教育改革の基礎としての〈近代教育システム〉批判


橋本健二(静岡大学助教授)


 〈近代教育システム〉が今、問われている。
 ここで〈近代教育システム〉というのは、近代社会の成立とともに生まれた〈教育〉という営みが、〈学校〉という制度的形態のもとで集中的に遂行されるシステムのことである。そして〈近代教育システム〉が問われているというのは、このシステムが客観的に機能不全に陥るとともに、その正統性を喪失しつつあるということである。

〈教育の誕生〉と〈近代教育システム〉の成立

 〈教育〉educationとは、ラテン語の「引き出す」に由来するコトバであり、人間の可能性を外からの働きかけによって引き出すことを意味する……。本誌の読者ならば、こんな説明を聞いたことのある方も多かろう。ところがイヴァン・イリイチによると、これは誤りであり、「教育学上の言い伝え」に過ぎない。「子孫の教育(educatio prolis)とは、ラテン語の文法で女性主語を要求する語である。それは雌犬や雌豚であろうと、人間の女であろうと、食物を与え育てるという母親の仕事を意味する」(イリイチ[一九八二:一〇四])。確かにこのコトバが「引き出す」にあたる意味をもつことがないわけではない。しかしその場合の「引き出す」は、たとえば「産婆が(新生児を)引き出す」のように、純然たる空間移動に過ぎないのである(森[一九九三:二八])。
 一方、アリエスによるとヨーロッパ中世には、現在の〈教育〉にあたるものとして、おおよそ二つのコトバのグループがあった。第一は見習奉公、養育、栽培など、第二は人文主義的教養と結びついた「教授」、というコトバである。一八世紀になると、この二つの観念は結びついて新しい観念にとって代わられるようになる。それが、子どもに「学問」と「良き習俗」を同時に与えるために、大人の社会から子どもを引き離す様式としての〈教育〉である(アリエス[一九九二:一八四−五])。この〈教育〉という観念の誕生が、アリエスの言う「子ども期」の誕生に対応するものであることは言うまでもない。
 我々はしばしば、〈教育〉というものが人類に普遍の営みであり、およそ人類社会がその形を整えた時点からすでに備わっていたものであると考えがちである。しかし、それは誤った認識である。我々が考える〈教育〉などというものは、近代以前には存在しなかった。〈教育〉は近代の産物なのである。
 しかも〈教育〉は、〈学校〉という制度的形態をともなっていた。〈学校〉とは、「一人の人物(大人)がおびただしい数の人物(子ども)を教えることのできる装置」として開発された「近代の特許的プラント」であった(森[一九九三:一九])。全体は精密に分節化され、各部分は同じ原理によって構成される。その各々の機能は、「学問」と「良き習俗」の習得という目的へと高度に調整されている。

