第18題糾弾する朝鮮人と反論できない日本人

日本人であるが故に負う加害責任                  

 「私たち日本人は、日本人である以上、加害責任から逃れることはできないのだ。」

 

 これは『朝鮮侵略と強制連行』(解放出版社 1992)のなかの「八歳の徴用少年の実態、そして韓国人受難の恨」と題する松本成美氏の文章にある最後の一節である。彼は「八五年から四年間北海道庁の委嘱による北海道開拓者殉難者受難者調査員を務め、最終年度の八八年に軍事基地建設工事で強制連行されてきた朝鮮人受難者の調査に当たった」人で、様々な資料調査や、直接体験者から聞き取り調査をしている。その過程で彼は日本人としての複雑な感想を持ったと思う。その内容はかつての私と重ね合わせることのできるもので、私には十分想像がつく。しかし彼は日帝の植民地支配に直接関わった人でなく、強制連行・強制労働させた張本人でもない。その文脈からしておそらく私と同じく戦後生まれではないかと思われる人である。その彼がなぜ標記のような一節を結論として出してくるのか、戸惑いを感じてしまう。

 植民地支配にしろ、強制連行・強制労働にしろ、「加害責任」とは国家が負うべき責任であると思うが、個々の日本人が、しかも直接当事者でない日本人がなぜその「責任から逃れられない」のか。しかし松本氏は自分が日本人であるがゆえに「加害責任」を感じておられる。五〇年も前のことで、自分とは全く関係のない日本人がしでかした行為、あるいは当時の国家が犯した犯罪的行為の責任を、同じ日本人であるがゆえに負おうとしておられるのだ。

 この「加害責任論」は、作家である本田靖春氏の次のような考えにもつながるものである。彼は従軍慰安婦問題で異議を唱えた上坂冬子氏に対し、

 

「上坂氏の父上は戦時中に長野県の特高課長をしておられた。‥‥父上は上坂氏がお書きになっているように、個人として立派な人物であったろう。そのことは私はいささかも疑うものではない。しかし、特高が国家権力の中枢機構として行なった思想弾圧、人権蹂躙などの非道の数々から、上坂氏の父上だけを免責するわけにはいかない。‥‥特高課長の娘であるあなたは、どう間違っても従軍慰安婦として中国大陸や旧満州(中国東北部)を転々とする羽目に陥ることは絶対になかった。最低限に見積もっても、あなたの基本的人権はその範囲内で完璧に守られていたのである。その上坂氏が、あたかも朝鮮人慰安婦と同じく戦争の被害者であったかのような言辞を弄する。なんたる厚顔無恥ぶりであろうか.(略)

 私の亡父は、初め朝鮮総督府の役人をしていて、後に新設の重工業会社へ移り、敗戦時には本社の筆頭課長をしていた。その次男である私は植民地支配に直接手を下したわけではないが、自分のことを朝鮮への侵略者であり、朝鮮民族に対する加害者であったと思っている。

 その罪は四十七年間くらいでは消えない。私の子も、そして孫も背負うべきであろう。それが歴史認識というものではないか。」

(『時代を見る眼』講談社)

 

と、父親の職業如何によって本人の発言する内容が問われると批判し、さらに、父や祖父の罪は子孫が受け継ぐものだと説く。上坂氏はこの主張に対し、

 

「私は思わずウッソウと口走った。お節介にもこのとき私は、本田家の子や孫に同情したのである。オレさまの孫だから、お前も四十七年前の罪を背負えなどといわれて、彼らとしては迷惑至極ではないか。子や孫の人権はどうなる?と初歩的な質問もしたくなるものだ。その昔、犯罪者を出した家系は罪は類九族に及ぶとして、ひとりの悪人によって一家眷属が滅びるとされたが、まさか二十一世紀を迎えつつある近代社会でこんな気炎を吐く人が実在するとは思いもよらなかった。」

(『思い出すだに腹がたつ』光文社)

 

と反論しているが、私は、上坂氏の方が常識的感覚であろうと思う。

 小説『族譜』で創氏改名を描いた作家の梶山季之氏が韓国に取材に行った際に、向こうの韓国人にすまないことをした、と土下座した話が新聞にあった。かれは一九三〇年に生まれ、終戦時は中学生であった。植民地支配に直接的・意図的・積極的に関わったことはありえない。直接当事者でない日本人が、自分が日本人というだけで、同じく直接当事者でない韓国人に対し、韓国人であるというだけで謝罪する、そんな光景が浮かんでくる。もし松本氏や本田氏が過去の日本の侵略の歴史を糾弾する朝鮮人に出会ったら、このように土下座して謝罪することになるのであろうか。

