大学で行われた実験で、カナリアの気管や気管支の壁に穴を開けて熱線式温度計を差し込み、空気の流れを計ったのでした。温度差で出入りの様子が分かる仕組みです。これでわかったことは、1秒間に30回ものフレーズで鳴くときも、吐く息だけで鳴いており、一つ一つのフレーズの前には素早く浅い息をしているのだそうです。それ以上の早いフレーズでは、貯めておいた息で鳴くということでした。長い間の疑問が解けました。でもこれはウグイスでの実験ではないのですよねぇ・・と、まだしぶとく、あきらめきれずにいます。

さえずりには方言があると良く言われます。ウグイスも言われているように「ホー、ホケキョ」とばかり鳴くとは限りません。「ホー、ホケチチョ」「ホー、ホチョホイ」など色々です。三宅島噴火の直前に新島・式根島に行きましたが、そこで聞いたウグイスも「ホー、ホチョホイ」でした。三浦半島と血縁関係でもあるのでしょうか。そういえば、自主探でのこと、いつもの観察場所でメジロを見ていると、そばで塀の工事をされていた職人さん、鳥がお好きと見えて声を掛けてこられ、「三浦半島には伊豆七島のメジロ(*亜種シチトウメジロ)も来ているね」とおっしゃっていました。この職人さんは見分けができるわけで、すごいと思いました。そこまで詳しいのは、もしかしたら密猟をしているのからかしら?と邪推しましたが、見るからに屈強な人なのでそうは聞けませんでした(^_^;)。
ホーホケキョ(ウ)という聞きなしは、江戸時代以降のことだそうで、平安時代は、ウグイスはその名の通りに聞いていたといいます。それは「ウウウクヒ」「ウークヒ」というものです。これに鳥を表す接尾語「ス」が付いて、「ウグヒス」となったというわけです。(山口仲美著「ちんちん千鳥のなく声は―日本人が聴いた鳥の声」大修館書店)また、ウクは「奥」、ヒスは「出づ:いづ」で、春に谷の奥から出てくるからという説もあります。(国松俊英著:名前といわれ「日本の野鳥図鑑1 偕成社)「梅に鶯」は似合うものの例えですが、梅は飛鳥時代に中国から持ち込まれたもので、それまでは「竹に鶯」だったとか。(日本大百科全書:小学館)

所変われば聞きなしも変わり、時代が変わればまた違ってくる。これはどんなものにも言えることのようですね。 目次


第十話 ハト

第一話ではシラコバトを取り上げましたが、中でもドバトはありふれた鳥で、観察会でもほとんどしっかり見ていないと思います。フン公害も深刻で、汚れるだけでなく、フンには人間の脳にはいると重い障害を起こすカビの一種が好んで生えるというので、益々嫌われてしまいます。そうはいっても、一生懸命にメスの前でディスプレーする姿や、子育ての様子を見ると、ドバトには憎めない愛らしさもあります。旧約聖書の創世記でノアが箱船(方舟)から放ったのもハトです。子供心にもとても感動的なお話だったのですが、聖書より前に、どうも手塚治虫の漫画で見たように記憶しています。

・・・神は堕落した世を正すために洪水を起こして浄めようとお考えになった。そこで、行いの正しいノアを選び、巨大な箱船の作り方を教え、それにノアの家族とさまざまな生き物を選び載せるように命じられた。神はノアに鳥は七つがいを箱船に載せるようにと命じたが、お告げの通り大雨が降り始めると、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな箱船に乗った。雨は四十日四十夜降り続き、箱船に乗った生き物以外はすべて、地上ばかりか空からも消し去られた。水位がさらに増すと船は押し上げられ、アララテ山の山頂にまで登ってそこにとどまった。百五十日後に水は引き始めたので、ノアはハトを放った。地上にとどまるところの無かったハトはノアの元に帰ってきた。さらに七日後にハトを放すと、ハトはまたもどって来たが、くちばしにはむしり取ったばかりのオリーブの若葉をくわえていたので、ノアは地から水が引いたことをさとった。さらに七日の後にハトを放すと、ハトはもうもどっては来なかった。・・・

こうして洪水によって浄められた地上に初めて降りたのは、ノアが放ったハトでした。ハトは平和の象徴として大切にされる一方、食用にもされています。キリスト教では三位一体の第三位、聖霊の象徴とされ、聖母マリアや天使をハトになぞらえることがあり、宗教画にも良く登場します。その一方でハト料理を平気で楽しんでいるのはどうしたことでしょうか。もっとも日本は国鳥を撃ち殺して食べてしまうのですから、お互い様と言うところでしょう。

