現代資本主義国家の危機と公教育制度

(海老原治善・黒沢惟昭・嶺井正也編『現代教育科学論のフロンティア』エイデル研究所 1990年所収)

橋本 健二(静岡大学助教授)

Contemporary Crisis of Capitalist State and Educational system
Kenji Hashimoto,Associate Prof. of Shizuoka University

1.問題設定としての「再生産」
2.資本主義社会の再生産と公教育制度
3.高度成長期の国家と公教育制度
4.危機への転換と公教育制度
5.転機に立つ国家と公教育制度

1.問題設定としての「再生産」


 「再生産」は、今日の教育の社会科学的研究の最大のキーワードのひとつである。この概念は、教育への現代的な問題設定の一つの焦点に言及している。それは、社会構造が再生産される過程において教育制度がひとつの中心的な位置を占めているというものである。こうした問題設定を共有する諸研究は、今日、「再生産理論」として知られている。この潮流は多様な理論的立場の人々を含んでいるが、その大部分はマルクス主義社会理論の立場を採用し、再生産されるべき社会構造を現代資本主義社会として理論化している。
 この問題設定には、三つの知的起源がある。それは、第一に、上部構造の機能を重視し、これに正当な理論的位置を与えることによってマルクス主義社会理論の再生をもたらした西欧マルクス主義、第二に、教育と社会構造の関連について実証的な知見を蓄積してきた教育機会の不平等研究、第三に、一九六〇年代に多くの先進資本主義国を揺るがせた世界的な学生反乱である。
 西欧マルクス主義の起源は、グラムシとルカーチ、それにフランクフルト学派の先駆的な研究にさかのぼることができるが、それが全面的な発展を遂げたのは一九六〇年代に入ってからである。この時期、社会主義陣営がその政治的・思想的影響力を喪失していく一方で、資本主義諸国は未曽有の経済発展を成し遂げ、政治的にも安定さを増していた。その中で西欧のマルクス主義者たちは、「なぜ変革は困難なのか」というペシミスティックな問題設定に立ち、その原因を国家や市民社会の中に発見する作業を積み上げていった。そのなかで教育はしばしば、変革を阻止する重要な制度として取り上げられた。
 一方、この時期は教育機会の不平等についての実証研究が蓄積され始める時期でもあった。高度成長とともに教育機会は急速に拡大したが、階層や人種による教育機会の格差は依然として存在し続けた。そして、多くの教育学者や社会学者たちはその原因の解明へと向かっていった。その際の主要な問題関心は、教育機会の不平等の軽減のための、政策的に可能な手段を知ることだった。しかし研究の進展は、これが既存の社会構造を前提とした政策的な手段では不可能であること、むしろ教育はその不平等な機会の構造を通じて、社会的不平等を維持し固定化さえしていることをますます明らかにしていったといえる1)。このことが後の再生産理論を実証的なデータの点から準備するのである。
 しかし、教育による社会構造の再生産という問題設定が多くの人々に受け入れられるようになった契機としては、なによりも一九六〇年代末の世界的な学生反乱を挙げなければならない。学生反乱のさなか、多くの人々は公教育制度の体制維持的性格に注目し、これを理論的・実践的に告発する活動に専心していた。アメリカではSDSのリーダーが、教育制度は合衆国資本主義の付属物であり、教師と学生のふだんの関係は支配と従属の訓練形態であると述べていた(Davidson[1967])。フランスでは、急進的学生団体が教育を、「その方法において、社会的統合の一因子をなす。教えるもの−教えられるものという従来の関係は、権威主義的関係の一原形をなしている」と規定していた(Sauvageot,Geismar and Cohn-Bendit[1968=1968:134])。イタリアでも学生たちは、「学校は、諸階級の分裂を正当化する機関として機能するという意味において、選抜と統合の道具となっている」と主張していた(武藤一羊[1969:357-8])。日本でも学生たちは、「教育の目的は、社会的生産及び再生産を行なっていける能力をさずけるものであり、またもう一面として支配体制を・・・・・ 発展、強化するイデオロギーを大衆にうえつけることである」と主張していた(日大全学共闘会議[1968:389])。教育は体制維持的であり、既存体制を再生産している・・・・・ 。この考えは、この時期に世界中で生じた同時多発的なイデオロギーだったのである。こうして、理論的な素材としての西欧マルクス主義理論、実証的な素材としての不平等研究を結びつける、いわば社会的な経験と精神とが準備された。再生産理論は、「急進的な学生運動の体験によって提起されたフレームワーク」だったのである(Karabel and Halsey[1977=1980:38])2)。
 しかし再生産理論は、それが形成され、定着する過程で、ある意味では次第に現実に裏切られはじめることになった。というのはこの時期が、資本主義社会、そして公教育制度が危機局面に転換する時期とも重なっていたからである。危機の局面は、まず経済の領域で始まった。一九七三年のオイル・ショックを契機とした世界的な経済危機は、福祉−介入主義国家の限界を露呈するとともに深刻な財政危機をもたらし、国家の危機へと連動していく。相前後して、「教育危機」が人々の意識に上るようになる。学生反乱は、この危機の最初の徴候だった。高度成長から停滞への資本主義経済の変化と並行するように、戦後一貫して続いてきた学校教育の量的拡大の時代は終わりを告げる。続いて一九七〇年代の末から次々と社会問題化した「教育荒廃」は、人々の間に「教育危機」という認識を定着させていった。そして、教育制度は非効率であり、国家と社会の危機をもたらしている、という認識がしばしば表明されるようになった。一九八〇年代は「経済危機」と「国家の危機」の時代であるとともに、「教育危機」の時代でもあった。
 これはひとつの、歴史の皮肉である。われわれは、教育制度による資本主義社会の再生産という問題設定を維持しながら、こうした教育危機という事態に対して、一貫性のある説明を与えることができるのだろうか。
 この課題に答えるために、ここではまず資本主義社会の古典的なモデルである自由主義段階にたちかえりながら、「資本主義社会の再生産」という基本的な問題設定の構造を明らかにすることにしよう。次いで、こうして理論的に把握された再生産過程を、成長から危機への移行を含んだ諸局面において検討しよう。ここで私が基本的な理論的ベースとして採用するのは、1960年代後半以降に形成されてきた、ネオ・マルクス主義の国家理論および危機理論である。「教育の危機」は、資本主義経済の危機、資本主義国家の危機との間に単なる時期的な一致以上に深い構造的な連関をもっており、その理解のためには、危機に関するより一般的な理論的視座が必要である。こうした理論的要請に、現時点でもっとも有効な視座を与えているのがネオ・マルクス主義なのである。こうして、資本主義社会の再生産の一般的過程とともに、成長局面と危機局面におけるその具体的形態を同時に把握するという課題に道が開かれることになるだろう。


