野良猫日記 Jan.2003 |
鼻に傷が残るチビウシ、毛がごわごわでみすぼらしいボロジジ、更に腹からお尻にかけて脱毛しているガリグロがとぐろを巻いて軒下の座布団の上に一緒に寝ている。満身創痍同士、暖めあっているのだ。健康そのもののシロはお隣。 ツッパリのチビトラは後ろ肢を怪我してびっこを引いている。久しぶりにトラ母を見かける。クロ丸も見かけた。赤鈴猫も相変わらずだ。 娘の膝にチビウシが乗ると、ガリグロも乗ってくるようになった。娘はこの2匹をしばらく膝の上に乗せているのを気に入っている。 人間はああだったこうだったと愚痴を言ったり恨み言を言うが、猫どもはただ今を生きている。死ぬことさえ、ただ当たり前のように孤独に一人で死んでいく。こいつら人間より立派ではないか? |
それ程変わったことは無い。チビウシはチビトラと遊ぶし、昼の間は晴れた時はボンネットに座布団を2枚敷き、軒下組はその上や車の上に直接昼寝したりしている。 そういえば、赤鈴猫の鈴が取れていた。こいつ野良になってしまったんだろうか?健康そうで腹はぷっくりしている。 先日、ムツゴロウこと畑正憲氏が犬に会いに世界に出かけていく番組を観た。『ムツゴロウの猫読本』(文芸春秋/昭和61年刊)と犬養智子著『ネコの事典』(ごま書房/昭和51年刊)が押入れから見つかったので、その話は後日。 |
どっちも毛並みが汚らしくボロボロ。何とか生きている。 右のガリグロは時々隣の家の車に土足で乗っかっているので、苦情が来るのではと心配。ガリグロは軒下組の中で、一番ふらふらしていて隣近所へ行くことが多い。夜も時々軒下ではなく、どこか近くに自分の寝床があるらしく、いない時がある。 左は、鳴けないネコ、ボロジジ。
夕方6時ごろの軒下の塒(ねぐら)。手前にボロジジ、チビウシ。向こうにシロ。 ガリグロはいない。 |
赤鈴猫がくる。クロ丸を見かける。 ガリグロの脱毛したところを見ると、引っかき傷があった。ガリグロを見るとネコは長い毛の下にまた短い毛があることが判る。ガリグロが脱毛した原因はまだ調べてないので判らない。 炎症やただれなどは見つからない。フケを少し見つけた。蚤か虱の卵らしきものもあった。痒くて自分で引っ掻いたのだろうか? 毛の抜け方は、対称性脱毛症という典型的症状らしいが… |
猫は主観的動物で、犬は社会的動物だそうだ。 なんだか問題も将来出てくるような気がしているのです。 チビウシに子供を持たせてあげたい。 農耕がエジプト文明を生み、穀物に集まるネズミの大量発生に猫は役に立った。鼠を食べるだけではなく、見つけるだけでも殺す猫は、こりゃあいいとなった。猫が人間と付き合う最初になったのだと言う。今は人間社会が違ってしまった。鼠も人間自身が駆除してしまった。 これから猫と僕はどう付き合って行ったらいいんだろう? |
朝、よく見るとガリグロはやっぱり噛んではそのざらざらした舌で舐めては、また噛むことを繰り返していた。チビウシも同じ。娘に聞いてみるとチビウシは拾ってきたそのときから蚤がいたらしい。座布団にぼそっと一塊毛が落ちていた。ガリグロは大分掻き毟っている。 今日、ペットショップに相談に行った。やっぱり蚤から来る皮膚病とのこと。病院へ連れて行けと言う。死にますかなどと妻が聞く。死にはしないと思いますがとの返事。 |
ガリグロが歩いて出かけると、時々途中まで見送ってくれるのは前に書いた。途中で止まって鳴くのは、縄張りの見えない線があるからだということがわかった。もうそっちへは行けないよ、と鳴いたんだろうか、戻ってきてと鳴いたんだろうか? チビトラとシロが最初から野良猫だったことが分かった。人の手に触らせないし、チビトラは相手が大人の猫であろうと必死に戦っている。餌を食うときウワンウワンと唸りながら食べる。これはおいらの餌だと言っているのだ。強いものにはヒャーと言う声を出す。弱いものの抵抗なのだ。チビウシには言わないで一緒に遊ぶ。 シロがクロ丸に縄張りを主張して唸る。クロ丸は黙って一歩も引かないのは、クロ丸がシロよりも強いからだ。強い方は声を出さないらしい。 最近見かけない猫たちは縄張りの外へ弾かれたのだろう。いなくなる猫は、自分の縄張りから遠くへ遠くへ弾かれてしまうと、どんどん遠くに行ってしまうらしく、戻ってくるには相当戦い勝って連戦連勝で来なければならないらしい。犬もそうらしい。だから他所の土地へ連れて行くときは気をつけないといけないらしい。 それに猫の薬殺施設。ヨーロッパやアメリカでは病気の野良猫や野良犬を見てくれ、飼い主を見つけてくれるボランティア組織があるそうだ。日本では個人でお金を出して獣医に診せるので、負担が大きいので限界がある。多分キリスト教と関係があるんじゃないかと言う。こういう面は素晴らしく、組織作りと運営が上手いので見習ってほしいと言う。個人でやっても、その人が死んでしまえば、その猫たちは路頭に迷うことになるという。 日本では役所の収容施設に行く前に、動物愛護何々という団体が自分達で捕まえて処分しているというエピソードもあった。日本はこういう点は何で暗いのか…首をひねるのでした。 この本は昭和61年出版なので、それ以前の状況なのだが、今はどういう状況なのだろう? |