近代資本主義社会の構造と〈近代教育システム〉

 近代社会はなぜ〈近代教育システム〉を必要としたのか。それは、近代資本主義社会がもたらした「生産」と「再生産」の三重の分離のゆえである。すなわち人びとの生活を物質的に支える生産活動と、生産活動を可能にする消費活動や養育など、すなわち労働力を再生産する諸活動の精妙な分離のゆえである。
 「生産」と「再生産」の第一の分離は、空間的分離である。近代資本主義社会では生産手段が資本家あるいはこれに代わる法人によって集中所有され、生産組織が企業として分離する。一方、家族は生産機能を失って消費=再生産の場として純化する。企業は、たとえば工場やオフィスといった空間的表現をもって現れる。これに対して家族は、これから区別された「地域社会」の単位となる。こうして「生産」と「再生産」は空間的に分離され、生産を担う企業と再生産を担う家族とが経済的な交換関係によって結びつくという、近代資本主義社会の骨格が成立するのである。
 第二の分離は、時間的分離である。生産と消費が空間的に分離されることから、生活時間も「労働時間」と「非労働時間」に分離される。人びとはこの二つの時間を、一日、一週間などの単位で往復する。人生全体も「労働期」と「非労働期」に分離される。こうして生まれたのが「子ども期」である。労働を免除され、労働期への準備段階にあるとみなされる「子ども」という存在の登場。この「子ども」という存在こそ、我々が知る〈教育〉の成立のための不可欠の条件であった。
 第三の分離は、担い手の分離である。「生産」と「再生産」が空間的に分離されることから、もっぱら生産労働に従事する人びとと、もっぱら再生産労働に従事する人びととの分離が促進される。ここに成立するのが、近代的な性役割分業である。「男は仕事、女は家事・育児」に代表される家庭内の性役割分業は、実は「男は生産労働、女は再生産労働」という社会的分業でもある。
 「生産」と「再生産」の三重の分離は、近代資本主義社会に深刻な課題を突きつけた。それは、必要な労働力をいかに再生産するかという課題である。
 「生産」から切り離された家族は、生産組織とは異なる独自の論理を持ち始める。家事労働に従事する女性を中心に、夫婦・親子が情緒的・閉鎖的に結びつく友愛家族。家族が生産組織であるとともに再生産の場でもあった社会とは異なり、家族はもはや、労働力の効率的な再生産を自動的に保障するものではない。加えて近代資本主義社会における中心的な生産形態である工場制機械工場は、独特の厳格な規律とリズムに従った労働を要求した。家族はこうした特殊な労働様式の形成を担いうるものではない。
 「生産」と「再生産」を分離した近代資本主義社会は、こうして、「企業」と「家族」の外部に、工場制機械工業に適合的な、歴史的に特殊な労働力を育成し配分する、独自の媒介メカニズムを必要とするようになった。
 結果的にこうした要請に応えたのが、〈近代教育システム〉に他ならない。〈学校〉の空間構成、時間のリズム、要求される行動様式は、奇妙なほど工場に似ている。企業とも家族とも区別される〈学校〉という第三の空間。そこで行なわれるのは、非労働期の「子ども」を対象とする組織的活動。生み出されるものはまずもって、近代資本主義社会に特殊な労働様式を身につけた労働力。
 子どもたちはまず家族で養い育てられる。ついで学校に所属し、将来の労働力として明確な位置を与えられ、労働期への準備をする。そのあとで学校を離れて、生産の場へとおもむく。ここに、家族で生み育てられた子どもが学校教育を経て企業に参入するというルートが成立する。学校教育は、新しい世代を家族から企業へと媒介するメカニズムなのである。生産と再生産の分離にともなう労働力の再生産障害は、こうして克服される。
 〈近代教育システム〉は自然の産物ではない。それは国家によって意識的に追求され、導入されてきたものである。特に近代日本において、〈近代教育システム〉はその純粋形態を示したといえるかもしれない。特定年齢層の子どものみを同年齢ごとに学年集団として編成し、学年進行する体系的・画一的なカリキュラムに基づいて教育する。そして、一定期間を経て子どもたちは、共通の「学歴」を与えられて労働市場へと輩出される。多様な家族や地域社会の中で生み育てられた子どもを、全国共通の「学歴」というラベルを貼られた互換可能な労働力へと変換するメカニズム。それが〈近代教育システム〉である。日本で新規学卒労働市場が労働市場の主柱となったのは、こうした〈近代教育システム〉の成功と密接な関係にある。
 〈近代教育システム〉は、子どもたちを家族や地域社会から引き剥がし、国家規模で規格化された「労働力」へと変換するメカニズムである。したがってそれは構造的に、家族や地域住民の意志を排除する傾向がある。学校は家族や地域社会の上に立ち、時には従属さえ要求する。教育に家庭のご理解を、地域のご協力を……。
 男性と女性の分離と性差の強調も、〈近代教育システム〉の特質の一つである。近代資本主義社会は生産の担い手と再生産の担い手を分離した。〈近代教育システム〉は生産のための労働力を生み出すだけではない。もう一つの労働、労働力を再生産するための見えざる労働(シャドウ・ワーク)、不払労働たる家事労働のための労働力をも生み出すのだ。こうして〈近代教育システム〉は、生産と再生産の担い手の分離をも再生産する。戦前期の男女別学校体系、今日でも女子高等教育の主流ともいうべき短期大学、そして各種のカリキュラムや教育活動の中にみられる女性差別は、その現れである。
 家族からも企業からも分離された第三の空間で、労働期から分離された「子ども期」のヒトを素材として、生産と再生産の分離された担い手を再生産する。こうして〈近代教育システム〉は、近代資本主義社会の構成的な要素となったのである。