愛煙家はよくご存じの話かも知れませんが、「オリーブをくわえたハト」はタバコのピースのデザインです。改めてその経緯を調べてみました。
・・・平和日本に相応しい名前のタバコとして「ピース」は、戦後間もない1946年に自由販売品として発売されました。最初のデザインはドイツ製タバコの試作品によく似ているということで、新たなものをフランス生まれのアメリカ人デザイナー、レイモンド・ローウィに依頼しました。彼は既に「ラッキー・ストライク」のデザイン替えで大成功を収めており、ピースのデザイン料は、当時のサラリーマンの月給といえば一万円に届かない時代に、150万円という高額なものだったそうです。届いた9種類の図柄の中から、ハトがオリーブの小枝をくわえているという、お馴染みのものが採用されました。1952年にこのデザインに改装してからのピースは爆発的な売り上げ記録を残したそうです。・・・
私はタバコを吸いませんが、ハトの話となるといつもピースの図柄を思い浮かべるのは、オリーブの葉をくわえたハトは、子供の頃感動した「ノアが放ったハト」だからかも知れません。 目次


第十一話 デジスコープ

デジスコープって、聞き慣れない名前ですが、このような製品が売られているというわけではありません。デジタルカメラ+望遠鏡の組み合わせのことです。探鳥会などでは既にお馴染みのものですね。
この言葉は特に定義があるというわけではありませんが、ある鳥仲間では普通に使われるようになりました。使用する望遠鏡はフィースコだったり、プロミナーだったりするわけですが、鳥を見るための望遠鏡にアダプタを付けて、デジタルカメラを取り付けます。中には天体望遠鏡に取り付けていらっしゃる方がおられて、びっくりしました。お話をうかがうと、なんでも天体望遠鏡の方がアタッチメントが揃っていて、この様な改造には向いているそうなのです。

以前からフィールド・スコープには一眼レフ用のカメラアダプタがありましたが、デジタルカメラが普及し始めた昨今、コーワがプロミナなど自社の望遠鏡用にデジタルカメラのアダプタを販売しており、手軽に装着できるようになりました。今のところ装着できるデジタルカメラは一部の機種に限られていますが、一眼レフカメラでは考えられないような、非常に高い倍率で撮影することができます。NikonやCanonの1000mm望遠レンズをご想像下さい。価格や重さを考えるとなんだか恐ろしいような気がしませんか?その点、デジスコープは手軽に、気軽に高倍率の撮影が可能です。
またごく最近、ペンタックス・デジビノという7倍の双眼鏡に85万画素のCCDを内蔵して、1/8000秒の高速シャッターを備えた機種が発売されました。鳥を観察しながらすぐその場でシャッターを切ると内蔵したメモリに記録され、後でパソコンに取り込めるという優れものです。今後もこの様な商品開発が次々となされることでしょう。楽しみです。

接眼レンズを付けたまま望遠鏡にカメラをつなげるやり方を「コリメート法」といい、一眼レフでなくとも焦点を無限遠に合わせて撮る撮影法で、天体写真を撮る人には昔から知られている方法なのだそうです。私の使っているデジカメは普及機のNikon Coolpix 775(2メガピクセル)で、光学ズームが3倍で、35mmカメラに換算すると38〜115mm相当の焦点距離になります。望遠鏡を付けた時の合成焦点距離は、カメラのレンズの焦点距離に望遠鏡の倍率を掛けた値になるといいますので、35mmカメラに換算して、なんと760〜2300mm相当というとてつもない倍率になるのです。ご自分がお持ちの望遠鏡(スポッティング・スコープ)とデジタル・カメラの組み合わせに適合するアダプタを探すには、
http://www.kyoei-bird.com/dg.html
をご覧になると各種のアダプタが紹介されています。
手軽なデジスコープで「超望遠」の世界を楽しんでみませんか?