2.資本主義社会の再生産と公教育制度


資本主義社会の構造とその再生産

 資本主義社会とは、資本主義的生産様式を中心として構成される社会諸関係の総体である。それは、資本主義的生産様式とそこから派生する資本主義的市場経済、それに、資本主義的生産様式によって支えられるとともに、その外的な諸条件を提供するさまざまな社会諸関係の体系である国家と市民社会から構成されている3)。資本主義社会が、人員・資源の不断の消耗・補充にもかかわらずその基本的な性格を維持しているとき、資本主義社会は再生産されたという4)。
 資本主義的生産様式は固有の内的諸矛盾と自己破壊的傾向を持っている。まず、資本主義的生産はその無政府的性格のためにさまざまな経済的不均衡を発生させるとともに、資本過剰による労働市場の逼迫=賃金コストの高騰、さらに長期的には資本の有機的構成の高度化から、利潤率の低下が引き起こされる。こうして、経済危機がもたらされる。一方、資本主義的生産様式は本質的に敵対的な性格をもっている。資本家階級と労働者階級の関係は基本的に非対称的であり、両者の間には構造的な利害対立がある。こうした利害対立は、経済危機の局面ではとくに大きくなる。ここから、労働者階級が資本家階級に対抗的な勢力として現れ、さらには自らを従属的な位置へと構成している社会構造の改変を志向した社会的行動を組織する可能性、すなわち階級闘争が激化する可能性が生じる。
 資本主義社会の再生産とは、そこに内在するこうした非再生産的な諸傾向を排除し、潜在化させる動的な過程である。再生産という過程をこのように把握する点が、マルクス主義的な再生産理論を、機能主義理論と区別する決定的な相違である(Hall[1981:20] )。機能主義理論は、システムの再生産を前提とし、そこからの逸脱傾向を説明しようとする。これに対してマルクス主義的な再生産理論は、危機傾向や矛盾の存在にもかかわらず資本主義社会が再生産されるのはなぜか、という問いに答えようとするのである5)。

資本主義社会の再生産メカニズム

 こうした資本主義社会に内在的な二重の自己破壊的傾向は、第一に資本主義的生産様式そのものの自己再生産的メカニズムによって、第二に市民社会によって、第三に国家によって排除あるいは潜在化されてきた。それは、自由主義段階の資本主義社会では、おおよそ次のような形態をとっていた。
 資本主義的生産様式は固有の自己再生産的メカニズムをもっている。それは主に、商品市場および労働市場を通じて作用する。市場メカニズムは経済的不均衡を調整するとともに、各企業に労働生産性向上へのインセンティブを与え、労働コストの低減をもたらす。一方、市場メカニズムは独特の等価交換イデオロギーを成立させる。労働と賃金が等価交換されるというみせかけのもとで、労働者と資本家は対等な取り引き相手として現象し、階級関係が「非政治化」される。経済危機の克服過程では、過剰資本が処理・廃棄されるとともに相対的過剰人口も回復し、さらなる資本蓄積の条件がととのえられる。相対的過剰人口の存在のもとで労働者は、「よく売れる労働力」であることを労働市場から強制され、資本の支配に服しやすくなる。
 こうして、階級闘争の激化は市場メカニズムを通じて防止され、経済危機が体制危機に連動しないような構造が成立する。自由主義段階には、このような自己再生産メカニズムが比較的よく機能していた。そして市民社会と国家の機能は、資本主義生産様式と市場メカニズムの外的な諸条件の保障におおむね限定されていた。それは第一に労働力の再生産、第二に資本主義的生産様式の制度的諸前提の維持であった。
 労働力は商品でありながら、資本主義的生産様式の内部では再生産されない特殊性をもっており、その再生産は外部の市民社会に委ねられてきた。ここでこれまで中心的な位置を占めてきたのは家族であった6)。近代社会において、家族は労働力の再生産の中心的な場として機能してきた。さらに、地域社会や、宗教団体その他の社会諸集団も、この労働力の再生産に関与した。
 国家は、資本主義経済と市民社会からなる資本主義社会の基本的なフレームワークを維持するとともに、これらの内部では処理できない問題の処理を行ってきた。第一に、国家は私有財産権を中心とする個人的諸権利を規定することによって資本主義的生産様式の外的な諸前提を制度化し、これを維持している。第二に、国家は外交・防衛・治安維持など、資本主義経済と市民社会の外的な諸条件を維持する諸活動を担っている。
 こうして資本主義社会は、自己調整的な資本主義的経済システムと、これを補完する市民社会・国家という三層構造によって構成されることになった。

