104「伸子(しんし)」小考

 

1、    はじめに

 洗い張りは洗濯後の仕上げの一つで、着物をほどいて洗った後に糊をつけて乾かすものである。それには伸子張りと板張りの二種類がある1)本稿はこのうちの伸子張りについて資料を集め、考察を加えて報告するものである。

 

(註)

1)              板張りは江戸時代末期以降に急速に広まった方法で、着物や布団などを解いて洗った後に張板に張るものである。伸子張りに比べて端縫いをしなくてもいいし、場所も取らず手間もかからないので、はるかに簡便なやり方である。おそらく庶民に木綿の衣服が豊富になってきたという事情により、仕上がりよりも使い易さや簡便さが求められたのであろう。

一方の伸子張りは本論のように平安時代にはすでにある方法である。板張りに比べてきれいに仕上がるので、高級品の絹物はこの方法で行なった。(小泉和子『道具が語る生活史』参照)

 

2、    伸子張り

 伸子張りは40年ほど前までは各家庭の屋外で行なわれたため、日常的によく見られた光景であった。しかし1960年代以降、和服を着る人が少なくなるのに伴い、家で伸子張りをする人はいなくなった。現在では洗い張りを看板にするクリーニング屋が倉庫内で行なっているぐらいで、一般に見ることはなくなった。従って「洗い張り」や「伸子」といっても若い世代は聞いたこともないだろうし、ましてやその作業や道具を見たこともないであろう。しかし昭和20年代生まれおよびそれ以前の世代の人には、母親が竹串を差し並べて張った反物の下で遊んでいたというような子供時代の思い出を語る人は結構多いもので、懐かしいものとなっている。

 伸子張りは平安時代の資料ですでに確認できるもので、非常に古くからある方法である。それは着物を解いて洗い、縫合して反物の形にした後、柱や木の幹に引っ掛けた二本の棒を使ってこの反物を引っ張り、その両耳に竹串を等間隔で弓状に差し渡していくものである。この竹串を「伸子(しんし)」といい、反物を引っ張る時に使用する二本の棒を「絹張(きぬはり)」あるいは「(けた)2)という。また絹張を柱等に引っ掛ける紐のことを「引手(ひきて)」という3)。(図1参照)

(図1)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi1

 

(註)

2)              近世の『女用訓蒙図彙』では丸棒状のもので「絹張」、明治の『家庭実用新式染洗法』では断面長方形の棒に釘を打ち並べたもので「桁」と称している。他に「張り木」「張り手」という言い方もある。

3)              桁を引っ張る引手では、紐ではなく木や竹の棒で二等辺三角形を作る場合がある。この方が均等に引っ張りやすいものなので、大正時代の『家庭衣類整理法』ではこれが推奨されている。

 

3、    伸子張りの張り方

 伸子張りの張り方には二種類がある。一つは図1や図2−1のように反物の両端を縫ってつなぎ、中に絹張を二本入れて引っ張るものである。この場合は上下二段に伸子張りを施すことになる(Aタイプ)。

 もう一つは反物の両端を絹張で固定して引っ張るもので、一段の伸子張りとなる(Bタイプ)。これには図2−4のように反物の端を縫って袋をこしらえ丸棒状の絹張を挿入して引っ張るもの(B―1タイプ)と図2−6のように平角棒の桁にL字状の釘を打ち並べてこれに引っ掛けて引っ張るもの(B−2タイプ)とがある。

 

(図2−1)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi2

  (図2−4)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi5

  (図2−6)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi7

 

4、    伸子張りの歴史的絵画資料

 伸子張りの最古の資料は『年中行事絵巻』(図1)にある。時期は12世紀後半とされる。反物にして洗った着物を輪状に縫って絹張を入れ、庭にある二本の木の幹に紐で引っ掛けて張り、下女と思われる二人の女性が伸子を差し渡している様子が描かれている。反物を上下二段にして伸子張りを施しており、Aタイプである。もう一人の女性は鮮明ではないが、糊を刷毛塗りしているものと思われる。

 これとほぼ同時期のもので中尊寺蔵『大般若波羅蜜多経』見返し絵(図2−1)がある。12世紀後半あるいは末とされる。ここでは一人の尼僧が絹張を一つは木の幹に、もう一つは柱あるいは杭に引っ掛けて反物を一段に張り、伸子を差し渡している。Bタイプの張り方である。

   (図2−1)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi2

 『三十二番職人歌合絵』(図2−2)は中世のものであるが、より詳しい時期は明らかでない。反物を上下二段にするAタイプで、その裏表に伸子を差し渡している。女性が刷毛で糊を塗る作業風景で、足元に糊を入れる底の浅い桶と散乱する伸子が描かれている。

  (図2−2)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi3

 