デジスコープで撮影した野鳥の例です。
機材は、コーワのスポッティング・スコープ(TS−612)という普及機に、ニコンのデジカメ(Coolpix775 200万画素)を自作のアダプタで接続しました。
●ミミズを飲込むルリビタキ♂(横須賀市山中)写真1写真2写真3
●スプリンクラーにとまった渡り途中のノビタキ♀タイプ(愛知県伊良湖)写真1写真2
オオルリ(二子山:神奈川県)

*東京の方なら、協栄産業でデジスコ・アダプタなどの実物を見ることができます。
〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1-5ヤマヨビル1F
TEL.03-3526-3366 FAX.03-3526-3090 目次


第十二話 ホトトギス

皆さんは、ホトトギスのさえずりをなんと聞きなしておられますか?「トッキョキョカキョク」というのは良く知られていますが、テッペンカケタカなどというのもありますね。昔からホトトギスは色々と聞きなしされ、それにまつわる話が各地にあるようです。

民俗学者として著名な柳田国男はホトトギスにまつわる民話を「野鳥雑記」で紹介しています。昭和5年に発表されたこの著作には、全国で聞き取りした鳥にまつわる様々な民話が紹介されています。そのなかでホトトギスにまつわる話をいくつか拾ってみました。

アチャトデタ、コチャトデタ、ボットサケタ
青森県などでは、ホトトギスをコナベヤキという所があり、秋田でも北部はナベコドリという異名があるそうです。昔、二人の兄弟があり、兄が外で働いている留守に、弟が一人で小鍋立て(小鍋を火鉢にかけ、手軽に料理をつくること)をして楽しんでいるところへ、兄が帰って来たので、見つかってはまずいと、そっちへ隠れこっちへ隠れて、食えるだけ食ってしまうと背中が裂けて死に、ホトトギスになったという。だから鳴く声が、「アチャトデタ、コチャトデタ、ボットサケタ」というのだという。

ホンゾンカケタカ、ホンゾンコウタカ
紀州の民話では、モズとホトトギスは古い友人で、モズが唐から古い本尊(仏・菩薩)の掛け軸を盗んできた。ホトトギスにこのことがばれて、いつも「本尊掛けたか」と鳴くので閉口して、ホトトギスの鳴く時期には、モズはひっそりと黙っている、という。また、モズは酒好きで、ある時、ホトトギスから御本尊を買って来るようにと頼まれて金を預かった。しかし酒好きのモズはその代金で酒を飲んでしまった。だから今でもモズは顔が赤く、ホトトギスが「本尊買うたか」と鳴くと面目ないので、その頃だけはどこかに隠れてしまっている、というものです。

クツテカケタカ
紀州の吉野川の流域での民話に、昔、ホトトギスは馬の沓(くつ)を作る職人で、モズはその友達で馬方だった。モズはホトトギスの作った沓を借りては、何度となく代金を踏み倒していた。そのため、今となっても、モズは沓の代金(沓手)をホトトギスに払わなかった不義理のために、カエルやバッタをホトトギスの餌にするため、枝に刺しているのだ、というものです。だからホトトギスは「クツテカケタカ:沓手掛けたか」と鳴くというわけです。

ホチョカケタ
また、奥州各地の昔話で、盲目の兄はひがみやすい心を持っていたが、親切な妹は山の薯を掘ってきては、それを煮て兄に食べさせていた。あまりに美味いので、妹はもっと美味いところを食べているのだろうと兄は邪推して妹が憎くなり、包丁で斬り殺した。すると妹は鳥になって「ガンコ、ガンコ」と鳴きながら飛び去ったという。ガンコとは頭のことで、薯の頭、すなわち筋だらけの悪い部分を指し、自分が食べていたのは筋だらけのガンコだ、と鳴いていたのだと。さすがの兄も「そうだったのか」と嘆き悲しんでついに鳥となり、「ホチョカケタ」と鳴いて飛び去った、という。これはカッコウはホトトギスの雌であると信じられていた地方の話なのだそうです。

これらの民話は、決して面白おかしいだけの話ではなく、人間の弱点を見事に描き出しています。ホトトギスの夜も昼も鋭く鳴く声は、心の暗闇に眼を向けさせるのかもしれません。ホトトギスを辞書で引いてみると、異称を「死出の田長:しでのたおさ」とあり、死出の山から来て鳴くからとか、「賤(しず)の田長」の転ともあります。古今和歌集に「いくばくの田を作ればかほととぎすしでのたをさを朝な朝なよぶ」とあるそうで、鳴き声を「しでのたをさ」と聞きなしていたことがわかります。昔は初音を聞いて田植えを始めたといい、また山芋の成熟を知らせるともいわれているそうで、上記の民話に山芋が登場するのもうなずけます。また旧暦の盆が終わると消えたことから死者の国へ帰ると思ったことでしょう。日本から水田耕作が消えると、ホトトギスも渡ってはこなくなるかもしれません。そんな日が来ないことを祈りたいものです。(広辞苑、大辞林、大日本百科全書を参考にしました)