再生産過程における公教育制度の位置

 公教育制度はこうした資本主義社会の構造の中で固有の位置を占めることになる。それはひとことでいえば、市民社会と資本主義経済を媒介するものとして、国家によって組織された制度なのである。
 資本主義的生産は社会的生産として組織され、生産組織が企業として独立する。これに対して、市民社会に属する諸制度は再生産の組織として純化していく。この意味で、経済制度から相対的に自律した近代的市民社会は資本主義とともに生まれたのである。そのなかで、資本主義以前には再生産の組織であるとともに主要な生産組織でもあった家族は、生産機能を失って再生産の主要な組織となった。こうして、生産を担う企業と再生産を担う家族という二つの組織形態が経済的な交換関係によって結びつくという、近代資本主義社会の骨格が成立する。しかし、生産から分離された家族は生産組織とは独自の論理をもちはじめ、労働力再生産の効率的な組織としての機能は自動的には保障されなくなる。とくに問題となるのは、新しい世代の労働力の再生産である。生産と再生産を空間的に分離した資本主義社会は、家族の外部に、既存の生産組織に適合的なあたらしい労働力を育成し、配分する媒介メカニズムを必要とするのである。
 結果的には、公教育制度はこうした媒介メカニズムとして、きわめて巧妙に組織されたといえる。若い世代はここにおいて、主要には家族の成員でありながら、将来の労働力として社会的に明確な地位を与えられることになった。生産組織である企業と再生産組織である家族は、商品市場と労働市場によって接合されるとともに、学校を通じて制度的にも接合された。こうして、「家族・プラス・学校」という再生産メカニズムの基本的構造が形成される。
 公教育制度はこのような構造的位置を持つことによって、資本主義社会の再生産メカニズムのひとつの中心となった。しかし、その具体的な機能様式は、資本主義の各々の局面における経済危機と階級闘争の表現形態と、他の再生産メカニズムである市場、市民社会、公教育制度以外の国家諸装置の機能様式によって規定されている。こうした相互関係の中で、公教育制度は、成長と危機という二つの局面を経過することになる。


3.高度成長期の国家と公教育制度


フォード主義体制と福祉−介入主義国家

 第二次世界大戦後の高度経済成長期に先進資本主義諸国で成立した国家形態を、福祉−介入主義国家と呼ぶことができる。その特徴は、国家機能の著しい拡大であり、経済と市民社会に対する国家の全面的な介入であった。こうした国家の成立をもたらした背景は、何よりも、経済危機と階級闘争という資本主義社会の内在的な自己破壊的傾向が、市場メカニズムを中心とする従来の枠組みでは解決できないものになったことである。
 20世紀は、さまざまな紆余曲折を経たとはいえ、一貫して経済成長の時代であった。そのもっとも大きな要因となったのは、数々の技術革新とともに、フォード・システムと呼ばれる特殊な生産方式の確立であった。作業工程は、単純な動作へと分解され、もっとも合理的なやり方で編成されて、機械装置に中に組み込まれる。労働者たちは労働のリズムや作業内容のすべてを機械装置によって指定される。こうして、ベルト・コンベア・システムを中心とする組み立てラインが完成する。これによって生産効率は飛躍的に上昇し、新しい生産技術の導入も容易になった。
 一方、大量生産は大量消費によって需要面から支えられなければならない。この需要面の裏付けを欠いていたことが、1929年恐慌の究極的な原因であった(Lipietz[1985=1987:54-5] )。危機の時代を経て、この問題は大量消費的生活様式の成立によって解決をみることになる。労働組合と経営者の団体交渉制度を基礎として、生産性の上昇に対応する労働者の購買力の増大が保障されるとともに、労働者たちは大量に生産される画一的な耐久消費財を中心とした生活様式を確立していく。こうして、大量生産と大量消費の循環が完成し、経済成長が保障される。フランスを中心に活動する、レギュラシオン学派と呼ばれる経済学者たちは、こうした経済体制をフォード主義的蓄積体制と呼んでいる。それは、戦後の経済成長を生み出した、先進資本主義諸国に共通の経済体制であった。
 しかし経済規模の拡大の結果、ひとたび経済危機が起これば、その影響は破壊的なものとなることが明らかだった。危機への傾向を放置することはできない。こうして、経済危機の回避が国家の責任とされるに至った。その原形となったのは、1929年恐慌後のアメリカのニュー・ディール国家であった。労働者階級の組織的力量の拡大により、経済危機が体制危機へと連動する可能性が現実化したことが、この傾向に拍車をかけた。このことはさらに、階級間の対立を処理し、それが体制危機へと連動するのを妨げる、政治的・イデオロギー的なメカニズムの必要をも増大させた。
 さらに、フォード主義は伝統的な生活様式を解体し、職場や地域、血縁による人々の関係を弱体化させていった。こうして労働力の再生産は、もっぱら核家族によって担われることになったが、これは核家族にとってはきわめて重い負担であった。核家族は、老人や病人を支え、同時に若い世代を大量生産システムと大量消費的生活様式に同時に適応させるだけの能力は持たなかった(Hirsch[1983])。労働力の再生産のための新しいシステムが必要になっていたのである。
 こうして、国家は、蓄積と正統化という二つの機能に深く関与していくことになった。すなわち、一方では私的資本の蓄積を促進することによって経済危機を回避し、他方では資本主義的諸秩序に対する支持・合意・容認を形成する、すなわちそれを正統化することによって階級対立が体制危機に転化するのを防止するという、二重の機能が要請されたのである。ジェームズ・オコンナーは、こうした国家の諸機能とそれが果たされる国家の介入様式を図1のようにまとめている(O'Connor[1973=1981:10-11] )。私的資本の蓄積の支持のためには、労働生産性の向上と、労働力の再生産コストの低減という二つの方法がある。前者は社会的投資と呼ばれ、人的資源に対する投資と物質的な投資とからなる。後者は社会的消費と呼ばれ、労働力の再生産に関わる諸施策からなっている。正統化のための支出は社会的損費(social expence)とよばれ、資本蓄積には貢献しないが、社会的調和を維持するために必要な、福祉その他の給付活動や所得再配分、イデオロギー装置や抑圧装置にかかわる諸施策を含んでいる。こうした介入の諸形態を大規模に遂行する国家、それが福祉−介入主義国家にほかならない。

