第112題 吉野遺跡出土の埋蔵銭
1、吉野遺跡とは?(第1図)
吉野遺跡は大阪府豊能郡能勢町吉野地区に所在する14世紀の遺跡である。東西100m以上、南北50m以上の範囲に、掘立柱建物群や屋内炉を有する建物などとともに埋蔵銭が発見された。銭は居住する建物と作業場(炉のある建物)の中間地点に、地中に埋められた丹波焼の甕のなかに納められていた。建物群に関係する埋蔵銭の発見は、全国的に見ても珍しいものである。
(第1図) http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/zeni001
銭甕の発見状況 http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/zeni002
2、出土した埋蔵銭の内容と時期
埋蔵銭は銭1,213枚を中に入れた丹波焼の甕を地中に埋めたもので、蓋はおそらくあったものと思われるが、調査では確認できなかった。銭は開元通宝・皇宋通宝・元豊通宝・元祐通宝・煕寧元宝などの中国の唐や宋時代のものがほとんどで、中には中国の南漢917年に初鋳された「乹亨重宝(けんきょうじゅうほう」という全国で6枚しか発見されていない珍しいものが含まれていた。
銭のなかで最も新しいものは咸淳元宝(初鋳1265年)で、従って今回の埋蔵銭の時期は少なくともこれ以降になる。
1,213枚の銭のうち、97枚を一つの束として一本の紐に通したもの緡銭が9緡あった。(下記の用語解説参照)この97枚を1緡としたものが当時百文として通用していた。これは省陌(省銭)といって、日本では中世および江戸時代に普遍的に見られた慣行である。江戸時代は銭96枚を百文(いわゆる九六銭)としていたが、中世では文献資料から銭97枚を百文としていたことが推測されており、またこれまでの出土例からも1緡97枚のものが多い。吉野遺跡で出土した9緡はすべて97枚であった。今回の発見は、97枚百文の中世の省陌法を証明する貴重な資料を提供したといえるものである。
銭を入れていた丹波焼の甕は、口径26.0cm、器高30.8cm、腹径36.6cmの大きさで、14世紀に焼かれたものと考えられる。また甕周辺より出土した土器(瓦器碗や土師器皿等)も14世紀のものである。以上のことから埋蔵銭の埋蔵時期は14世紀と考えられる。
銭甕 http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/zeni003
【用語解説】
緡銭: 中国や日本の古代・中世の銭貨は、大部分が円形を呈し中央に方形の穴を開けている。この穴に紐を通してまとめたものを緡銭(さしぜに)と呼び、この状態で保管・使用された。
3、緡銭とバラ銭
吉野遺跡で出土した古銭は全部で1,213枚、そのうち873枚は97枚を紐に通して束ねられているものを一緡として9緡検出された。また残りの340枚はバラバラか、数枚あるいは十数枚が重なった状態で検出した。とりあえず前者を緡銭、後者をバラ銭と呼ぼう。
バラ銭は元来同じような緡銭であったのが、紐が切れて散らばったものではないかとも考えられようが、しかし出土状況時の写真を見る限りそのような様子はうかがわれない。緡銭の方はすべて紐が多かれ少なかれ残存していたが、バラ銭の方の重なった銭の孔には紐は見当たらなかった。ここは9緡の緡銭とバラ銭とは区別するべきものと考える。
緡銭は一枚一枚はがして錆をとって銭名を読み取り、外径・内径・厚さ・重さを計測するとともに、その裏表をも記録していった。バラ銭も銭名だけでなく、同様の計測を行った。
それでは緡銭とバラ銭とでは、銭にどのような違いがあるのか。緡銭・バラ銭に分けて、外径・内径・厚さ・重さの計測値の平均を出してみた(第1表)。この表を見ると、外径・内径・厚さは、緡銭とバラ銭とではその数値の違いはわずかの差でしかないのに対して、重さについては緡銭3.43g、バラ銭3.16gと8%の差があることが判明した。
そこで緡銭・バラ銭・全出土銭の重さの分布グラフを作成してみた(第2図)。