*三浦半島は徳富蘆花の「不如帰」に縁があります。逗子海岸はその舞台となったところで、蘆花の兄、蘇峰の筆になる碑が磯に建っています。礎石の下には蘆花が執筆中に用いた硯と筆が納められているそうです。逗子新宿の高養寺は小説にちなんで浪子不動と呼ばれているとか。碑は昭和八年に建立されたそうです。(神奈川新聞2001.11.20) 目次


第十三話 ニワトリ

身近な鳥ですが、その祖先をご存じですか?ニワトリはキジ目のヤケイ属を飼い慣らしたものとされています。最近までその祖先は4種類いるどのヤケイのものかはっきりしなかったようですが、最新のDNA解析から、やはり祖先として有力だったセキショクヤケイがニワトリにもっとも近いことがわかったそうです。
ニワトリを始め、キジ目の鳥は肉も卵も美味で、古くから人間が利用してきました。卵を採るために飼育される代表的なニワトリは白色レグホンですが、人が家禽化する過程で、年間280個もの卵を産むようにしたために、巣ごもりする性質(就巣性)を失っています。

ニワトリは夜明けを告げる鳥として、古人は土間近くにねぐらを設けて飼っていたといい、時を告げる声を聞いて起き、仕事にかかったことでしょう。夜活躍する魔性のものはニワトリの鳴き声に退散すると信じられ、大切にされたものと思われます。
鳥居は神に供えるニワトリの止まり木であったとされる説がありますが、定かではないそうです。また神話では、天照大神が岩戸に籠もられたとき、岩戸の前に止まり木を立ててニワトリを止まらせたとあるそうで、これを鳥居の起源とする説もあります。

聖書にもニワトリは何度か出てきますが、もっとも有名な話は「ペテロと鶏」です。

・・・ユダの裏切りを察し、弟子達と別れることになるのを悟られた夜、イエスはペテロに「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と言った。ペテロは「たとえ、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と答えた。イエスが最後の晩餐で予言した通り、弟子の一人、ユダが裏切り、イエスは捕らえられ、大祭司の中庭に連れていかれた。ペテロもついて行き、遠く離れて中庭で火にあたっていると、女に「あなたはイエスと一緒にいた」と糾弾され、「いったい何を言っているのかわからない。」と答えた。別な女たちにも同じことを言われ「そんな人は知らない」と言った。1時間ほど経ったとき、男に「おまえはあの人の仲間だ、ガリラヤ人だから」と言われ「そんな人は知らない。」と答えると、まだ言い終わらぬうちに鶏が鳴いた。イエスは振り向いてペテロを見た。ペテロはイエスの言葉を思い出し、中庭を出て激しく泣いた。・・・

最初の弟子であり、イエスから天国の鍵を授けられたペテロでさえ、師が捕らえられると三度否む弱さを持っていたというこの話は、心に響きます。

ニワトリには、こんな話もあります。
採卵目的の養鶏では卵を産まなくなれば廃鶏として処分されます。そうなれば一羽10円でも買い手がないそうですが、この廃鶏を引き取って自分のミカン園で飼った山口県の農家がありました。下草でも食べさせようと60羽を引き取ったのですが、肌が透けるようなボロボロの羽、血の気のないトサカを見て、今にも死にそうでがっかりしたそうです。ニワトリを放すと、初めて見る地面を右往左往、雨にも驚くほどでしたが、やがて土を掘り返してミミズを摂るようになったそうです。廃車を利用してねぐらを作ってやると、鶏舎で飼われていたときは一日中照明に照らされ夜も知らずに卵を産み続けていたからか、暗闇を怖がって体を寄せ合って寝たそうです。餌も工夫して栄養を与え、羽も艶やかになり、ふっくらしてきた2ヶ月を過ぎたある朝、車のシートの陰に卵が産み落とされていたそうです。飼っていた方は目を疑ったといいます。まさに、ニワトリの恩返しというわけですね。その後150羽に増やし、一日5〜60個も産む卵は農協を通じて売り、えさ代を稼いでいるということです。(1995.10.22 朝日新聞日曜版から)
なにか、心温まるお話ですね。しかし、こういう見方もあるのです。

