第20題「古代渡来人」考

 日本最古の歴史書『日本書紀』を見れば、百済や新羅など朝鮮半島から渡来した人の記事が多い。彼らが日本にもたらした文化的影響は大きいものがあることは確かである。

「民族差別と闘う」運動を担う人たちは、日本人はこのような「真実の歴史」を知って、朝鮮からの文化的恩恵を感じなければならないし、恩を忘れてはならない、そしてそのことが現在の在日朝鮮人への差別感をなくすことにつながるのだ、という考えを持つようになっていく。従って、彼らは古代における朝鮮半島からの影響を非常に大きく強調する。強調すればするほど、差別はなくなると考えているからである。時には根拠のない語呂合わせや、強引な資料解釈をしてしまう。古代日本の文化はすべて朝鮮からのものだとか、古代では朝鮮は文明国で日本は野蛮な国であった、文明人の朝鮮人が野蛮な日本人に文化を教えてあげたのだとか、極端なことを言う人もいたのである。朝鮮からの文化的恩恵、すなわち日本にとって朝鮮は恩人であるという「歴史」のためなら、個々具体的な事実は少々のことならどうでもよい、という態度を感じさせるものがある。

古代に朝鮮からの多くの渡来人が活躍し、大きな文化的影響を与えたという「真実の歴史」を知れば、日本人は朝鮮に恩を感じ、差別をやめるだろう、というのは一つの考え方にしかすぎない。

朝鮮からの渡来人には日本の古代に大いに貢献してもらった。彼らは日本に住みつき、平安時代後期までにはその痕跡をとどめることのないぐらいに同化した。あなた方在日朝鮮人たちも大いに日本に貢献してもらいたい。そしていずれ同じ様に日本人になっていくのであるから日本への悪口はやめてもらいたいものだ。こういう考え方をする人がいる。

また古代の渡来人が全くの日本風の名前で同化してきた歴史をもって、現在の在日朝鮮人も将来を考えて日本風の名前で帰化すべきだと説く人もいる。

あるいは昔の渡来人は偉かった。誇り高く文化人も多かった。そうであったのに現代の渡来人である在日朝鮮人は一体何だ、と言う人もいる。

あるいはまた、朝鮮は歴史上一貫して中国からの圧倒的影響を受けてきた。渡来人がもたらした文化というのはつまりは中国からのものではないか。かつて朝鮮は日本に恩恵を与えたのにと日本の忘恩を指弾するのなら、自分たちが受けてきた中国からの恩恵はどうなるのか考えるべきだ、と言う人もいるのである。

「真実の歴史」を知っても、人それぞれ色んな考えが出てくるものである。それよりも、そんな古い歴史の話をされても、昔は昔、今は今、何も関係ないじゃないの、という反応が一番多いものだ。

 

(追記)

 これは自費出版『「民族差別と闘う」には疑問がある』(199312)のなかの一節の再録です。

古代に日本は朝鮮から多大な影響を受けたという歴史観は、現在かなり定着してきています。遺跡の説明などにも「渡来人の活躍」や「渡来文化」という言葉が多く使われています。この歴史観は、今から20数年前の70年代に在日朝鮮人作家の金達寿さんらが始めた「日本のなかの朝鮮文化」を見つける運動が嚆矢です。この題名の本がシリーズとなって、たくさん売れたものでした。

それまでの歴史界では、そういったものを軽視あるいは無視してきたのは事実だろうし、それを注目させた金さんらの運動は大きな意味がありましたが、その内容には首を傾げてしまうのが多かったものです。

例えば、百済を「クダラ」と読むのは、朝鮮語で「ク」は「大きな」、「ダラ」は「ナラ」の転化で「国」という意味だ、当時の日本にとって百済は大国であったのだ、というのがありました。また日本語の海を意味する「灘」は、朝鮮語の海である「パダ」が「ナダ」に転化しものだ、というのもありました。こういったものは、単なる語呂合わせとしか言いようのないものです。金さんらは歴史資料に基づくものと、語呂合わせという根拠のないものとを混ぜて並べて、日本の文化はみんな朝鮮文化であったと言ってよいのだ、などと言ってこられたのです。

彼らの影響は大きく、大阪でここ数年前から行なわれている「四天王寺ワッソ」という祭りにおいて、日本の祭りの掛け声である「ワッショイ」は朝鮮語の「来たぞ」を意味する「ワッソ」からきた言葉だという説明がなされています。これも金さんらが打ち出した語呂合わせの説なのですが、これが堂々とパンフレットに書かれて多くの人が信じつつある状況をみると、根拠のない俗説が一般社会に定着する「神話」というのはこのような事情で生まれるものかと考えました。「神話」の成立はそれなりに理由があることなので、20世紀後半における日本社会の一つの現象として、将来のいつかは歴史研究の対象となることでしょう。しかしそれ以前に、「神話」を定着させることを容認した現在の歴史研究者の責任が一番重いと思います。

 

(追記)

「百済」をなぜ「クダラ」と読むかについて、「大国」の意であるというは語呂合わせの俗説だと論じました。

 最近、これに類似した珍説があるのを知りました。

 

奈良そのものがナラ(━原文はハングル)からきたもので、朝鮮の南西にあった百済は日本語でクダラといった。これはあの国(クナラ━原文はハングル)のなまったものだ。

 八巻俊雄著 『ものと人間の文化史130 広告』(法政大学出版局 2006年2月)2頁

 

 ここではクダラは「あの国」の意であるという説が出てきています。これも単なる語呂合わせなのですが、色々な珍説・奇説が出てくるものだと感心します。

 今回は「大国」説ほど信じる人はいないと思うので、悪影響はないでしょう。クダラナイ説の紹介でした。

2006年2月27日記)

 

(参考)

韓国の伝播論と日本の由来論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/26/342428

「百済」の珍説 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/24/377405

高野新笠 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/21/373512

 

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