 日本人として生まれたことや、あるいは朝鮮総督府の役人とか特高の課長とかの家に生まれたこと、こういったことは神のなせるわざと言うべきもので、本人の意思・思想や資質とは何ら関わりのないことである。そういった場所で生まれ、そして日本人の血を受け継いだが故に、私もあなたも侵略者・加害者であることの自覚を持たねばならない、その責任から逃れられない、という松本氏や本田氏の発想や朝鮮人に土下座した梶山氏の行動がなぜ出てきたのか。

 

糾弾する朝鮮人と反論できない日本人

 彼らのような傾向を持つ人々を「贖罪派」と言うらしいが、その「罪」が個々人に直接関係なくても日本人であること自体を「罪」とすることから、むしろ「原罪派」と言ったほうがいいのではないかと思う。朝鮮問題に関わろうとする日本人は、日本は歴史を清算していないという指摘に真剣に答え、加害者の我が日本を指弾する朝鮮人に理解のある良心的な日本人であろうとし、また朝鮮人に期待される日本人であろうとして「原罪派」となる。

 最近出た本で、高崎宗司著『「反日感情」 韓国・朝鮮人と日本人』(講談社新書)があるが、その基本姿勢は、

 

「謝罪と補償がなされなかった「日韓条約」や「請求権及び経済協力協定」、朴正熙・全斗煥らの軍事独裁政権に対する肩入れ、侵略の歴史を薄める検定が招いた歴史教科書問題、植民地支配に対する率直な謝罪を避けた昭和天皇と今の天皇の「お言葉」、いまだに国家による十分な調査がなされていない朝鮮人強制連行の問題、真相が究明されていない「従軍慰安婦」問題、改めて明らかになった韓国保護条約締結時の日本の強引さ、在日朝鮮人に対する差別、植民地であったがゆえにこうむった南北分断の悲劇‥‥など「反日感情」をもたれても日本人として反論できない問題があまりにも多い。」

 

というもので、「原罪」を真剣に考える日本人の代表的な姿を読むことができる。不謹慎な言い方になるが、このように反論できない(私の体験では反論どころか疑問を呈することすら許されなかった)「原罪派」の日本人ばっかり集まった集会で過去の日本の歴史を糾弾することは、ストレスの解消になっているのではないかと思えるものがある。彼らにとって「原罪派」の存在はきっと心地よいものであろうと思う。

 なぜこんなことを書くのかというと、民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)の会議で普段なかなか出席しないある在日の活動家が突然やって来て日本の過去の糾弾を一席ぶってすぐ帰ってしまうことがあったと聞いたとき、それによく似た体験を私もしたからであった。いつもサボらずに地道にやっている者ではなく、たまにしか来ない活動家が何か気に入らないことがあったのか、突然それをやるのである。そして私を含む日本人たちは「原罪派」たろうとしていたが故に、それを黙ってうつむくしかなかったのである。「原罪」を真剣に考える日本人は、自分は他の日本人と違って理解と良心を持っているのだ、という心情を有することになり、我が日本を糾弾する朝鮮人の存在は、心地のよいものなのである。このような「原罪派」の日本人しかいないところで日本の過去を糾弾しても、当人の気持ちがスッキリするだけで何も生産的なことはないだろう。異論を有する人と議論を闘わせて、お互いに切磋琢磨していこうという作風にはなり難い。

 

「原罪派」日本人と朝鮮人との連帯とは

 「原罪派」は歴史のことだけでなく、現在の民族差別問題でも存在する。在日朝鮮人から被差別体験や、差別があるためのこれからの生活の不安を聞き、そしてこれはあなた方日本人の問題でしょ、というような問いかけを聞かされると、少なからず日本人は自分の人生を振り返り、在日を差別してきたのではないか、と自省し、日本人であることに「罪」を感じていき、「原罪派」となる。民族差別問題における「原罪派」は歴史的「原罪派」とほとんどイコールに重なるものである。

 ミニコミ誌『同和はこわい考通信nO九』に崔文子氏の次の文章が紹介されている。

 

「両側から超えるいとなみ━━これは在日の私にとっては、やはり、どんなに面倒でも、又どんなに日本人に嫌がられても、在日の現状をしつこく訴えてゆく事、そうして日本人の汚点をつきつけてゆくことじゃないだろうか。一方、日本人にとっては、それがどんなに腹立たしくとも、又、つらくとも、そこから逃げ出さず、踏んばって在日の問題にかかわってゆく事じゃないのかなぁ。」

