80 在日の歴史認識

 『季刊青丘一三』(1992年8月)に「国籍からみる在日韓国・朝鮮人」と題する金英達・金敬得・金英姫・金明玉の四氏による座談会があるが、その中に次のようなやりとりがあった。

 

金英達「自らが朝鮮人であると言える要件ってなんだろう」

金英姫「消去法で考えると、まずウリマル(朝鮮語のこと)も中途半端だし、料理もいまいちだし(笑い)。風習たとえばチェサの順序も分からない。そういうように中途半端なんだけど、歴史認識で朝鮮人としての自分を確立してきたという気がします。」

        (略)

金英達「‥‥私も自分に向かって、何が朝鮮人かと問うと消去法で考えるんです。一つは血筋をひいていること、そして姓、金とか李とかを使っている。もう一つは英姫さんも言っている歴史認識の共有。その三つが朝鮮人の三要素(笑い)。つまりつきつめて言えば、自分自らを朝鮮人だと思っていることですよ。」

金明玉「在日朝鮮人の三点セット(笑い)。‥‥」

 

彼らが言う「歴史認識(意識)」の中身が語られていないので分からないが、普通その国の歴史といえば、国を統一した英雄や文化に貢献した人が出てくるし、また政治制度の変遷、経済や文化の発達など、要するにその国・民族の発展の歴史を語るものだ。

 しかしこれまで私が付き合ってきた在日朝鮮人の体験からすれば、それはそのような歴史ではなく、次のような歴史である。

 

古代では朝鮮は遅れた日本に文字や仏教、学問を教えてきた。また大土木技術をもって日本各地を開発し、さまざまな優れた美術工芸や文化財を持ってきた。日本文化というのはすべて朝鮮から渡来したものだ。文明先進国であった朝鮮人が野蛮な日本人に文化を教えてやったものだ。日本人が尊敬してやまぬ天皇家や古代貴族はもともと朝鮮からの渡来人なのだ。朝鮮は日本に文化をもたらせた大恩人なのだ。

ところが明治以後の日本は西洋文明の摂取に狂奔し、それまでの恩を忘れて朝鮮を侵略した。忘恩背徳の日本はついには朝鮮を植民地化して、36年間にわたり朝鮮民族を搾取・収奪し、弾圧し、民族性を奪うなど、武力による朝鮮の抹殺を図った。日本は第二次大戦で敗れ、朝鮮は解放されたが、日本人はその後も一貫して朝鮮民族を蔑視し、差別し続けてきているのだ。

 

つまり古代における日本に対する文化的恩恵および近代における日本による侵略の歴史である。これは対日本との関係の「歴史」であり、つまりは朝鮮の全民族史の一部に過ぎないものなのである。

 在日で自民族の全歴史のあらすじを大雑把にでも語れる者はまずいないだろう。例えば『歴史読本ワールド韓国史を歩く』(1988年1月)に「韓国人物列伝」として

 

金春秋・崔致遠・高宗・李成桂・世宗・李退渓・黄真伊・李舜臣・沙也可・大院君・安重根

 

11人の名前が挙がっているが、これらの人物を知り解説できる在日はどれだけいるだろうか。また朝鮮史における歴代王朝名とその首都をすべてあげよと問われてどれだけの在日が答えられるであろうか。あるいは朝鮮の古典文学を語れるものはいるだろうか。

 日本に住んでいるのだから日本との関係史に重点が置かれるのは当然という反論もあろう。しかし自民族史の初歩的基本的知識があまりにも不勉強で、対日本関係史のみが出てくるような「歴史認識」でもって在日のアイデンティティが語られるのは、私には理解できない。それは日本という巨大な存在に圧倒されてきたという民族観であり、民族としての誇りが雲散霧消しているのではないか思えるのである。もっとはっきり言うと、民族的アイデンティティとして在日が語る「歴史認識」は、民族としての自信のなさを表明したものと言えるのではないかと思う。

 

(追記)

 拙著『「民族差別と闘う」には疑問がある』(199312月)の一節の再録。一部改変。

 

ホームページに戻る