   図1 国家の諸機能と国家介入の様式(O'Connor[1973=1981] より作成)
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    国家の機能              国家の介入様式
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 A.蓄積(accumulation)   a.社会資本  a1 社会的投資 a11 人的投資
                               a12 物的投資
                       a2 社会的消費

 B.正統化(legitimation)  b.社会的損費                
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 福祉−介入主義国家は巨額の財政支出を必要としたが、高度経済成長がそれを可能にしていた。そして、国家の機能はさらに経済成長を促すという好循環が実現された。こうして、福祉−介入主義国家とフォード主義の組み合わせは、20世紀世界システムの中核として君臨することになった。

福祉−介入主義国家と公教育制度

 福祉−介入主義国家を構成する諸制度の中でも、公教育制度はもっとも成功した制度のひとつであったといえよう。というのは、それは社会的投資、社会的消費、社会的損費のいずれの形態でも作用でき、蓄積と正統化の二つの機能を矛盾なく遂行できる、希有な存在だったからである。
 第一に教育は、技術的技能や企業に適合的な行動様式の形成を通じて労働生産性を向上させ、資本蓄積に貢献した。日本においては、このことがフォード主義体制の確立に重要な意味をもっていたと考えられる。フォード主義的な生産システムの下では、労働者たちは文字通り機械の一部と化して、正確・迅速に規律正しく作業することを要求される。ことに日本においては、大規模な製造業、とくに自動車産業を中心に、欧米の研究者たちが「トヨタ主義(Toyotism)」と形容する、徹底した労働管理が行われてきた。そこでは協調的な労使関係のもと、ユニフォームの着用、ラジオ体操、小集団活動、厳格にヒエラルキー的な組織、熾烈な能力主義的競争のシステムなど、欧米では考えられない「合理的」で競争的な経営システムが形成され、定着してきた(Dohse,J rgens and Malsch[1985])。
このようなシステムは、労働者たちの一種の人間改造を必要とする。1963年にまとめられた、経済審議会の人的能力政策に関する答申はこのことを強調していた。答申は、オートメーション化された労働は人間にとって容易に耐え難い性格をもっており、これに労働者たちを適応させるために、「近代的、合理的な職業意識と生活意識」を育成することが必要だとする(経済審議会[1963:10-12])。これは、ある意味ではすぐれた洞察だったといわねばならない。「労働の新しい諸方法は、特定の生き方、考え方、生活感覚の仕方からきりはなすことはできない」のである(Gramsci[1929-35=1962:43])。
 これを支えたのが、学校である。日本の学校は組織や管理方式は、こうした経営システムと驚くほど似ている。管理を競争が支えている点もそっくりである(加藤哲郎[1988:47-9] )。このような「対応(correspondence)」がどのように形成されてきたのかは、ここでは問わない。しかし、企業の経営システムと同形的な組織をもった学校教育で、すぐれた成績をおさめた若者たちがより有利な企業・職業に就職するという学校と企業の制度的な関連が、こうした日本の企業の経営システムの成功を支えたことは疑いがない。
 他方、公教育制度はフォードのもう一つの柱である大量消費的生活様式の定着にも影響を与えた。大都市の新しい生活様式を想定し、東京を中心に記述された教科書、標準語の使用を前提とした授業、パン食を強制する学校給食、新しい耐久消費財をまっさきに購入し、生徒たちにみせつける学校。これが、マスコミとならんで、あたらしい生活様式を全国に定着させる作用を持ったことは想像に難くない。こうして、学校は、フォード主義に適合的な労働者と消費者を養成する機関として作用したのである。
 第二に、公教育制度はいくつかのやり方で労働力の再生産コストを低減させた。まず、多数の若い世代を標準的な方法で同時に対象にするというその教育形態は、親たちの大量の労働力を解放することになった。また、公教育制度が企業での労働が必要とする基本的な知識や技能を若い世代に習得させるということは、国家がそのためのコスト、つまり労働力の再生産のためのコストを肩代わりしているということを意味した。しかし、日本の高度成長期においてもっとも重要だったのは、公教育制度が労働力の大規模な階級間移動や地域間移動を促進したということである。
