23「奴隷制」考

なじめない「奴隷制」議論

 日本古代に奴隷制があったかどうか。戦前は渡部義通に始まって早川二郎、石母田正、藤間生大らによる研究があった。戦後はマルクスの遺稿の『資本主義に先行する諸形態』が訳出されて、そのなかに出てくる「総体的(全般的)奴隷制」をめぐって安良城盛昭、太田秀通、原秀三郎、吉田晶、塩沢君夫らの研究・論争があった。

 この論争は非常に活発であったが、結局何が何やらよく分からない、というのが正直な感想である。ただ早川二郎を除いてほとんどの研究者が、日本古代は奴隷制(総体的奴隷制、日本型奴隷制、家父長的奴隷制、国家的奴隷制など)であったとする点で共通していることは理解できた。なかには中世も奴隷制だと考える人もいる。

 奴隷制と聞いてまず思い浮かべるのは、ヨーロッパ古代のギリシア・ローマの奴隷である。スパルタクスの乱などの奴隷の反乱も世界史の授業で習った。また19世紀までのアメリカには黒人奴隷が農場などで多く働いていた。奴隷制が世界史上に存在したのが事実であることは分かるのだが、かつての古代日本は奴隷制であったとするのは、どうしてもなじめない。

 大阪大学考古学教授の都出比呂志さんは『日本史研究343』のなかの討論で、「奴隷制・農奴制などの階級関係そのものに疑問がある。奴婢・良賎はあるのだが、奈良時代の階級関係は奴隷制・農奴制では解けないのではないか」と述べておられる。日本古代が奴隷制社会であるという見方に疑問を抱くのは、私だけでない。

 

比喩としての「奴隷」

 マルクスは東洋社会つまりアジア的形態に置ける「奴隷」について次のように書いている。(手島正毅訳『資本主義に先行する諸形態』国民文庫)

 

 「この形態(アジア的形態のこと)は個々人はけっして所有者とはならず、ただ占有者となるにすぎないから、けっきょく彼自身が、共同体の統一を具現する者の財産、奴隷である。」(40ページ、括弧内は引用者―以下同じ)

 「このこと(所有が生産の諸条件に対して様々な形態をとりこと)は、たとえば東洋の全般的奴隷制にはあてはまらない。ただヨーロッパ的観点からだけいえることである」(44ページ)

 「これら(アジア)の共同体のあるものにおいては、村落の土地は共同で耕作されているが、大多数のばあい、各占有者が自分の耕地を耕作する。同一の奴隷制および族姓(カースト)制度の内部で。」(90ページ)

 

 マルクスが東洋における奴隷について書いているのはこれぐらいで、本格的に論じているというわけではない。「総体的(全般的)奴隷制」という言葉はここだけだそうだ。

 彼が「奴隷制」について一番多く触れているのはギリシア・ローマ時代の奴隷制で、ヨーロッパ中世の農奴制とともに近代資本主義の前史としての研究である。ヨーロッパ古代が奴隷制であったことは、世界史の教科書にもあることで、いわば常識であろう。

 ところがマルクスはアジアやヨーロッパ古代だけでなく、近代資本主義でも「奴隷」を使っている。その主著『資本論』において、近代の資本家に雇用されている労働者を「賃金奴隷」と頻繁に表現している。だからといって近代が奴隷制社会であるなどとは、ゴリゴリのマルクス主義者でも言わない。近代の労働者は生産手段を所有せず、その労働力を商品として資本家に売るしか生活できないという意味で「賃金奴隷」と比喩したことがあまりにも明らかであるからだ。

 すると考えられるのは、マルクスが歴史用語として「奴隷制」を使ったのはヨーロッパ古代のみで、他は単なる比喩ではないかということである。つまりアジアの「奴隷」=「総体的奴隷制」は、近代の「賃金奴隷」と同様に比喩としての「奴隷」であって、歴史用語あるいは社会科学的用語ではない、ということだ。そういう観点から先の『諸形態』を読み直してみると、かなりすっきりと理解できる。

 「奴隷」を比喩として使うのは、現代の歌謡曲の歌詞にある「私はあなたの奴隷よ」と同じで、古今東西珍しいことではない。したがって真剣に議論すべき言葉ではなかろう。

 日本の古代においては、個々の人民は共同体に埋没して、ただひたすら国家=天皇に従うのみで、自分たちの利害を守るために団結するとか行動するとかなんて思いもよらなかった。彼らはまるで奴隷のようであった。

 こんな風な感じで十分だろう。マルクスもアジアの「奴隷」についてはその程度のことしか言っていないと考える。

 

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