表2 石碑に刻まれた協賛者一覧表 |
協賛者 |
石碑上の名前 |
聖跡 |
経 歴 |
生没年 |
(役割) |
番号 |
巌谷一六 |
巌谷修 |
第1番 |
滋賀県出身。一六流の書家。明治政府では議政官史官、 |
1834 |
(揮毫者) |
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太政官史官となって当時の詔勅や制令の浄書を行う。の |
〜1905 |
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ち貴族院議員。令息の小波は童話作家として著名。 |
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畑 |
畑増尾 |
第1番 |
不詳 |
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(世話人、発起人) |
第3番 |
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金井之恭 |
従五位勲五等 金井之恭 |
第3番 |
群馬県出身。幕末の志士。明治政府では太政官少史、内 |
1833 |
(揮毫者) |
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閣大書記官、元老院議官などを経て貴族院議員。晩年は |
〜1907 |
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日本書道会や書道奨励会の会長。 |
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望月治三郎 |
駿州江尻 望月治三郎 |
第4番 |
静岡県清水市江尻の旧名家。江戸中期以降、本郷町組頭、 |
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(資材主) |
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江尻宿名主等を務め、紙問屋を営む。幕末維新期には横 |
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浜商人と交渉を持ち、全国的に活躍した。 |
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望月 |
望月黙雷 |
第4番 |
不詳。治三郎のことか。 |
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福田行誡 |
沙門行誡 |
第5番 |
仏教学者。明治初期の廃仏毀釈時には仏教諸宗をまとめ |
1809 |
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た。増上寺法主、浄土宗管長等を歴任。智恩院で入寂。 |
〜1888 |
杉浦誠 |
正五位 杉浦誠 |
第7番 |
幕臣時代は箱館奉行。明治新政府では開拓判官に任じ、 |
1826 |
(揮毫者、願主) |
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函館支庁を担当して交通商業等の発展に尽力。1875年職 |
〜1900 |
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を辞し、以後東京で吟詠を楽しむ。 |
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郷純造 |
従三位勲三等 郷純造 |
第8番 |
岐阜県出身。明治政府では大蔵次官、総務局長等を歴任。 |
1825 |
(揮毫者) |
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1888年官を辞した後、貴族院議員。長男の誠之助は実業 |
〜1910 |
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家で、大正〜昭和初期の財界指導者として著名。 |
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三田喜六 |
三田葆光 |
第14番 |
江戸生まれ。箱館奉行所調役並出役。歌人。 |
1824 |
(揮毫者) |
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〜1907 |
小野湖山 |
湖山小野長愿 |
第15番 |
近江郷士に生まれる。漢詩人。 |
1814 |
(揮毫者) |
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〜1910 |
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風月堂清白 |
第15番 |
1753年に初代大住喜右衛門が江戸で菓子店を開業。松平 |
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(願主) |
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定信より「風月堂清白」の屋号を頂戴。維新後に番頭の |
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米津に暖簾分け。これが現在の東京風月堂。 |
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岡本黄石 |
七十五歳 岡本迪 |
第16番 |
幕末維新期の彦根藩家老。明治には東京に移って自適の |
1811 |
(揮毫者) |
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生活。漢詩人。75歳は明治18年(1885)。 |
〜1898 |
山岡鉄舟 |
正四位 山岡鐡太郎 |
第19番 |
幕末の剣客。幕府講武所で剣術の教授方世話役。勝海舟 |
1836 |
(揮毫者) |
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とともに江戸開城の功労者。維新後は天皇の側近として |
〜1888 |
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宮内大丞、宮内書記官等を歴任。 |
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日下部鳴鶴 |
正五位 日下部東作 |
第21番 |
明治・大正時代の書家。明治新政府で大久保利通の知遇 |
1838 |
(揮毫者) |
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を得て大書記官等を歴任。官を辞して書道界に入る。清 |
〜1922 |
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人の楊守敬より書道・金石を学ぶ。 |
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加藤済 |
従五位勲五等 加藤濟 |
第24番 |
鹿児島県出身。明治政府の大蔵省銀行局長、大蔵大書記 |
1847 |
(揮毫者) |
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官。日本銀行設立時(1882)に創立委員。 |
〜1889 |
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