「採卵鶏はほぼ毎日卵を産まないと採算が取れません。ところが,換羽期に入ると,一時的に一気に産卵率が下がります。生年月日を揃えて飼っているので,ほぼ同時に換羽期に入るわけで,この時期に絶食して,強制的に換羽させて,その後の産卵率を一気に回復させる方法もありますが,特にバブルの頃には,卵を産み始めて1回目の換羽期にすべて廃鶏にして,次の鶏に入れ替えると言う飼い方をする農家も多く存在しました。強制換羽をしている農家でも,何回目かの換羽期には,廃用にして入れ替えをします。ミカン農家の買い取った鶏は,恐らく,換羽期に廃用になった鶏を仕入れたのでしょう。みすぼらしい姿をしているのは,換羽期だから,と言うことになります。その後産卵が回復したのはこのためなのです。」(小泉伸夫氏談)

なるほど、当然の結果だったのですね。とはいえ、私はニワトリの話が出るたびに、きっとこの話を思い出すことでしょう。 目次



第十四話 ハヤブサ

戦前、戦中派の方なら「隼」という戦闘機を思い浮かべるでしょう。
陸軍の一式戦闘機のことで、中島飛行機(現在の富士重工)で設計され、1938年(昭和13)12月に初飛行し、太平洋戦争における陸軍の主力戦闘機でした。戦争後半では速度が遅く、武装が貧弱なため一線からは退き、特攻機として多くが使われたそうです。私は戦後派なので、「隼」や「零式」が飛んでいる姿を見たことがないのですが、それは幸せなことかも知れません。

私が見ることができたのは鳥のハヤブサの方で、以前勤めていた会社の8階のテラスに止まっていたのです。メールで写真を送ってくれた人がいて、「これ何ですか?」「それはハヤブサです!」と、あわてて飛んでいって見てきました。

ビル8階のハヤブサ

 ビル8階のハヤブサ

その後もキジバトを捕食している生々しい写真などを送ってくれました。手すりに止まってじっとこちらを見ていることがあり、なんでもそこはちょうど企画部門の部長席で、まるで仕事ぶりを監視しているようだと言っていました。案外そうかもしれません。ケアンズに行ったとき、ホテルの屋上で繁殖していて、幼鳥が三羽並んでとまっていました。これはそのうちの一羽です。

ケアンズのハヤブサ

 ケアンズのホテルでのハヤブサ幼鳥

ハヤブサ(Falco peregrinus)は世界中に分布し、日本でも一部が海岸や山地の崖で繁殖し、冬場は全国的に見られます。武山でも渡りの時期には頻繁に目撃されます。ハトを追いかけて狩る様子などは、誠に精悍で、野生の素晴らしさを見せてくれます。ハヤブサの狩りは急降下しての体当たりで、鋭い爪で蹴落とすのだそうです。
ハヤブサの仲間は、カラカラと呼ばれる北米南部から南米に分布する仲間を含めて世界に67種、日本には7種が分布しています。

ハヤブサの翼は細長く、高速飛行と急激な方向転換を可能にしています。飛翔速度は時速60km、急降下では時速200kmを越えるそうです。特徴的な眼の下の黒い模様は、野球選手が焦がしたコルクで良くやっているように、まぶしさを防ぐ効果があります。そういえば、小型の飛行機もキャノピーの前を黒く塗ったものがありますね。生まれながらに備わっているハヤブサのなんと素晴らしいことでしょう。オオタカとともに、世界的にも鷹狩りの主役で、紀元前1000年には行われていたといい、王侯貴族・軍人達を魅了し、中国では鷹狩りにふけったため、国を滅ぼした皇帝さえもいたそうです。

ハヤブサは生きている鳥を襲うので、航空機がエンジンに鳥を巻き込む「バード・ストライク」を防ぐために、空港周辺でハヤブサを飛ばして鳥を追い払うことが試みられました。ニューヨークのケネディー空港やスペインのマドリード空港で行われており、日本では被害の多い松山、高松、高知の各空港で実験が行われました。ところが、日本の場合、トビの被害が最も多いのですが、肝心のトビはハヤブサには驚かないばかりか、逆に追い払ってしまい、期待していた運輸省(1999年当時)は近年中の実用化をあきらめたそうです。

いつぞや、自主探のメンバーとビールを飲みながら見た江ノ島のハヤブサは楽しい思い出です。住まい近くの武山周辺では、ハヤブサ、チゴハヤブサ、チョウゲンボウ、コチョウゲンボウが観察されています。秋の渡りシーズンが今から楽しみです。 目次



