第7題 「階級闘争」考

 このごろマルクスを冷静に読み返して思うことは、彼の最大の誤りは、ブルジョア階級と闘うプロレタリア階級を<発見>したことであろう。実際には、マルクス主義を信じて実践したのはプロレタリア=労働者ではなく、インテリであった。闘うプロレタリアは現われず、闘ったのはインテリで組織された前衛党であった。このインテリ前衛党が全プロレタリアの代表のごとく振舞って闘ってきたのであった。この傾向は今も変わらない。

 マルクス自身の誤りは他にもあるが、それは今措くとして、それ以外に誤りではないのに後の人たちが誤解したために、評判の悪い用語がある。その一つが「階級闘争」である。

 

誤解されやすい「階級」

 「階級」や「階級闘争」は、マルクスが社会の物質的基盤=下部構造=経済を分析するために見出した言葉で、社会科学用語というべきものである。しかしここで言う「階級」は、ボクシングや柔道の「階級」、警察・自衛隊の「階級」とは全く意味が違うので、一般の人にはかなり分かりにくい言葉である。

「階級闘争」とは格闘技で闘うことなのか、あるいはより高い階級を目指す出世競争のことか、と誤解されても仕方のない面がある。原始社会のムラにだって酋長さんはいるし、共産党や労働組合にだって委員長さんや書記長さんがいる。人間社会には上下関係は必ずあるのだから、これは「階級」というものではないか、という素朴な疑問が常に抱かれる。だから別の言葉に言い換えた方がよいのだが、歴史研究においてはこれで長年にわたって定着してしまっており、言い換えは困難である。そのためであろうか、歴史研究者のなかには「階級」を一般に使われている意味と混同して使っている場合が多くあり、混乱していると言わざるを得ない状況が見られる。

 

アジアに「階級闘争の歴史」はない

 マルクス・エンゲルスは『共産党宣言』第1章の冒頭に、

  「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」

という有名な一節を書いている。

 それではこの「階級闘争の歴史」は一体いつ、どこで始まったとマルクスらは考えたのか。それはその数行後に出てくる。

 

「歴史の早い時期には、われわれは、ほとんどどこでも社会が種々の身分に、社会的地位のさまざまな段階に、完全にわかれているのを見出す。古ローマにおいては‥‥」

 

つまり古ローマ時代から階級闘争の歴史が始まるとしている。そしてこの時代は「古代的」=「奴隷制」に相当し、以後「封建的」=「農奴制」、「資本主義」=「近代ブルジョア的」と続くのが階級闘争の歴史なのである。別に言い換えれば、ヨーロッパの全歴史が階級闘争の歴史としたわけである。

 ところでマルクスは『経済学批判』で「アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的」という歴史の段階を設定したが、それでは「古代的」より以前の段階に位置する「アジア的」では階級闘争はどうなるのか。それは階級闘争はなかったのである。

 マルクスの著作を素直に読む限り、「アジア的」世界においては階級闘争はないとするのが、彼の思想である。彼の言う「アジア」は、原始社会から一歩踏み出した段階のまま今に至るまで維持された社会で、彼の生きた19世紀のアジアに広範に見られたものであった。従って「アジア」は階級闘争より以前の段階にあり、「階級」は存在しなかったか、未熟であったのである。

 例えば中国の黄巾の乱や紅巾の乱などの民乱は、農民等が国家権力の衰退に乗じて権力闘争に参加したものであって、農民としての経済的権利を主張するものではなかった。民乱が成就すると、参加した農民等のなかから新たな皇帝が誕生するが,混乱した社会が元の安定した社会になるだけである。つまり個々の人民は、勝ち馬に乗って権力に昇りつめようと必死の努力をするが、自分たちの経済的権利を守り主張するために団結・行動するという階級闘争をすることはなかったのである。たとえ貧農出身の皇帝が現われても、農民に対する苛斂誅求は相も変わらずで、人民全般の生活が変わるわけではない。

 アジア歴史で繰り返されたのは、このように最下層の人間が最高の皇帝になることが可能であるような激しい権力闘争であって、社会の下部構造に変化を与えるような階級闘争ではなかったのである。過去の日本においても、どこの馬の骨か分からぬ豊臣秀吉が関白・太政大臣にまで地位を昇り詰めたのは、権力闘争の結果であって、階級闘争では全くない。

 

日本史にマルクスを当てはめることは妥当ではない

 戦後の日本の歴史研究者たちの多くは、「あらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」というマルクスの言を、そのまま日本の歴史に適用した。「社会が内包する階級矛盾の解明こそが、その総体と本質を明らかにすることであり、科学的な歴史というものだ」が歴史研究の基本的立場となったのである。極端な言い方をすれば、日本も古代から階級が形成されて階級闘争があったはずだ、抑圧・収奪する憎き支配階級はどこの誰か、反対に抑圧・収奪される哀れな被支配階級はどこにいるのか、彼らはどのように闘ったのか、と探す歴史研究である。

 そしてレーニンの階級国家論をそのまま信じ、社会のなかで階級分裂が生じると支配階級は自らの利益を守り被支配階級の闘争を抑圧するために国家をつくった、というような学説が唱えられた。さらに中国の毛沢東が社会主義を実現したため、彼の「人民、ただ人民のみが歴史を動かす原動力である」という言葉の影響を受けて、今度は階級ではなく、毛沢東風の「人民」が探し求められ、「人民闘争」を見つける努力がなされた。歴史を学ぶということは、かつての人民の闘いを学ぶということだ、というような議論が真剣になされた時代もあった。

 このような歴史研究は、少なくともマルクスの思想とは無縁であり、全くの別の思想とすべきものである。そしてこの思想は、20世紀の社会主義とともに破産したはずであるが、残念ながら日本の歴史研究者には、なおも強固に残存している。

 

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