すると緡銭と全出土銭ではきれいな正規分布を描き、ピークが明白であるのに対して、バラ銭ではピークが左右に広がっており、その違いは明らかである。緡に束ねる銭とそうしなかった銭とでは、その違いを意識していたのは確実であろう。緡を作る際にあらかじめやや軽い銭を取り除いておいた、あるいは緡にするやや重い銭を選んでいったと言うことは可能と考える。
|
外径 mm |
内径 mm |
厚さ mm |
重さ g |
緡銭(873枚)の平均値 |
24.44 |
19.5 |
1.27 |
3.43 |
バラ銭(340枚)の平均値 |
24.41 |
19.4 |
1.25 |
3.16 |
全出土銭(1,213枚)の平均値 |
24.43 |
19.5 |
1.26 |
3.35 |
第1表 緡銭・バラ銭・全出土銭別 計測値平均
(第2図) http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/zeni004
4、一緡の重さ
各緡の重さは最低で326.72g、最高で337.12gで、平均では332.71gとなる。前後5g(銭1枚半)程度の範囲のなかにすべての緡の重量の実際値が収まることになる。銭を束ねていく際にこの重量にしていこうという意思が働いていたのではないかという仮説を立てることができる。そこでもし全くデタラメに銭を選んで束ねたとしたらどうなるかを実験し、その値と実際の値とを比較しようと考えた。その値に差があれば当時に銭を選ぶ際に作為があったとなり、差がなければ作為がなかったとなる。
実験にはデタラメを保証するためにサイコロと乱数表を利用することにした。緡銭873枚をサイコロあるいは乱数表によって改めて選んで97枚の緡を九つ作ったとした場合のそれぞれの緡の重さを計算し、第2表にその結果をまとめた。
これによればデタラメに選んだ実験値には、実際値の範囲を大きく超えるものがかなりの割合で出現している。平均値からの差の大きなものは13.5g(銭4枚分)であった。実際値には作為性があるものと言えるであろう。緡を一定の重さにしようとしたという仮説は成立すると考える。
実際の一緡の重さ (実際値) |
326.72g 328.65g 328.98g 330.77g 334.20g 335.39g 335.63g 336.95g 337.12g |
平均の重さ 332.71g |
サイコロで選んだ一緡の重さ (実験値) |
325.99g 328.49g 329.10g 329.57g 331.35g 332.80g 334.67g 340.75g 341.69g |
|
乱数表で選んだ一緡の重さ (実験値) |
320.46g 323.10g 324.76g 333.57g 333.69g 335.11g 337.57g 339.94g 346.21g |
第2表 一緡の重さ(実際値およびサイコロ・乱数表による実験値)
5、どのように銭を取り出して緡に通したかを考える
各緡ごとに束ねた銭の順番にしたがって、その重さの折れ線グラフを作成してみた(第3図)。一見すると鋸状に大きく上下している。これは緡銭を選ぶ際に、やや重い銭の山とやや軽い銭の山をつくって、交互に一枚あるいは複数枚取り出して紐に通していったのではないか、という仮説を立てることができる。そこで全緡銭のうち3.47g以上を(大)、3.46g以下を(小)としてそれぞれ440枚、423枚とほぼ五割ずつに色分けしたところ、(大)の次に(大)が来るのは195回、(大)の次に(小)が193回、(小)の次に(小)が186回、(小)の次に(大)が194回となり、(大)(小)の現れる比率は全くと言ってよいほどに変わらない。従ってこの仮説は成り立たないものである。
次に前述のように緡の重さを一定にしようとするものなら、銭を束ねる最終段階で重量合わせをするのではないか、という仮説を考えることができる。そういう目で第3図のグラフを見ると、緡―2・緡―5・緡―6・緡―9の左端は下がり、緡―8のそれは上に上がっている。これは97番から順々に銭を束ねていって、あと10枚ぐらいという時に行った重量合わせと言えないものだろうか。積極的な肯定はできないが、成立する可能性のある仮説として提示しておきたい。