第十五話 鳥の絵

2000年2月、日本橋・高島屋で川合玉堂展を観ました。玉堂は鳥をしばしば描き込んでおり、どんな種類があるのかメモしました。ヤマガラ、スズメ、オナガ、チュウサギ、ヒヨドリ、ジョウビタキ♂、マガモ♂♀、オシドリ♂♀、ツバメ、セグロセキレイ、ウミウ、ホオジロ♂、タンチョウなど。どうしてもわからない鳥は2枚だけでした。日本画の鳥は写実的でないことが多く、識別が容易ではないものも少なくありません。
日本画の世界は別にして、最近は日本でも鳥の素晴らしい生態を、精緻な筆致で描く画家に恵まれ、図鑑などが大変充実してきたことを感じます。

外国では博物学の発展に伴い、鳥の精細な絵は、ボタニカル・アートなどとともに精力的に描かれ、特にオーデュボンとグールドの絵は私も見たことがあります。

オーデュボン(John James Audubon,1785〜1851)は、今のハイチに生まれ、7歳から17歳までフランスで過ごし、絵画をダビッドに学びました。18歳でアメリカに渡り、父の農場を手伝いながら英語も習いつつ、野外観察と採集に多くの時間を費やしました。アメリカの市民権を得た後は実業家となり、事業に失敗しながらも鳥の絵を描き続けました。12年がかりで書き上げた大判の細密鳥類画集「アメリカの鳥類」はアメリカ国内では出版元に相手にされなかったため、イギリスで出版する運びとなり、見本を作って予約を募ると一躍有名になりました。イギリスから帰国すると時の大統領アンドリュー・ジャクソンに招かれるなど著名人となり、出版は大成功を納めました。オーデュボンは、晩年、さまざまな取材旅行を通して、野生動物の捕殺や自然環境の破壊を憂えるようになり、その保護を主張しました。その意志は、没後30年、弟子のグリンネルによって、オーデュボン協会設立という形で受け継がれ、さらに20年後、世界をリードする自然保護組織ナショナル・オーデュボン協会が発足し、今や米国ではNational Wildlife Federation、シエラ・クラブなどと並ぶ自然保護団体となり、60万人を越える会員を擁しています。

2002年3月に我孫子市の「鳥の博物館」で所蔵品の複製画展を見ました。元の図版はたいへん大きなもので、ほとんどが実物大と思われます。生態を観察して描いたものも多く、剥製を描写したものと違い、生き生きとした動きのある構図に感動させられます。

オーデュボンについては、こんな話があります。
明治6年(1873年)から数年間に渡り、文部省が家庭教育用の「泰西偉人伝」という西欧の発明家・学者・芸術家を紹介する錦絵を発行していましたが、そのなかに、オーデュボンも含まれていました。それによると、「合衆国の禽学者奥度棒(鳥類学者オーデュボン)は、長年描きためた鳥の絵を旅行中親類に託していたが、旅行から戻り、絵の保管してある箱を開けてみると、中にはネズミが巣くっていて、大切な絵はぼろぼろに食いちぎられていた。オーデュボンはしばらく茫然自失していましたが、気を取り直して、小銃、手帳、鉛筆を手に林に出向き、写生に励んでまた鳥の絵を描きため、3年も経たないうちに、以前よりも充実したものになった。」とあります。
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/bakumatu/nisikie/ijinden.html

小銃を手に、というのが少々気にはなりますが、肖像画では確かに銃を携えています。オーデュボン協会産みの親であっても、絵を描くためには銃で野鳥を撃ち落としていたのです。
明治の始めに、我が国でもオーデュボンがこのように紹介されていたというのも大変興味深いものがあります。私もオーデュボンの画集を一冊持っています。どれも素晴らしい描写で、時々開いて見るのを楽しみにしていますが、ここでも上記の錦絵を紹介していました。(JOHN JAMES AUDUBON,The Wartercolors for THE BIRS OF AMERICA,VILLARD BOOKS,RANDOM HOUSE)

もう一人のグールドはほとんど全世界の鳥を図版にし、オーストラリア旅行中に、リトグラフ作家である夫人をお産で亡くすという悲しい出来事もありましたが、生涯を図譜の制作・出版に費やしました。玉川大学が所蔵する「鳥類図譜」はインペリアル・フォリオ判(約56×39cm)という大きなサイズで、全40巻の重さは500kgにもなるそうです。 目次



