105題 朝鮮総連の人から聞いた話

 

「祖国が統一されていないから差別されるのだ。分断されて祖国の力が弱いからバカにされるのだ。統一されて強い祖国ができたら、差別する日本人はいなくなる。」

 

 1970年代は総連の力が大きく、こう考える在日が多かったし、私もよく聞かされたものだった。「統一」「民主化」など祖国への熱いまなざしを在日はかつて持っていた。

しかし韓国の経済発展と大統領選挙の実施により80年代以降「民主化」を語るものは少なくなっていったし、また北朝鮮の理解し難い統治形態や社会状況が知られるにつれ「統一」を熱っぽく語る者も少なくなっていった。このごろの在日の運動の方向は、日本での権利拡大要求と過去の日本の植民地支配糾弾へ向かっており、祖国への貢献・寄与を説く者はほとんどいない、というのが私の印象である。在日の祖国への熱き思いは冷めつつあると言わざるを得ない。

 

 

「わが朝鮮民主主義人民共和国は人間の身体みたいなもので、金日成元帥様(ウォンスニム)は頭であり、人民は手足なんです。人民は金日成元帥様を本当に心から慕っているんですよ。かつての日本の悪辣非道な天皇制と全く違うものです。スターリン主義なんて言う人は、本当のところを知らないから、そんなことを言うんですよ。」

 

 私は1974年頃に朝鮮総連の人から朝鮮語の初歩を教えてもらった。その人から北朝鮮について聞いた話。こっちは社会主義国という以外に知らないし、現代という時代は資本主義の最終段階の帝国主義から社会主義に変革していく時代と思っていたから、興味津々に聞いた。

 この解説は今から考えると、実に的確な表現である。手足は頭から発せられる指示にそのまま従うのみで、頭に対してその指示の根拠は何かとか、前例がないとかの疑問は持たないものだし、ましてや異議申し立てはあり得ない。頭が無くなると身体は死んでしまい、手足は存続できないが、手足の一本や二本無くなっても頭がある限り身体は存続できる。この関係が国家と国民の関係にまで引き上げられているのが、朝鮮民主主義人民共和国という国家なのである。

 

 

「北朝鮮いうたら、あんなすばらしい国はないと言う人と、あんな滅茶苦茶な国はないと言う人と極端に違っている。行ってみて一体どっちが本当やった?」

「後のほうと思ってくれていいよ。」

「向こうと日本とでは、どっちが住みやすそうや?」

「そら日本やわ。日本は自由やけど、あっちは隣の村にいくのに許可がいるんよ。北鮮で太っているのは金日成だけやから。」

 

 1980年代初め頃に祖国に親族訪問した総連系の方から聞いた話。1950年代末〜60年代前半に北朝鮮に帰国した親族を訪問する在日は、70年代後半から多くなっている。しかし彼らはすばらしい「地上の楽園」であるべき祖国のことをほとんど喋ってくれない。こっちが聞いてかろうじて語るのみであった。

 

(追記)

 自費出版『「民族差別と闘う」には疑問がある』(1993年)の一節の再録。

すべて1970年代の話です。

 

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