(第3図) http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/zeni005
6、緡銭の裏表
前述のように緡銭は一枚ずつ順番に裏表を記録したのだが、「表」あるいは「裏」が何枚も連続する場合がある。この連続が偶然の産物なのか、それとも作為的なものか、それをどのようにしたら確かめられるのかを考えた。そこで「表」あるいは「裏」が連続する(以下「連続」と略す)出現回数を数えてみた。すると10枚連続して同じという場合が2回、9枚連続が1回、8枚連続が2回、7枚連続が6回‥‥であった。もしこれが偶然であるなら、銭をアトランダムに束ねた時にそれぞれの枚数の連続の出現回数を計算して得られる数値(期待値)と近似するはずである。そこで実際値と期待値を求め(下記註)、第3表にまとめた。
この表を見ると、連続6枚までのものの回数の合計は、計算上では87.313回に対して実際は86回で、ほとんど差のない数字が出た.これは偶然の産物と言える。しかし7枚以上のものは合計すると計算上は5.117回に対して実際は11回となり、はっきりとした違いが見られた。これは偶然と言うことができないものである。すなわち7枚以上の銭が裏あるいは表で連続したのは作為性を有するものがあると言える。作為の具体像を思い浮かべるならば、7〜10枚ほどの銭の束をまとめて紐に通したなかに裏表を揃えたものがあった、ということになる。
考えてみれば銭を紐に通すとき、一枚一枚を紐に通すのではなく、ある程度まとめて一度に通す方が合理的である。これまでの検討を総合すると、7〜10枚の銭の束を作っておいて、その束をつかんでそのまま紐に通すことを繰り返して緡を作っていったのであろう。そのなかに裏表を意図的に揃えたものがいくつかあった、ということである。
現在でも財布の中の千円札の裏表を揃える人は少なくない。中世でも銭という貴重なものを束ねるとき、裏表を揃えようとした人がいたに違いない。
\連続枚数 |
3枚 |
4枚 |
5枚 |
6枚 |
7枚 |
8枚 |
9枚 |
10枚 |
実際の出現回数 (実際値) |
43 |
24 |
15 |
4 |
6 |
2 |
1 |
2 |
計86回 |
計11回 |
|||||||
計算上の出現回数 (期待値) |
47.125 |
23.250 |
11.344 |
5.594 |
2.758 |
1.359 |
0.670 |
0.330 |
計87.313回 |
計5.117回 |
第3表 緡銭の裏表の連続の出現回数の実際値と期待値
7、まとめとこれからの課題
結論としては、緡は銭を束ねる際には、軽い銭をあらかじめ除外しておいて、銭種や大きさを意識せず、7〜10枚の銭の束をたくさん作っておいて、その銭束を一度に紐に通すことを繰り返して、一緡が97枚ずつでかつ重量が332g程度になるように考慮して作ったものであろうということである。しかしこれは全古銭1,213枚、緡は9緡というわずかの数量での分析である。この結論は今のところ吉野遺跡出土埋蔵銭に見られた傾向性と言うほかない。
この傾向性が吉野遺跡だけに限られるものなのか、全国的なものなのか、あるいは地域性なのか、時期的なものなのか、今後の課題は多い。
本論で行った方法は、全ての出土銭を計測して一覧表を作成した上で、様々な仮説を設定し、計算やグラフ・実験などの資料操作を行って、仮説が成立するかどうかを検証するというものである。これは出土銭の研究では他に例がないようであるが、かなり有効な方法論だと考えている。これを使えば、これまでとは違った研究の方向が出て来るのではないかと思う。
(註)
アトランダムに選んで裏表を意識せずに紐に通したX枚の古銭がある。このなかでa枚が裏あるいは表で連続して出現する回数の期待値はいくらか。
この計算式は次の通りである。
{(X−a+3)×0.1875}÷{3×2(a−3)}