第十六話 白鳥

ものごとの核心をつくことを正鵠(せいこく)を射る、あるいは正鵠を得る、と言いますが、この正鵠とは、的の中心の黒点のこと。鵠は「くぐい」あるいは「くくい」とも読み、白鳥の古名です。

ハクチョウは世界的に分布しており、北半球では、旧北区にオオハクチョウCygnus. cygnus、コハクチョウC. bewickii、コブハクチョウC. olorが、北アメリカにアメリカハクチョウC. columbianus、ナキハクチョウC. buccinatorが、南半球では南アメリカにクロエリハクチョウC. melanocoryphusが、オーストラリアにコクチョウC. atratusが生息しています。属名のキグナスは同名の石油会社があり、ガソリンスタンドを地方ではよく見かけたように思います。*と思っていたら、いつも行っているスタンドがキグナスになっていました。

歳がばれるのを承知で古い記憶を辿ると、「白鳥の騎士」という時代劇が思い浮かびます。小学校低学年まではテレビジョンが普及しておらず、もっぱらラジオを聴いておりました。NHKのラジオドラマ“新諸国物語”をご記憶の方もおられるでしょう。なかでも、「白鳥の騎士」「笛吹童子」「紅孔雀」などが当時は大ヒットしました。白鳥の騎士は少年の頃、映画を観た記憶があり、東千代之介や高千穂ひづるの名が思い出されます。

ハクチョウを初めて見たのは皇居のお堀でした。これは日本へは飛来しないコブハクチョウですが、鳴く声を聞いた覚えがありません。それもそのはずで、コブハクチョウはほとんど鳴かないのだそうです。だから英名もmute swan。一方、オオハクチョウ(whooper swan)、コハクチョウ(whistling swan)、ナキハクチョウ(trumpeter swan,あるいは bewick swan、tundra swan)はその名の通り大声で鳴きます。これは気管が胸骨の中で巻いていて、ラッパの様な構造をしているためなのだそうです。(日本大百科全書:小学館)

コンドルやコウノトリを除けば、渡りをする鳥の中で、ハクチョウは極めて体重が重い部類に入ります。オオハクチョウは10kgを越え、コハクチョウでも6kg以上になり、クロヅル(4kg強)よりずっと重いのです。これ以上重かったら翼の大きさから考えて、もう飛ぶことは出来ないでしょう。そのため、ハクチョウは速く飛ぶことで揚力を得ており、飛行速度は70km/hに達します。(鳥の形とくらしIII:我孫子市鳥の博物館)飛び立つ時、懸命に湖面を蹴る姿から、ハクチョウの苦労が察せられます。

白鳥はその美しい姿から、しばしばおとぎ話にも登場しますが、バレエ「白鳥の湖」では、魔法使いロットバルトによって白鳥に変えられたオデット姫と、オデットに瓜二つのロットバルトの娘、黒鳥のオディールが登場し、一人二役で演じられます。白鳥はヨーロッパにもいますが、コクチョウはオーストラリア産。いつからヨーロッパに知られるようになったのか、興味のあるところです。

白鳥と湖からは、ディズニ−がシンデレラ城のモデルにもしたという白鳥の城、美しいノイシュバンシュタイン城とバイエルン王ルードヴィッヒ二世が思い浮かびます。ワグナーに耽溺し、国を危うくしたため幽閉され、1886年6月13日の夕べ、40歳の狂気の王はスタルンベルヒ湖で侍医とともに溺れ死にます。国王死去のニュースは折しもミュンヘン留学中の森鴎外の知るところとなり、鴎外は短編「うたかたの記」にこの事件を登場させています。格調高い雅文で綴られた少女マリィの気高さ、美しさの描写は秀逸で、ドラマティックな展開が胸を打ちます。

寒気とともに渡って来て、春には去っていく美しいハクチョウたちを見に、一度は伊豆沼などの飛来地を訪れてみたいものです。目次



第十七話 鳥の名の付く曲

これを書いてからだいぶ経った2003年12月号の「野鳥」誌になんと「音楽と鳥」という特集が組まれているではありありませんか!ご専門の方が書かれたものとは較べようもありませんが、でも、まぁ、それはそれ、これはこれ、ということで・・・

