「歴史と国家」雑考第4題 「収奪」考

 歴史に関する研究書や論文を読んでいくと、ときおり違和感を抱く用語に出くわすことがある。その一つに「収奪」がある。辞書ではこれを「強制的に奪うこと」と説明しており、どう考えても悪いイメージでしかない。

 歴史研究においては「国家による収奪」「租税収奪体制」というように、税の徴収の意に使っている。税は古代にあっては租庸調であり、中世にあっては年貢であり、近代にあっては税金である。それでは税の徴収すなわち国民が国家に税を納めることが何故に「収奪」なのか。

 この用語を使う歴史研究者の肩書きをみると、多くが国公立大学の教官である。つまり公務員であり、国民から吸い上げた税金から給料をもらって生活している。「収奪」という言葉を使うなら、「収奪する側」の立場に立つ人たちである。ならば自らの立場を悪くするような言葉をなぜ使うのだろう。ちょっと憶測してみる。

 

 一つの考え方として、天皇・貴族・武士といった支配階級が自分たちの利益のために国家機関を使って被支配階級の人民から取り上げるのが税であるから、これは「収奪」である。しかし今は国民主権で、国家は国民のためにあるのだから、税金に収奪の意味はなくなった。こう考えれば現憲法以前の過去の歴史のみに「収奪」を用いることになるので、公務員という現在の立場を合理化できる。

 しかしその場合は1945年以降の現代日本は、階級支配が消滅したことになる。話は飛ぶが、以前に某革新政党の委員長さんがテレビでキャスターから「この日本よりもっと良い国というのは一体どこか。中国か、旧ソ連か、キューバか、ルーマニアか‥‥」と具体的な国名を次々と挙げて問われていた。答えはベトナムと言いかけて結局は「なし」であった。今の日本を「アメリカ帝国主義に従属する国家独占資本主義」と規定する社会主義政党ですら、本音では日本は良い国と考えているのであるから、階級支配がなくなったというのは、意外と当たっているかも知れない。

 

 もう一つ考えられるのは、国家は階級支配のための暴力装置であり、それを維持するために人民から税金を収奪するもので、そのための公務員が自衛隊員であり警察官であり税務署員だ。しかしそれだけでは人民は反発するだろうから、国家は教育・福祉・文化といった人民の利益になるようなことにも税金を使わねばならない。税金を人民のためにたくさん使わせているのであるから、その立場に立つ公務員は被支配階級の人民の味方であり、税金から給料をもらうのに何のやましいところはない。こう考えれば、一部の公務員が「収奪」をつかうことは一応合理化できる。

 しかし、それは泥棒した金でも良いことに使えばいいことだ、という論理に似ているし、公務員を良い公務員と悪い公務員とに分けるのも変な話だ。三十年ほど前だったか、国立大学の学部長さんが「警察は敵だ」と発言して問題になったことがあるが、公務員に良い悪いのレッテルを貼る人は案外いるようだ。

 

 さらにもう一つ考えられるのは、公務員は国家権力組織の一員であり、収奪する側にあるのは当然だ。自分が公務員であるのは単に生活のためだけである。税を「収奪」と書いても、収奪者である国家が自分を受け入れているのであるから、それでよい。あまり悩みを持たない人だったら、こういう風に合理化するだろう。

 

 以上は私の勝手な想像であるが、実際のところはどうだろう。「収奪」を頻用する研究者の一人に、私の元上司で現在某国立大学教授がおられる。大変お世話になったものだが、一度お聞きしたいものだ。

 

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