 高度経済成長期は、階級構成の激変期でもあった。一九五五年には就業者の53.2%を占めていた旧中間階級は、一九七五年には29.4%にまで減少する。特に農民層は37.7%から12.7%と、3分の1以下に激減する(戸木田嘉久[1982:176])。かわって増加したのは、都市部の労働者階級と新中間階級である。こうした階級構成の激変は、主に世代間階級移動、つまり農民層の出身者たちが農民層以外の諸階級へ転出することによってもたらされた。1985年では、農民層出身の男性のうち、農民層にとどまっているのはわずか18.3%。これに対して、新中間階級は21.5%、労働者階級は41.5%を占め、実に現在の労働者階級の39.2%までが農民層出身者なのである。こうして、農村は労働者階級の担い手の巨大な供給源となった7)。
 こうした世代間階級移動において、公教育制度は移動にともなう摩擦を軽減するバッファーとして働いた。教育は、農村の都市化傾向とあいまって、農家に生まれた若者たちの都市産業への適応性を高めたのである(小林謙一[1967])。教育は彼らを他産業の労働力へと誘導する社会的強制力の一部であった。しかし、当の農民たちは、学校を社会的地位を向上させるための、すなわち上昇移動のためのエレベーターとして受け取っていた(東畑精一・神谷慶治[1964:266-276])。教育を通じての上昇移動=「立身出世」というみせかけの中で、こうした世界史上例をみない急激な階級間移動が、スムーズに進行することになったのである。このことは、資本蓄積の上で大きく貢献したに違いない。なぜなら、農民たちが元手をかけて育てた若者たちを吸収することによって、資本主義はその再生産コストを負担することなしに大量の労働力を手にいれたからである。
 第三に教育は、資本主義的な諸秩序、とりわけ階級的な不平等を正統化する主要な制度であった。教育のメリトクラティックなシステムは、階級的な利害対立の問題を個人の学校での努力や能力の結果にすりかえ、正統化してしまう効果を持った。公教育制度のヒエラルキー的な体系は、学歴獲得に向けた競争を構造化している。人々は、学歴という中立的な外観を持つ指標によって序列化される。そして学歴は、諸個人がどの階級に所属するか、とくに新中間階級と労働者階級のいずれに所属するかを決定する最大の基準となっている(図2)。このとき、階級間の不平等は諸個人の努力や能力の違いによるものとして正統化され、その体制的な意味を剥奪され、非政治化されるのである。

           図2 学歴と所属階級(男性)          (%)
--------------------------------------------------------------------------------
                     所 属 階 級
 学歴       ------------------------------------------------------------
          資本家階級 新中間階級 労働者階級 旧中間階級 合   計
--------------------------------------------------------------------------------
義務教育・旧制小卒   4.0   8.0  50.2  37.8 100.0
新制高・旧制中卒    6.2  31.4  42.8  19.6 100.0
大学・旧制高卒     9.5  64.7   9.9  15.9 100.0
--------------------------------------------------------------------------------
                             *1985年SSM調査による

 一九六〇年代に教育政策の一つの指導的な理念にまでなった人的資本理論は、こうした公教育制度の機能を、ある意味では非常に正確に描いていたといえる。人的資本理論は、教育への投資が社会的にも、また諸個人にとっても有効な投資であることを強調した。たしかに、教育は労働力の形成という面から高度経済成長を支えていた。また、教育を受けることによってより有利な階級に所属し、高い所得を得ることができるならば、それは個人の目からは一種の「投資」であるかのように見えるだろう。ところが、このことが投資−収益という関連として理解されたとき、人々は諸個人の不平等を当然視するようになる。技術や知識を身につけることによって、労働者は資本家になり、収益を手にするとされた。そして、少数民族や女性の所得が低いのは教育や健康に対する投資が不足しているからであり、貧困の主要な原因もここにあるとされた(Schultz[1961,1963])。その意味でこの理論は、社会現象を説明する理論であるというよりは、公教育制度の存在によって階級的な不平等が正統化される仕方と、この正統化をささえる人々の表象を、忠実に表現していたのである。