音楽好きの方は、「鳥の名の付く曲」というと何が思い浮かぶでしょうか?
僭越ですが、独断とこだわりの選曲で、まずはクラシックから。

・恋のウグイス(F.クープラン)
 元はクラブサン(チェンバロ)の曲なのですが、最初に出会ったのはリコーダーの教則本で、ソプラニーノ(f")用に編曲されたものでした。「ケキョ、ケキョ・・」というさえずりが美しいトリルで表現されています。欧州のウグイスはこう鳴くのかしら?と思っていたら、原題は Le Rossignol en Amour、つまり The Nightingale in Loveで、小夜鳴き鳥、夜鳴きウグイスのことでした。似たフレーズはあるものの、日本のウグイスとはだいぶ鳴き方が違うようです。

・ごしきひわ(A.ヴィヴァルディ:フルート協奏曲 二長調 Op.10 第3番)
 ゴシキヒワ(五色鶸)はカワラヒワの顔を真っ赤に塗ったような鳥ですが、宗教画に時々登場します。それは、この赤い部分をキリストの磔刑の時に飛び散った血で染まったとして、受難の象徴とされているからです。

・白鳥の湖(チャイコフスキー)
 中でも4人が手をつないで軽やかに踊る「小さな白鳥たちの踊り」が好きですが、一度TVでトロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団のこの踊りを見てしまってからは、この曲を聴くと、そのなんとも滑稽な様が目に浮かんできて困ります。

・白鳥(サン・サーンス)
 「動物の謝肉祭」の1曲ですが、ピアノ伴奏のチェロ用に編曲されたものがしばしば演奏されます。

・オーストリアの村ツバメ(ヨーゼフ・シュトラウス)
 新春恒例、ウィーンの「ニューイヤー・コンサート」でも演奏されたことがありました。オーストリアには日本と同じツバメ(Swallow:Hirundo rustica)と、イワツバメの亜種ニシイワツバメ(House Martin:Delichon urbica)が分布しているようですが、「村ツバメ」なら、学名からはツバメの方でしょうか?(rustica=田舎の、urbica=都市の)

・鳥の歌(スペイン・カタルーニャ地方のクリスマス・キャロル)
 1971年10月24日、国連でのカザルスの演奏が有名ですね。「私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んでいるのです」というスピーチが感動的でした。

・めんどり(ラモー)
 最近買ったCDに入っていました。騒がしく鳴く雌鶏の声をクラブサンで見事に描写しています。井戸端会議に夢中の奥様方を想像してしまうのは私だけかしら?

・モーツァルトの歌劇「魔笛」から、パパゲーノが歌う「私は鳥刺し」は大好きなアリアの一つです。モーツァルトは死の床でも口ずさんでいたと伝えられています。

他に、
・トゥオネラの白鳥(シベリウス)
・カッコウ・ワルツ(ヨナーソン)
・火の鳥(ストラビンスキー)
・金鶏(リムスキー・コルサコフ)
・千鳥の曲(箏曲)
・歌劇「夕鶴」(團伊玖磨) などが思い浮かびます。

クラシック以外では、兄が持っていた古いLPに、レイ・マーティン管弦楽団(ここにもMartin:イワツバメが登場しますね)のいわゆるムード・ミュージックを納めた「My London」というアルバムがあり、そこに「バークリー・スクェアのナイチンゲール:A Nightingale Sang in Berkeley Square」がありました。最近、歌詞を知り、素敵なラブソングであることがわかりました。ほかに、ご年輩の方ならきっとご存じの、パティー・ペイジの「モッキンバード・ヒル」やダイナ・ショアの「ブルー・カナリー」とか「イエロー・バード」、またディズニーのアニメに流れた「誰がロビンを殺したか(Who killed Cook Robin?)」なんていうのも懐かしく思い出します。これはマザー・グースから。

童謡となると、これはもうたくさんあります。一度でも聞いたことがある、という童謡は、
うぐいす、かなりや、かもめの水兵さん、からすの赤ちゃん、気のいいあひる、ことりの歌、すずめのおやど、雀の学校、たまごとニワトリ、ちんちん千鳥、はと、浜千鳥、ほととぎす、もずが枯木で、わらいかわせみに話すなよ・・・

曲名になくても、歌詞に鳥が出てくる童謡は、
かわいいかくれんぼ、かごめかごめ、ななつのこ、夕焼け小焼け、等々。

ほんとにたくさんありますねぇ。
鳥と人との永くて深い関わりを感じます。目次