78題 (続)差別問題の重苦しさ

辛淑玉が語る差別問題

辛淑玉さんは『怒りの方法』(岩波新書 2004年5月)のなかで、次のような言説を開陳している。

 

「自分の気持ちを素直にストレートに表現して、それで周囲がすべて私から離れていったとしても、むちゃくちゃな誹謗中傷が寄せられても、誰も助けてくれなくても、それでもこの世の終わりではなかった。

 朝鮮人という存在自体が、この社会では嫌われているのだから、発言すれば叩かれるのは当たり前。発言して好かれようというところに無理がある。

 マイノリティが声を上げれば叩かれる、それだけのことだ。

 あえて、私と他者との違いがあるとすれば、「嫌われてもいい」と思っていることだ。

 いくら好かれようとがんばったところで、こちらの思うように相手を変えることなどできない。

 ある被差別部落で、女性が家の周りを一生懸命掃除していた。

「きれいにしておかないと差別されるからな」と彼女は言った。

しかし、きれいにしていても差別はされる。

差別とはそういうものだからだ。

 差別はこちら側の問題ではないのだ。」3132頁)

 

 差別者・被差別者を截然と分ける彼女は、差別という人間関係は変えられないとする確信と、自分たち被差別者に責任はなく悪いのはすべて差別者だとする気楽さと、嫌われても構わないとする能天気な性格を有している。

かてて加えて、掃除する女性への彼女の冷たさはいかがなものであろうか。被差別者はきれいにしてもどうせ差別されるからと言い放つような言説は、問題の解決とは逆の方向であろう。

しかし彼女の影響力が大きくまた世間に受け入れられているだけに、私には複雑な気分となる。

 

人権関係の会館職員の態度

 前述の『こぺる』という雑誌の編集をやっておられる藤田敬一さんは、自分のHPに日記を書いておられる。そのなかに次のような一文があった。

 

2004.12.23(木)
 以前、講演を聴いてくださった方からのメールがとどく。「お話は重たい内容にも関わらず、清々しく爽やかな気分になれたことが不思議でした。こういった研修を受けた直後は「人には親切に、平等に接しよう」と思うのですが、時が経つと忘れてしまいます。だからこそ、継続的に粘り強く先生が全国を飛び回っておられるのだなあと感じました。実は、私は同和地区の方と接する機会があり、またそのことで日夜頭を抱えている一人でもあります。あることで解放会館(現在、人権文化センターと改称)を使用しているのですが、会館職員は私たちには挨拶ひとつ返してくれず、他の人には豹変して柔和な対応になるのです。会館が部落差別をしているのではと疑ったくらいです。無視はほんとにきついです。「車のとめ方が悪い」「ここは使うな」と職員がやってきて大声で怒鳴り散らすのです。頭ごなしにです。ある日、私が「いつも申しわけないです」と挨拶してたら、奥のほうの男性が「かましたれ!(脅したれという意味藤田注記)」とよそを向きながら言っているのです。私は「情けない」と心で大泣きしました。メンバーのひとりが「いつも大変ですね。うちのお母さんに頼んでみましょうか」と言ってくれました。その人の母親は古くから地区にいて職員たちに睨みが効くらしい。しかしそれは同時に、その人が同和地区出身者であることを表明したようなものでした。メンバーを守りたい一心で打ち明けてくれた気持ちがよくわかりました。要は、同和地区出身と知っても、何一つ変わらず以後対応することが大切で、私の見る目も話しも何一つ変わっていません。その人の人間の本質しか見ていませんから。もちろんその人に便宜のお願いなどしていません。私はこの場所・地域から逃げず、嫌がらせに向き合おうと誓っています。私は小学校の頃から人権教育を数多く受けてきました。建前と重苦しい雰囲気こそ、心から人を差別なく受け入れる気持ちの邪魔をしているのだと思います。「差別するな」と言った瞬間に新たな差別が生まれている気がしてなりません。人権という言葉を重苦しくしている教育が正しい教育かは疑問です。だからこそ、藤田先生のお話は爽やかに感じれたのかもしれません。生意気なことばかり言って申し訳ないです」。会館職員の傲慢な対応の根源はなんだろう。それにしても人権教育・啓発でいう「差別するな!」というメッセージがかえって人びとのこころを硬くさせる可能性のあることを忘れないように自戒したい。」

http://www.h7.dion.ne.jp/~k-fujita/diary/diary_bak/2004/200412.html

 

 会館におけるこれと同じような体験は、私も有している。地区外の人に対する冷たい視線とぞんざいな言葉‥。会館職員は運動団体関係から採用される場合がほとんどと聞いている。

「建前と重苦しい雰囲気が、人を差別なく受け入れる気持ちの邪魔をしている‥『差別するな』と言った瞬間に新たな差別が生まれる‥人権という言葉を重苦しくしている教育が正しい教育かは疑問」は、私もその通りと思う。そして差別問題の重苦しさをさらに感じるのである。

 