4.危機への転換と公教育制度


福祉−介入主義国家の危機と再編

 フォード主義体制のもとでの高度経済成長の過程で、国家は蓄積と正統化という二重の機能を大規模に遂行するようになった。ところが、この二重の機能を両立させることは次第に困難になっていった。
 そもそも、蓄積と正統化という国家の二つの機能の間には内在的な矛盾がある。国家によって私的資本の蓄積が促進されると、より大きな相対的過剰人口が発生するとともに、環境問題や労働問題が拡大することになる。こうして、より大きな正統化需要が発生するが、蓄積機能と正統化機能は同一の国家財政によって賄われるから、正統化機能の強化は蓄積機能のための財源からの控除を必要とする。しかし、利益代表にもとづく民主的政治制度のもとでは財政支出は一般に下方硬直性をもっており、とくに企業の利害代表が強い影響力をもつ資本主義社会の政治体制のもとでは、企業活動の前提となる社会的投資の削減は困難である。かといって正統化需要の増加を放置すれば、資本主義経済と国家の正統性が危機に陥ることになる。高度経済成長期にこうした蓄積と正統化の矛盾が顕在化せずにすんだのは、経済成長が税の自然増収によって持続的な国家財政の拡大を可能にしていたからである。実際、世界経済が1973年を境に危機局面に突入すると、ほどなく先進資本主義諸国は一様に深刻な財政危機に陥っていった。
 しかも、高度経済成長と福祉−介入主義国家の拡大の過程で、資本主義社会はさらなる矛盾を準備していた。まず、フォード主義体制に特有の矛盾が生まれつつあった。フォード主義的な生産組織はフレキシビリティを欠いており、大量生産には適しても製品や技術の急速な多様化には適応しにくい性格をもっている。消費の多様化や、ME化・サービス経済化などの趨勢のなかでは、これが次第に障害となっていく。また、フォード主義に特有な厳格な労働統制は、労働者から労働の意味を剥奪し、労働意欲の減退をもたらしていく(Aglietta[1976=1989:138-41]、水島茂樹[1983]、富森虔児[1989])。他方、フォード主義のもう一つの柱である大量消費的生活様式は、次第に変質して物質的な快楽主義に支配されるようになり、労働規律を脅かす要因へと転化していった。こうして、フォード主義体制はその限界をあらわにしはじめていたのである。さらに、福祉−介入主義国家の諸機能は長い間に、資本主義経済の前提諸条件をさまざまな形で侵食していた。福祉の拡大は、失業の恐怖やより大きな報酬への動機づけによって労働者を労働へ駆り立てるという、労働市場が本来もっていた機能を侵食していった。同様のことは、企業の側にも起こった。経済の国家介入が進行するにつれて、企業の成功は、企業家的な努力や能力よりも国家の政策に依存するようになる(Offe & Ronge[1981])。このことが、資本主義を支えた企業家精神を侵食するのである。
 国家はこれまで、蓄積と正統化という二重の機能によって資本主義経済の内部に発生した諸矛盾を処理し、潜在化させてきた。しかし、その能力は限界に達した。いまや諸矛盾は国家の危機として顕在化したのである。一方、フォード主義自体も限界に達しつつあった。こうして、フォード主義と福祉−介入主義国家を軸とした戦後資本主義社会システムは転換を余儀なくされることになった。ここで、国家の危機の克服は、二つの条件を必要としていた。一つは国家が担いきれなくなった過大な要求を縮小すること、もう一つは社会システムの問題解決能力を向上させることである(Offe[1987=1988:144-146] )。
 こうした背景のなかで出現したのが、新保守主義と呼ばれるイデオロギーと政策の体系であった。それは、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、そして日本の中曽根政権において、政権の指導的理念とまでなった。新保守主義は、先の二つの課題に対して、次のような処方箋を提示した。第一に、国家がこれまで引きうけてきた諸課題の一部を、市場システムに委譲すること。国家は市場メカニズムでは解決困難な諸問題を次々に引きうけてきたが、それはあまりにも過大なものとなってしまった。これを市場システムに委ねようというのである。「市場の自由にゆだねよ!」と「小さな政府」がその合言葉である(川上忠雄・増田寿男[1989:2])。具体的には、衰退産業の保護の解除、需要管理による完全雇用政策の放棄や、社会保障支出の削減が試みられた。この意味で、新保守主義は新「自由」主義でもあった。しかし、そのためには要求の厳しい選別が必要になる。国家は、国家が担い続けるものと市場メカニズムに引き渡すものとを決定し、これを受け入れさせなければならない。ここにおいて、新保守主義の、「自由主義」と「権威主義」という二重の性格が明らかになる。要求を縮減するとともに、これを市場の強制力の中に放出するためには、権威主義的な指導と強制が必要なのである。
 第二に、市場メカニズムに全面的に依存することはできないが、かといって国家が担いつづけるには大きすぎる諸要求については、市民社会に委譲する。福祉や教育への支出を削減し、労働力の再生産の責任を再び市民社会に負わせるのである。しかし、市民社会はフォード主義体制のもとでその機能を弱体化させていた。こうして、家族や親族、地域における社会的統合の強化がはかられ、伝統的な規範や道徳、そして国家主義的イデオロギーが強調されることになる。ここにも、新保守主義の権威主義的性格があらわれる。
 こうした国家の危機と、それに対する対案としての新保守主義の登場という事態は、公教育制度にも深く関わっていた。

