第25題タリバンの純粋さ

 アフガニスタンのタリバン政権が、バーミヤンの大仏を破壊した。彼らはそれだけでなく、国立博物館に収蔵されていた仏像もことごとく破壊した、という報道もあった。

 なぜこのような蛮行という事態になったかについて、様々な憶測が流れている。一つは世界から孤立しているという焦燥感から、自分らの存在を認めさせようとして破壊したというものがあった。また大仏を人質にして自分たちを有利にしようとしたが、思うようにいかないのに腹を立てて破壊したというものもあった。どちらもヤケのヤンパチでの行為だという解説である。果たしてそれはどうだろうか。

 仏像は他国に売ればかなりのお金になる。しかしタリバンはそんなことをせずに、ただひたすら破壊した。それが経済的利益を生む資源になるという発想さえなく、ましてや先人が残してくれた文化遺産という考えも当然全くない。我々から見れば狂気の沙汰であるが、当人たちはイスラムの教えを実行したものとして、意に介さない。蛮行は自暴自棄でもなく一時的な激情でもなく、冷静にかつ粛々と行なわれたようだ。現実的世界あるいは自分たちを取り巻く世界を全然無視して、経済的利益すら追求することもなく、どんなに貧乏しようともイスラムの教えをそのまま実現しようとしているのであるから、この蛮行は純粋な宗教心の表現と言える。

その思想は余りに純粋であるが故に「原理主義」と言われている。そして原理主義者たちはイスラムの教えに真面目で誠実であるからこそ、他のイスラム教徒に大きな影響を与えている。西欧にはアラブ人はじめ多くのイスラム教徒が移住しているが、彼らの間でも原理主義の思想が徐々に広まっているという報道があった。原理主義は我々には不可解なためいずれ消え去るものと思いがちだが、実際にはそんなことはない。原理主義の勢力は縮小するのではなく拡大しているのである。

今の日本の街のなかに「多文化・多民族共生の社会を築こう」というポスターが貼られているが、我々の社会にとってイスラム原理主義との「共生」は不可能である。我が社会の最低必要不可欠な価値観を共有した者とのみに「共生」は可能なのである。

千数百年前に勃興したイスラム教は、「左手にコーラン、右手に剣」で大サラセン帝国を築き上げた。現在の原理主義はサラセン帝国の再現を目指しているように思える。それは世界にとって大きな脅威となる。

20世紀の世界はイデオロギーの時代であった。

21世紀の世界は宗教の時代となろう。

 

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