第17題「朝鮮人は朝鮮に帰れ」考

 「朝鮮人は朝鮮に帰れ」という発言はいたく在日朝鮮人を傷つけるものである。これを聞く在日の多くは、感情的になって反発してしまう。しかしなぜ日本人がこのような発言をするのか、ちょっと冷静になって考えてみる必要がある。

 在日朝鮮人がなぜ日本にいるのか、ということについて「やむにやまれず」論が説かれている。かつての日本が犯した強制連行の結果、あるいは植民地支配の結果「やむにやまれず」日本に住んでいるのだから、われわれ在日にとって住みにくいというのは日本に全責任があるのだ、民族差別は加害者である日本人の問題なのだ、日本はわれわれを一体どうしてくれるというのだ、というように日本を撃つという考えになり、それが「民族差別と闘う」論理となる。これを聞かされた日本人は次のような素朴な疑問を抱く。

 

 在日朝鮮人が日本に居住するのは自らの意思に反して居住しているということだろう。しかも日本社会の朝鮮人に対する民族差別は今なお厳しいという。イヤイヤ住む日本でしかも周りは差別者・加害者の日本人ばっかりの所で暮らすのはさぞ苦痛なことだろう。ならば自分の意に沿うところに引っ越せばいいのではないか。日本人では先祖からの土地を出て行くわけにいかない人がいるが、在日はそういうことはなかろう。意に反して無理やり強制連行されてきたと言うのなら、元いたところの祖国の韓国か北朝鮮に帰るのが一番いいのではないか。自分の祖国である以上は、外国である日本よりは住みやすいだろう。北朝鮮にはこれまで9万人以上の在日が帰国しているし、韓国にもいつでも帰国することができるだろう。それは困難なことではなく容易なことのはずだ。もし祖国もイヤならアメリカやカナダに移住することも可能だ。日本から出て行くのにダメとは誰も言わないはずだ。

 

 この疑問に対する明快な答えは「民族差別と闘う」運動側には用意されていない。こういった疑問をふだんから感じている日本人は何かの機会にうっかりと「朝鮮人はなぜ朝鮮に帰らないのか」と発言してしまい、運動側は「無理やり連れてきておいて、何てことを言うのだ」「今さら帰れと言われても帰れるわけがないだろう」と感情的な反発をし、「過去を反省していない」「悪質な民族差別発言」として大きな問題になることもある。問題化してしまうと、よく分からないが相手の気に障ったらしい、怖いからとりあえず反省の言葉を言ってこれからは黙っておこう、嵐が過ぎるのを待とう、となる。そしていくら日本の悪逆非道の植民地支配の歴史を勉強しても、やはり「そんな日本になぜ住み続けるのか、祖国になぜ帰らないのか」という疑問は、口に出さなくてもいつまでも心に残ることになる。「やむにやまれず」論は明快さに欠ける論であり、多くの日本人を納得させるものではない。

 またこの論は、在日としての主体性を喪失させてしまうものでもある。「在日を生かすも殺すも日本がどう変わるかということだ」とか「日本が真に国際化しない限り在日は人間らしく生きられないのだ」といったような考えになってしまう。このようなアピールは在日の活動家からよく言われたものであるし、現在もそうである。その主張をよくよく吟味してみると、日本のあり様によって自分たちの生き方が規制されるというものであり、またオレがまともに生きられないのは日本社会のせいだと他に責任を転化することに通じるものでもあり、従ってあまりにも主体性のない考えである。

 在日の活動家は自らの在日社会に対しては自らの権益と民族性を守るだけでなく、周囲が差別的であろうがどうあろうが生活を営む日本という地域社会に貢献して自分たちへの評価を高くするよう努力するべきことを説き、日本社会に対しては我々はこれだけの努力をしている、日本の皆さんはこれを暖かく見守ってほしいという呼びかけこそがなされるべきであると思う。しかし「やむにやまれず」論は、このような日本に生きる主体性・積極性を否定してしまう論理になろう。

 過去の歴史を持ち出し、差別されることの苦痛を訴えるのはそろそろ止めにしたらどうかと思う。在日朝鮮人は強制連行の結果であり「やむにやまれず」日本に居住しているという主張は、日本人から「だったら朝鮮に帰れ」という反発を惹起させるだけでなく、在日自身が現在および将来にこの日本で生活することの積極性と主体性を失わせるものだ。

かつて在日一世のおばあさんが「住めば都で、日本もなかなかいい所や」と語ってくれたが、それは在日を積極的に生きようとする非常にいい言葉だと思った。

 「やむにやまれず」論から「住めば都」論への転換が求められていると思う。

 

(追記)

 朝鮮総連(北朝鮮系)は、1970年代までは「我々は祖国に帰るべきであるが、祖国は統一されていない。この日本で祖国の統一に向けてやるべきことがある。そして統一がなされれば、我々は帰国する。」という主張をしていました。当時個人的にお付き合いしていた総連の方も「こんな日本にいつまでもいませんよ。祖国が統一されたら、開城という古い町並みが残っている所に住みたい。」と言っておられました。つまりなぜ在日朝鮮人が日本にいるかということについて、「やむにやまれず」論ではなく、統一祖国へ帰国するまでの仮の宿としてこの日本に住んでいるという「統一未だ成らず」論でした。これは主体性を祖国へ志向するもので、逆に日本で生活することの積極性を否定するものでした。つまり彼らは祖国への限りない貢献を求め、逆に日本への貢献には消極的だったのでした。そしてこれは明快で分かりやすく説得力がありました。「統一未だならず」論を聞かされた周辺の日本人たちは、帰国するまでの一時的なことだからと、これを容認していたものでした。

ところが70年代後半以降、この総連も日本志向となり、もはや祖国に帰らないことがはっきりしてきました。たとえ統一が達成されたとしても、日本の家や土地などの財産を処分して祖国に帰ろうとする在日は、総連の幹部でもいないでしょう。こうなると「統一未だ成らず」論は口先で言っていただけで、本当は祖国に帰国したくないことの言い訳であったと考えざるを得ません。共和国(北朝鮮)に親族訪問して一時帰国した総連系の方からお話を聞かせてもらっても、そこが素晴らしい「楽園」ではなく、身も凍るような「凍土」であることを否定されませんでした。共和国に息子たちや兄弟姉妹たちを訪問した在日一世のお年寄りが「北鮮で太っているのは金日成だけや」と言うのを少なからず聞きました。もはや共和国は総連系の人でも帰国すべき祖国とは思われていないことを実感しました。

ほとんどの在日が日本を永住の地と定めた現状を肯定するのなら、「やむにやまれず」論や「統一未だ成らず」論ではなく、「住めば都」論という積極的・主体的な考えを展開し、日本社会への寄与・貢献を模索すべきだろうと思います。

 

200622日 一部訂正)

 

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