第9題 歴史の三分法論

 

 三分法論とは、歴史を三つに区切って説明する時代区分法で、昔からよく見られるものである。

 古くは明治維新の際に、昔は天皇を中心とする貴族制の世の中で良い時代であったが、武士が天下を取って悪い時代になった。これからはこの悪い時代を否定して元の良い世の中にしよう、という王政復古の考え方があった。

 現在では日本史の概説のなかで、昔は階級支配のない平和で豊かな社会であった。しかし支配階級が生まれて国家なるものがつくられると、人民は搾取・収奪され、戦争に狩り出されるなどの苦難の連続であった。これからはこの階級社会を否定して元のような平和で繁栄の社会を築こう、という歴史がかなり広く語られている。

 部落史では、中世までは身分差別は緩やかで良い世の中であったが、江戸時代になって差別は政治的意図をもって固定化され、穢多・非人と言われた被差別民は、近代になっても差別はなくならず、塗炭の苦しみを味わって現在に至っている。これからは元の差別のない明るい世の中にしよう、となる。

 また、江戸時代の農民は自然と共に豊かでゆとりのある生活をしていた。明治時代になって近代工業が発展すると、農民たちは没落して工場労働者となり、女工哀史のような悲惨な生活を強いられ、現在も会社に身も心も捧げることを強制され、合成着色料いっぱいの危険な食べ物が出回っている。これからは元のように安全な自然食品を生産して、豊かでゆとりのある生活を目指そう、と語る人がいる。

 こういった歴史観が「三分法」で、簡単に言えば

 

1)昔は良かった時代

2)ある時点で悪い時代となって現在に至る

3)これからは元のような良い時代にしよう

 

というものである。これは、現在の政治的あるいは社会的課題の解決を特定方向にもっていこうとする意図から語られる歴史で、極めてイデオロギー的なものである。イデオロギーに染まっている人にはこの歴史は至極当たり前のものであるが、そうでない人にはそれは根拠のある資料に基づいているのか、それに反する資料や研究はどう扱うのか、などという素朴な疑問を抱くものだ。しかしイデオロギーの人の声があまりに大きいので、このような疑問は表にはなかなか出てこない。

 考えてみればこの歴史観は、年寄りがよく語る「この頃の若者は一体何だ、悪い世の中になってしまった、それに比べて昔は良かった」という繰り言に似ている。

 結局歴史の三分法論は、資料の厳密な検証に基づく歴史学とは程遠いものだ。

 

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