娘の友達Tちゃんは、シロはチビウシのお父さんだと言う。ホントかな?「お母さんは?」と聞いたら「わかんない」。シロは人の手を触らせない。チビウシは誰か2、3ヶ月まで引き取って育てて誰も貰い手がいないので困って捨てたのだろう。 ボロジジは乳母車でひとりで寝るようになった。 削り節にご飯を混ぜて猫飯を作ったら、ガリグロとボロジジは喜んでむしゃむしゃ食べた。餌を求めて動く範囲をハンティング・エリアと言うらしい。そのハンティング・エリアをうろつく赤鈴猫が来て、猫飯の匂いをかいだが食べなかった。ころころと太っている。他で美味しい物を食べているのだろう。 塒(ねぐら)にしているところは、プライベート・エリアって言うらしい。この辺をプライベート・エリアにしてるのはいつもの4匹。 チビウシとチビトラがここ2、3日ぎゃーぎゃーやっていた。どういうことだろう? まわりのお茶畑の森が一部壊されている。崖っぷちに建つマンションの為の道になるようだ。不思議と人間から身を守る揺り籠が破壊されようとしている。ひたひたと人間の欲望が野良猫たちを追い詰める。 |
茶畑の森が分断され、更に削られていく。 下にふたりヘルメットを被った工事関係者が歩く。 車の屋根の湿った座布団に3匹寝ていた。ガリグロの上にボロジジの上にチビウシ…のチェーン状態。こういう固まり方は、犬はしない。 例外はあるようだ。チワワなどはこんな固まり方をする。ムツゴロウこと畑 正憲氏が犬を求めて旅する番組で紹介されていた。因みにチワワとはメキシコの町の名前。チワワを飼うとある種の喘息が治ってしまうらしい。精神的なものから来る喘息に対する癒し効果なのだろうか? |
誰かが餌をやっているようだ。エジプトでは神だった猫。 この餌は神へのお供え物。 川にはカイツブリなど水鳥たちがいた。 鷺たちは見かけなかったが、いつも見かけるのでどこかで休んでいるのだろう。 |
ここ2,3日、チビウシは軒下で寝ていない。娘がガリグロとチビウシを一緒にじゃらして遊ばせていたので、ガリグロのほうで寝ているのだろう。シロはいつもの場所、ボロジジはこの頃乳母車。 雪が降った。朝からチビウシだけ見かけない。クロ丸が来ていた。頭の両脇と耳の後ろが皮膚病の所為か少し脱毛していた。道路の車の通った雪の轍に沿って帰っていった。上手いこと歩くんだなあと感心する。犬は雪の中、一匹が通ってできた轍を、次の犬は、そこを通るらしい。狼やそれに近い犬の足には水掻きのようなものが付いていて、雪の中でも沈まないらしい。 ボロジジも尻尾の付け根が脱毛して、相変わらず風邪を引いている。 夕方、チビウシ現る。ほっとする。膝の上によじ登り乗ってくるので、しばらく抱いていてあげた。クシュンと咳をする。少し風邪気味か?全然濡れていないので、どこか濡れないところにいたのだろう。 |
雪が降って、軒下でボロジジ、チビウシ、それに珍しく初めてシロが3匹一緒に固まって寝ていた。ガリグロは別なところで寝ているようだ。クロ丸を見かける。 脱毛が気になるので、少しぐらい良いのではと思い、ヘアボールケアのドライフードを買ってくる。気休めだと思うが…。 |
だらだら流れる鼻水を、左前脚で擦って。ぺろぺろ舐め、また拭いてを繰り返す。みすぼらしい尻尾には、丸まって寝るとき鼻水が垂れて付くのか、べったりぐしゃぐしゃだ。 口は臭いし、毛は油っぽくごわごわで、鼻水ついてるし、誰も抱く気にはなれないようだ。だけどこいつが一番べたべた身体をすり寄せてくるのだ。これは挨拶行為なので、こいつが一番礼儀正しいのだが… 生きることそのものが、大事業! なっ、ボロジジ君? |
赤鈴猫の鈴が新たに付けられていた。飼い猫だと確認できた。追っ払った。追っ払っても追っ払ってもやってきては、みんなを蹴散らして餌をあさりにくる。梶井さんのうちの近くにいたところを見かける。 チビトラ見かける。 |
チビウシがボロジジの風邪がうつったのか元気が無く、寝てばかりいる。心配で仕方が無い。毛並みもごわごわになって悪い。小さい命、いつも和ませてくれているチビウシが元気がないと本当にかなしい。 |