同和を利用した犯罪

 最近では、2004年の牛肉偽装事件(大阪・愛知)、2001年のモード・アバンセ事件(高知)等々の同和に関する大きな事件が発覚している。何十億円という公金が騙し取られるというとんでもない事件である。これらはあまりにも大金であったために発覚したのであって、これより小さな公金詐欺は数多くあったはずだが、ごく一部(下記註)を除いてウヤムヤになったと考えられる。

 他に同和の名をかたって脅しをかける「エセ同和行為」は、かなり古くからある犯罪あるいは犯罪寸前の行為であった。これには運動団体はもちろんのこと、警察もマスコミも頼りにならず、対応する担当者の多くは我慢するしかなかった。こういう話は今でも時折聞こえてくる。

解放運動団体がこういった様々な事件をどう感じているのであろうか。その機関誌等を読むと、ただ複雑な感情を抱く。

 

(註)

京都新聞2005225日付け

「京都市の同和対策事業に絡む住民訴訟で、京都地裁は24日、部落解放同盟支部の学習会への補助金の一部返還を市幹部に命じた。訴訟は地裁の調査でカラ事業などが明るみになり、市長らが処分される異例の展開をたどった。学習会に実態はあったのか。市の調査は十分だったのか。同和奨学金の返済援助金の支出を違法とした判決とあわせ、市や同和団体の関係者に波紋を広げた。

 カラ事業発覚後、市が独自に調査し、03年7月にまとめた報告書は「開催地が温泉地であることや懇親会を伴うことは参加意欲を高め、学習会を効果的なものにする」としていた。

 一方、判決はリゾートホテルのラウンジで学習会を行ったという支部関係者の証言や小中学生が参加する宿泊研修でゴルフが行われたといったケースを挙げ、これらの例は「助成対象にあたらない」と認定。「『学習』を名目にした温泉地への慰安旅行で、学習会の実態がなかった。水増しやカラ事業分を返還するだけでは不十分だ」とする原告側主張を一部認め、市の報告書の見解と「ズレ」を見せた。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005022500034&genre=A2&area=K10

 

運動団体幹部のセクハラ事件

2005227日付の朝日新聞に、下記のような事件が報道された。

 

部落問題を中心に差別撤廃運動に取り組む部落解放同盟大阪府連(松岡徹委員長)の男性幹部ら2人が昨秋、女性を名指しして性的な侮辱発言を繰り返すなど、セクハラ行為をしていたことがわかった。女性の訴えに、2人は苦痛を与えた事実を認めて謝罪。府連も事態を重くみて、セクハラの相談窓口を作るなど再発防止策の検討を始めた。府連は「人権団体としてあってはならないこと。真摯(しんし)に受け止め、対応する」としている。

 同府連などによると、問題の発言は昨年10月初め、部落解放同盟の大阪市内の支部幹部を囲む宴席であった。前支部長が、同席していた別の人権団体の女性職員を名指しして「○○さんのヌード写真を撮って売り出そう」「(支部の)資金を稼ぐためや」などと繰り返した。女性は抗議したが、2次会でも「きょうは○○さんの自尊心をぼろぼろに傷つけたろうと思っとったんや」と発言したという。

 一緒に参加していた現支部長も、2次会で女性の年齢に触れて「この年では、もう売り物にならんな」などと嫌がらせ発言をしたという。

 女性は数週間悩んだあと、支部の別の幹部に訴えて問題が発覚。支部の調査に2人は発言を認め、12月に女性に謝罪。府連も再発防止策を検討している。

(02/27 06:13)

 http://tamy.way-nifty.com/tamy/2005/02/post_24.html

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/20050301/

http://blog.livedoor.jp/kingcurtis/archives/15185991.html

 

 人権問題に取り組む運動団体の解放同盟で起きた事件である。情けないと言うしかない。さらに驚くのは、この団体が本人の謝罪と「再発防止策の検討」で済まそうとしている点である。人権を標榜するなら一般よりも厳しい態度でのぞむべきと思うのだが‥。

 10年以上前だが、解放同盟中央執行委員等を歴任した大賀正行さんが対談で次のようなことを語り、自組織の問題点を指摘した。

 

支部長クラスのものが『ちんば』とか『めくら』とかいうてる。女性差別の話を平気でしゃべっている。知らん人は解放同盟は人権に詳しい人の集まりと思っている。実態を知った途端に失望するわな、何やと。こんな人間が部落解放とか人権を叫んでるのか、と。だいぶバレてるとは思うけど(笑)。」 (『こぺる1719948月 15頁)

 

この体質が10年以上経った今なお改まっていないのである。

1922年の水平社宣言に次の言葉がある。

 

吾々は‥人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

 

 水平運動を継承すると自称する解放運動団体が、実はその宣言の理念からかけ離れているのではないか。解放運動に対する「失望」を含めた複雑な感情を改めて強く抱いたのである。

 

(参考)

これが「真摯に反省」? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/

松岡徹さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/26/

闇に消えた公金 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/29/346418

2006627日記)

 

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