 『泣不動縁起絵巻』(図2−3)は15世紀とされる。二人の女性が行なう伸子張り作業風景である。袖なしの女性が腕に伸子の束を抱えている。張り方はAタイプである。

  (図2−3)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi4

 (図2−4)は井原西鶴の『好色一代男』(17世紀後半)の挿図にあるもので、下女たちが庭で伸子張りする作業を描いている。張っている反物の端が長方形に黒くなっており、絹張を挿入するために端切れを縫って袋を作っている様子が分かる。張り方はB−1タイプとなる。

  (図2−4)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi5

 19世紀前半の『難波職人歌合』(図2−5)では、腹掛けに褌姿の男性が伸子張りの反物に刷毛で糊を塗っている場面である。元来洗い張りは女性が行なう家事であったが、近世にはこのように職業としての洗濯屋が発達してきた。張り方はBタイプである。

  (図2−5)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi6

 明治時代になると西洋より家政学が入り、様々な教科書が作られた。(図2−6)はその一つの『家庭実用新式染洗法』にある挿図である。伸子を差し渡しているところで、両耳が山形になっている様子まで描かれている。また釘を打ち並べた桁に反物を引っ掛けており、本稿でいうところのB−2タイプである。引手は棒で二等辺三角形を作り、その頂点を紐でくくるものである。(註3参照)

  (図2−6)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi7

 

5、    4種類の伸子

 伸子は竹で作られたものであるが、その端の形態は大正時代の家政学教科書『家事衣類整理法』では次の四つの種類が報告されている。図3はそれに基づいて筆者が作図したものである。

  (図3http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi8

 

(ア) 竹串の両端に針を植え込んでいるもの。

(イ) 平らな竹串の端を二股状に切ってそれぞれの先を尖らせるもの。

(ウ) 端を少し裂いて針を差し込んで紙巻をし、柿渋を塗って固定するもの。

(エ) 端を斜めに切って尖らせるもの。

 

 このうち@は我々の記憶にあるもので、近現代ではポピュラーなものと思われる。

 Aについては、江戸時代前期の『人倫訓蒙図彙』にある職人が製作する伸子(図4−1)や、同時期の『女用訓蒙図彙』にある伸子(図4−2)では、二股の端のものが描かれている。またモースが明治10年代に来日して収集した資料のなかに、二股の伸子の実物がある。このように、近世〜近代初めではAのような二股の伸子が使用されていた。

 なおBおよびCは歴史資料的に確認することができなかった。従ってその存在については、肯定も否定もできないところである。

  (図4−1・2)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/shinnshi9

 

6、    伸子(しんし)の古語

 『人倫訓蒙図彙』では伸子の説明に、

 「【簇削(しいしけずり)】都の詞に(しいし)をしんしといへり。田舎はづかしき片言(かたこと)なり。」

と書かれてある。同じく『女用訓蒙図彙』でも「(しいし)」と振り仮名されている。また小学館『日本国語大辞典』には島根地方の方言として「シーシ」という発音例が報告されている。

 以上から考えるに、元々は「簇」と書いて「しいし」と呼んでいたものが江戸時代前期頃に京都で「しんし」と言うようになって広まり、「伸子」という漢字が当てられたようである。従って「伸子(しんし)」の古語は「しいし」であろうと推測される。

 

7、    おわりに

 伸子張りは洗濯後の仕上げ方法の一つである。これは昭和30年代頃までは各家庭で為されていたものであるが、今ではこれをする人はほとんどいなくなった。

 この方法は、歴史資料では平安時代から確認できる。しかし近代以前においてその道具の実物が保存されることはなかった。絵画資料にその様子が判明するのみである。また遺跡発掘調査においても管見では全く出土していない。竹串という性質のため遺存することが難しく、出土しても伸子とは認識が困難であろう。また絹張もそれのみの出土ではそうとは認識し難いものである。しかし、今後出土して認識される可能性は十分にあると考えられる。

 

 

(参考文献)

『日本絵巻物全集28』角川書店オフセットカラー13 昭和54

『日本絵巻物全集24』角川書店 昭和53

『人倫訓蒙図彙』元禄三年 1690(平凡社東洋文庫 191頁)

『女用訓蒙図彙』元禄年間(『家政学集成』渡辺書店 昭和45年 所収)

『モースの見た日本』小学館 1988 79

遠藤元男『ヴィジュアル史料 日本職人史T 職人の誕生』雄山閣出版 1991 83

遠藤元男『ヴィジュアル史料 日本職人史U 職人の世紀・上』雄山閣出版 1991 87

井原西鶴『好色一代男』(日本古典文学大系『西鶴上』岩波書店 43頁)

高山 繁『家庭実用新式染洗法』明治43年(『家政学集成』渡辺書店 所収)

石澤吉麿『家事衣類整理法』大正2年(『家政学集成』渡辺書店 所収)

小泉和子『道具が語る生活史』朝日選書 1989 5052

 

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