公教育制度の危機

 高度成長期、少なくともそのはじめの時期において公教育制度は蓄積と正統化の二つの要求を矛盾なく遂行できるすぐれた制度であった。しかし、高度成長と並行した急速な教育機会の拡大は、次第にその蓄積機能と正統化機能の間に矛盾を生み出していった。
 公教育制度が正統化機能を遂行しえたのにはいくつかの理由があった。第一に、教育は既存の社会を正統化するさまざまな言説やイデオロギーを教え込むことによって直接に正統化機能を果たした。第二に、公教育制度のヒエラルキー的な体系は、階級間の不平等な関係を、客観化された能力=学力の違いの結果として現象させることによって正統化し、非政治化した。第三に、教育が社会的な地位達成の手段として受け取られたことから教育への需要は拡大し、これに応えた教育機会の拡大は行政能力の高さとして評価されて国家の正統性を高めるとともに、人々の生活への満足度を高めることになった。
 ところが、このような機能を遂行するために適切な教育の形態は、蓄積機能の遂行のために適切な教育の形態からはますます乖離していくことになった。なぜなら、言説やイデオロギーを扱うための教育や、地位達成の手段を提供するものとしての中等教育は非職業的な教育に偏らざるを得ないし、またその規模も経済合理性をこえた大規模なものでなければならなかったからである。こうして、教育制度は財政規模の拡大に対してその蓄積機能を次第に低下させていった。
 この蓄積機能の低下は、ひるがえって正統化機能をも侵食していった。経済合理性をこえた教育機会の拡大によって学歴の価値は低下し、大卒者たちは一世代前の大卒者たちのような高い地位や収入を期待できなくなった。この現象は、しばしば「過剰教育(over-education)」と呼ばれている8)。こうして、教育のメリトクラティックなシステムと階級関係とのつながりは不明確となり、階級関係の正統化は困難になっていくことになる。さらに過剰教育は、政治的な問題をも提起している。学歴が高いにもかかわらず十分な地位達成ができなかった人々は、一般に生活への満足度が低いとともにしばしば政治的に急進化する。この徴候はすでに1960年代の後半には現れており、これが学生反乱の遠因を作ったと指摘する論者は多い。さらに、過剰教育は教育問題にまで発展する。教育を受けること、学校内のさまざまな規律や統制に従うことが、かならずしも十分な見返りを生まないということが明らかになったとき、生徒たちを学校の統制システムに同調させるための動機づけは失われてしまう。学習意欲は低下し、逸脱やアブセンティズムが発生する。こうして、教育の機能は低下していくことになる。まさに過剰教育は、現代の教育の矛盾の集中的な表現である(Carnoy & Lewin[1985])。こうした事態が、「教育の危機」として人々に認識されていったのである。

新保守主義的教育政策の登場

 新保守主義は、こうした教育制度の機能低下は国家の失敗の重要な部分であり、教育改革は危機を脱出するための最大の課題の一つであるとみなした。臨教審答申は多様な利害やイデオロギーを反映した複雑な性格ももっているが、こうした新保守主義的な教育政策の特徴をかなり典型的に示している。そこには、資本主義の局面の移行に対応した教育目標の設定、教育の自由化=市場メカニズムへの委譲、教育の機能の市民社会への委譲、という三つの要素が認められる。
 第一に、臨教審答申は、現在進行している社会変動のトレンドを成熟化、科学技術の進展、国際化といった側面からとらえ、これに対応した教育目標を提言した。それによると、これからの教育は自由・自律・自己責任を重視し、社会の変化に柔軟に対応できる個性的で創造的な人材を養成するものでなければならない。ここに、1963年の経済審議会答申からの大きな距離があらわれている。経済審議会答申がいわばフォード主義的な人材の養成を強調していたのに対し、臨教審は、フォード主義的な生産方式がすでに限界に達している現状に直面して、より多様で柔軟な、ポスト・フォード主義的な生産組織に対応した人材の養成を提言したのである9)。
 第二に、教育の「自由化」によってその一部を市場メカニズムに委ねることが提案された。この試みは教育財政支出の削減を可能にするとともに、教育の蓄積機能と正統化機能の矛盾を部分的に解決する効果をもつだろう。教育機会の供給が市場メカニズムにゆだねられれば、教育の質と規模は外部からの需要に応じて決定されるようになる。そして、人々の教育要求の多くが企業組織を通じての地位達成を志向するものである現状では、それは企業の求める種類の人材を必要なだけ養成するものとなるだろう。こうして教育の蓄積機能は回復し、しかも国家は市場において評価された種類の教育に補助金の形で財政支出を集中することによって、その効率的配分を達成することができる。さらに、国家は人々の教育要求に応じて教育機会を提供する責任をまぬがれ、「過剰」な教育拡大を抑えることができる。生涯学習の強調も、この脈絡でとらえることができる10) 。
 第三に、臨教審は家族や地域社会の教育力の回復・活用を強調した。これは、労働力の再生産にかかわる福祉・医療などの機能を国家から市民社会へ委譲するという、新保守主義の基本的な戦略の重要な一部をなしている。このことは、機能の低下した学校教育の埋めあわせを市民社会に求めて労働力の再生産のメカニズムを確保し、同時に財政支出を削減する意味を持つことになる。


