第6題 続「発展段階説」考

二つの発展段階説

 マルクスがその著書『経済学批判』序説において、「アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式」という世界史の発展段階(四段階)を示したことは周知のことであるが、彼は一方では『共産党宣言』などでは「奴隷制、農奴制、資本主義」という発展段階(三段階)をも示している。

 二つの説は、「古代的」=「奴隷制」、「封建的」=「農奴制」、「近代ブルジョア的」=「資本主義」で対応する。大きな違いは、前者が「アジア的」という地理上の概念をそのまま歴史上の最初の段階に位置付けているのに対して、後者が「アジア的」を欠落している点である。後者の欠落はエンゲルスに受け継がれており、その著書『家族・私有財産・国家の起源』には「アジア的」の段階がない。

 これはどういうことかというと、19世紀のヨーロッパの一般として、人類の歴史はギリシア・ローマの「古代」から始まる、という認識があったからだ。つまり、原始社会はサルと同様に人間の歴史から除外して、「古代」から歴史が始まると考えられていた。しかしマルクスは「原始」と「古代」の間に、当時アジアに広範に見られた社会を「アジア的」として挟み込んだのである。だが彼の最大の関心は近代資本主義の分析にあったので、このことについての研究は『諸形態』以外には非常に少なく、「アジア的」段階のない歴史をも容認している。つまり両方の歴史を呈示した。そしてエンゲルスはマルクスの死後、「アジア的」の欠落した一方の歴史のみを継承したのである。

 

ヘーゲルの影響

 ところでマルクスは,何故この矛盾するような二つの歴史を呈示したのか。これはヘーゲルの歴史観の影響である。マルクスはヘーゲル学派のなかから生まれた思想家であるから、ヘーゲルの思想が色濃くある。

 ヘーゲルは歴史上の世界にあった諸社会、具体的には中国・インド・ペルシア・ヨーロッパを取り上げて、中国よりはインド、インドよりはペルシア、ペルシアよりはヨーロッパが発展した段階の社会として描いている。このうち中国とインドは古い形態のまま今に至っている段階の社会とし、古代ペルシアがそれより一歩前に出た段階で次の西ヨーロッパに繋がるものとしている。

 つまりアジアという停滞した社会のなかから古代ペルシアが生まれ、それが次にギリシア・ローマ・西ヨーロッパという時間的経過とともに発展してきた歴史を導いたとする。別の言葉で言うと、彼はアジアをヨーロッパ以前の停滞社会と位置付けた上で、ヨーロッパはこのアジアから脱して発展した歴史を歩んで現在に至ったと考えたのである。さらに分かりやすく言うと、19世紀の中国よりも紀元前のギリシアの方が発展した段階にあるということである。

これがヘーゲルの世界史全般についての思想である。

 マルクスが示した「アジア的,古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式」という世界史の発展段階説は、このヘーゲルの構想する世界史の発展段階と重なり合う歴史観と考えなければならない。従って「アジア的」と「古代的、封建的および近代ブルジョア的」とは、その中身に大きな違いがある。「原始」から一歩踏み出した段階のまま現在まで持続してきたのが「アジア」であり、一方のヨーロッパでは「古代」「封建」を経て「ブルジョア的」に時間的経過を経て到達したということである。

 マルクスが「アジア」を設定した歴史と、それを欠落した歴史の両方を示したのは矛盾ではない。時間というものを無視して原始から近代資本主義に至るまでの人類史上の発展段階の序列を重視すれば前者(四段階)、時間的経過という文字通りの歴史を重視すれば後者の発展段階(三段階)の設定となったわけである。

 

アジアは違った道を歩む

 アジアの一角にある日本という地域に限定した歴史に、マルクスが設定した発展段階をそのまま適用して、時間的経過とともに各発展段階を継起的に歩んできたとする日本史の研究があった。奈良・平安時代は古代=奴隷制、鎌倉・室町・江戸時代は封建=農奴制としよう、だったら「アジア的」はどこに入れようか、などとマルクスを日本史に当てはめようとする研究である。しかしこれは妥当なものではない。

 日本はヨーロッパから遠く離れたアジアの東端にあり、従ってヨーロッパとは違う道を歩んで近代資本主義に至ったと見るべきである。それは近年において、資本主義によって繁栄を獲得した他のアジア諸国も同様なのである。

 マルクスは『宣言』のなかで、

 

「ブルジョア階級はすべての民族をして、もし滅亡したくないならば、ブルジョア階級の生産様式を採用せざるを得なくする。かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入すること、すなわちブルジョア階級になることを強制する。」

 

と喝破している。彼の言うように「ブルジョア階級になること強制された」アジアは、ヨーロッパのような発展段階を経るのではなく、否応なくいきなり資本主義を実現し、そしてヨーロッパの政治・経済・文化の価値観を受け入れていくのである。

 アジアにおいては日本が先行してそれに成功し、ここ数十年のうちに他のアジア諸国のなかにも成功しつつある国が現われた、しかし一方では無惨にも失敗を繰り返している国もある、というのが眼前に進行している歴史と言うべきであろう。

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