 

 少なからぬ日本人がこのような在日からの問いかけにおのれの無知に恥じ入り、真剣に応えようとする。例えば井田直子氏は「自分に誠実に生きるために」(『季刊青丘一三』青丘文化社)のなかで次のように述べている。

 

「強制連行、創氏改名、従軍慰安婦、指紋押捺、就職差別、そんなものすべて知らずにいられたら、なんぼラクやったろうと。そんな負の歴史を背負わずにいられたらどれほど嬉しかったろうと。何ら帰責事由のない被害者として、「さあ、どないしてくれるねん」と言える<在日>が、ラクでええなあ、と。

 「日本人としての責任」てコトバが重くのしかかって、息がつまりそうになったのかもしれない。日本はええ国やと信じて育った者にとって、ある時突然、突き付けられた祖国の姿は、信じ難いほど卑劣で醜悪で、情けなくなるほど歪んだものであったのだ。」

 

 これは在日の問いかけに必死になって応えようとする日本人の典型的な姿である。わが日本の姿は「卑劣で醜悪で歪んだもの」と感じるまでに至り、日本人として生まれたことの原罪意識をもつこととなる。

 このような朝鮮人からの問いかけとそれに応える日本人の姿を見て、私は次のような疑問と感想を持つ。

 なぜ朝鮮人は日本人の汚点を突き付けるだけでなく、自らの汚点を暴き出さないのか。なぜ日本人は朝鮮人に、それはおかしいよとその汚点を指摘しないのか。差別するものの汚さ・醜さがあれば、差別されるものの汚さ・醜さもある。日本人の持つえげつない差別意識もあるが、朝鮮人の持つ汚点を実際に見る日本人がいるのである。しかし、日本人は糾弾を恐れてであろうかそれを見るまい、語るまいとし、むしろ差別者である日本人の側にこそ原因があると自責の念を持つ.また朝鮮人は恥や弱点を日本人にさらすまいとするのであろうか、こうなったのも日本のせいだと言い張る。両者ともに本当のところや裏にあるところを言わず、悪いのはすべて日本という論調だけが表に出てくる。そこには被差別者であり被害者である朝鮮と、差別者であり加害者である日本という単純な図式があり、批判し糾弾し教えを垂れる朝鮮人と、首をうなだれて拝聴し、時には土下座しつつ寄り添う日本人という姿がある。そしてこの両者の関係こそが「連帯」だと称えられる。これが在日朝鮮人問題に関わる議論の現状だろうと思う。

 

差別を受ける側のエゴイズムの度し難さ

 『新コペルbS』に住田一郎氏が、詩人である金時鐘氏の次のような発言を京都新聞より引用して紹介している。

 

「(差別の)本当のひどさは、そのことで(被差別者)が自分を省みる内省力がなくなっちゃう事なんだね。(略)

 心ある日本人ほど在日朝鮮人を、いたわるんだよな。つまり、向き合う関係でなくて、ごもっともと言い分を認めちゃうというのか‥‥。あの人たちは差別されているから、民族的受難を経ているからというだけで、意識の深い人ほど対朝鮮人という論議を一緒にし合う対象にならないんだよな。

 エゴイズムは差別する側のものだけでなく受ける側にもある。むしろその度し難さは受ける側にこそあるというのが私の持論だが、こんなのは随分見てきているし、良く知っている。」

 

 これには考えさせられた。しかし、金氏のような主張はおそらく民族差別と闘う運動には馴染めないだろう。なぜなら、運動は「差別を無くす」事ではなく「闘う」ことに重点をおいているからで、運動する者にとって闘っている最中に「差別を受ける側のエゴイズムの度し難さ」という主張がなされることは、背後から弓を引くことでしかないだろう。しかし「闘う」運動のなかで、金氏のような考えをいつかは議論できるようになるのを期待したいものである。

 

 

(追記)

 自費出版『「民族差別と闘う」には疑問がある』(1993)の一節の再録です。読み返してみると、民族差別と闘う運動が今よりはるかに元気であった時期にこんなことを書いて、かなり挑発的だったなあ、と思います。民闘連(民族差別と闘う連絡協議会━現在は改称して在日コリアン協会というらしいです)の人たちの反発はかなりなものでした。一方では民族差別と闘う運動に日頃から違和感を持っている人たちからは絶賛してくれたりしました。

この論考で指摘したことは今なお正しいものと確信しており、当時としては刺激的な文章でしたが、むしろその方がよかったものと思います。

 

(参考)

金守珍さんhttp://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/07/355613

 

ホームページに行く

19題に行く