5.転機に立つ国家と公教育制度


 新保守主義の教育政策は、次のような歴史的位置をもっているといえる。経済成長の過程で、国家は市場メカニズムでは解決できない問題と、市民社会が担い切れなくなった問題とを引き受ける、巨大な福祉−介入主義国家へと成長していった。そのなかで公教育制度は、効率的な制度として評価され、拡大を続けてきた。しかし、経済成長の時代が終わりを告げるとともに、国家は過大な負担に耐えきれなくなり、その機能を再び市場メカニズムと市民社会へと委譲しようと試みはじめる。公教育制度も例外ではない。それは国家財政の中でももっとも経費のかかる領域のひとつとして、まっさきに再編の対象と目される。そして、教育の供給に市場メカニズムを導入し、それが不可能な領域については市民社会に委ねるという、新保守主義的戦略がもてはやされることになったのである。しかし、それははたして有効な戦略なのだろうか。
 今日の日本社会は、ある意味ではこの新保守主義の帰結を暗示しているともいえる。深刻な財政危機にみまわれたとはいえ、日本の国家は欧米の国家と比較すればすでに「小さな国家」であった(粕谷信次[1989])。福祉水準は低く、家族や親族の負担は重かった。そして、経済危機からの回復過程で減量経営や合理化を進めた企業は、労働者に対する統制を強め、家族や地域社会を従属的に統合し、これに多くの負担を強制してきた。また日本の教育システムは、アメリカやイギリスの新保守主義勢力が自国の教育改革のモデルとしてもてはやすほど、もともと競争的な性格をもっていた。この意味で日本における新保守主義は、実現されるべき目標を示すというよりも、すでに実現されつつあるものを追認し、さらに推進しようとする性格をもっていた。現に、世界的な資本主義経済の危機のなかで、日本は相対的に高い経済成長率を維持してきた。しかし、その帰結はどうだっただろうか。長時間労働や単身赴任に代表される労働者とその家族への負担の押しつけ、企業と学校を貫く厳しい競争原理などによって、日本の市民社会は解体傾向をみせている。新保守主義的戦略が全面化すれば、この傾向はますます強まるだろう。市民社会への矛盾の転嫁は、国家の危機にかわって市民社会の危機をもたらすのである。
 われわれは今、歴史的な転換点に立っている。資本主義的市場経済を福祉−介入主義国家によって補完しようとする試みも、市場経済を廃止して経済と市民社会を国家によって統制しようとする国家社会主義の試みも、限界を露呈した。こうした深刻な危機をまぬがれたかのようにみえた日本も、社会解体の危機と、貿易不均衡による外圧にさらされている。市場経済と国家が指導原理となりえないことが明らかとなった今、市民社会のもとに市場経済と国家を従属的に統合するという第三の道が考えられてよい11) 。このとき、市民社会と市場経済を媒介するという構造的位置にある公教育制度は、この第三の道を担う主体形成という課題を負うことになるだろう。その具体的な戦略は、開かれた問題である。


[注]
(1)こうした事情についてはKarabel and Halsey[1977=1981] の編者による解説を参照。
(2)カラベルとハルゼーのこの言及は、直接には「葛藤理論(conflict theory) 」に対するものである。彼らは再生産理論と葛藤理論を区別していないが、私の考えでは、教育制度の再生産的な諸機能に関する理論としての再生産理論と、諸階級の相互作用によって教育変動が引き起こされる過程に関する理論としての葛藤理論は区別されるべきである。
(3)「市民社会」の概念は論者によってかなりバリエーションがあるが、ここでは主にUrry[1981]の市民社会概念に依拠している。しばしば用いられるもうひとつの用法は、ここでいう市民社会と市場経済をまとめて市民社会と呼ぶものである。
(4)「再生産」という用語のしばしばみられるもうひとつの用法は、諸個人がその親と同一の階級に所属する傾向を指して(階級の)再生産と呼ぶものである。これは「階級の世代的再生産」と呼んで、「再生産」とは厳密に区別されるべきである。
(5)ボワイエはこの問題を次のように定式化する。「資本主義ほど矛盾に満ちた再生産様式において、いかにして蓄積が可能であるか?」(Boyer[1986=1988:ii] )
(6)こうした家族の機能を支えたのは、家父長制と呼ばれる男性の女性に対する支配のシステムであった。そして、公教育制度は家父長制を維持する重要なメカニズムとして機能していた。近年になって家父長制を再生産する教育制度の機能が注目を浴び、多くの研究が出現しているが、これについてはSpender and Sarah[1988] 、橋本健二・室伏宏美[1990]を参照されたい。
(7)1985年SSM調査による。こうした階級構成の変動過程の詳細については、橋本健二[1990]を参照されたい。
(8)これは正確には「相対的過剰教育」と呼ぶべきである。教育機会が過剰であるか否かを決定する絶対的な基準はそもそも存在しえず、ここで教育機会が過剰だというのは、資本主義経済の現局面の要請に対して相対的に、ということにすぎないからである。
(9)ポスト・フォード主義については、伊藤誠[1988]を参照。
(10)この点については、後藤卓也[1988]を参照。
(11)オッフェは、これを「非官僚制的で、分権化され、平等主義的で自律的な『福祉社会』モデル」と表現した(Offe[1987=1988:326] )。


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