問われる〈近代教育システム〉

 しかしながらこの近代教育システムはいま、さまざまな挑戦にさらされている。それは、第一に生産と再生産を精妙に分離した近代資本主義社会の構造そのものが問われはじめたということ、第二に学校という画一的なシステムの機能不全があらわになってきたということである。
 生産と再生産の担い手の分離は、もはや維持されえないだろう。ますます多くの女性たちが、雇用労働者として労働市場に参入するようになっている。女性差別撤廃条約は、「両性いずれかの劣等性若しくは優越性の観念叉は男女の定型化された役割に基づく偏見その他あらゆる慣行の撤廃」という表現で、性役割分業、すなわち生産と再生産の担い手の分離の克服に向けた努力を締約国に義務づけた。こうした中で学校教育は、社会の趨勢から立ち後れ、むしろ女性差別を温存する保守的な装置として機能していることが、多くの人の目に明らかになりつつある。「生産」と「再生産」の主体の分離と、これを支えてきた学校教育が、厳しく問われている。
 労働期と非労働期の分離も、多くの不都合を生み出している。現状では、非労働期の一種たる「教育期」は必ず労働期に先行し、いったん労働期に入った後には原則として訪れない。生徒は同じ時期に入学し、同じ時期に卒業し、卒業すれば再び戻ってくることはない。しかし技術革新が日常化する中で、学校で学んだ知識は急速に陳腐化を始める。「教育期」と「労働期」の分離はますます非効率的となり、また個人のライフチャンスを制限するものとなる。教育期と労働期の結合、または往復が求められているのだ。
 それだけではない。長寿化の進行は、労働期の後に長い「老年期」を作りだした。「老年期」はもはや、「労働期」の後にくる余計な期間ではなく、労働期に比較し得るほどの長さをもった独自の存在として、労働から解放されて真の自己実現を図ることのできる人生の理想状態として位置づけることが可能となっている。ここに教育は、新たな課題を見いだすかもしれない。
 学校が家族と地域社会から隔絶していることは、多くの問題を生み出してきた。頻発するいじめ、暴力などの事件は、子どもたちのかかえる問題が学校制度の内部のみでは解決できないこと、いやむしろ隔絶した〈学校〉という空間の構成そのものに起因することをあらわにしつつある。学校はもはや、家庭や地域から独立し、その上に立つことのできる特権的なシステムであってはならないのだ。しかも高齢化の進む今日、都市社会はその内に、コミュニティ的なるものを復権させる必要に迫られている。コミュニティを支える主体を形成するためにも、学校と地域・家庭の間の壁を取り払い、分権と参加のシステムを作り出すことが求められよう。
 以上に加えて近年の新しい動きが、〈近代教育システム〉への反省を迫っている。
 外国人労働者の流入とその子どもたちの教育現場への登場は、これまでの画一的・斉一的な教育が、極めて限定された条件の下でのみ成り立つものであることを人々の目にさらすこととなった。そしていったんこのことが認められたならば、従来から日本社会にあったさまざまな文化的差異、階層的差異の問題が主題化されざるをえないだろう。
 「日本的雇用システム」の変貌が指摘されている。これまで日本の教育は、高い学力と低い退学率などの「成功」と、熾烈な受験競争にみられる「病理」という二面をもつものとして、国際的にも注目を浴びてきた。この両者は実は、終身雇用・学歴別年功賃金と結びついた日本的学歴主義、すなわち学歴によって生涯にわたる処遇が決定されるというシステムと密接な関係にある。この両者の関係が、教育期と労働期の分離を基礎としたものであることは言うまでもない。「日本的雇用システム」の変貌は、この意味で〈近代教育システム〉に変化を要求するのである。
 「近代教育システムを問う」という試みは、決して珍しいものではない。むしろ流行のテーマの一つといっていいかもしれない。しかしその多くは歴史学的・哲学的アプローチであり、近代教育システムの特質や限界を明らかにするものではあっても、それを克服するための具体的な諸施策や課題について言及するものではなかった。
 〈脱近代(ポストモダン)〉が流行語となったのは、もう何年も前のことである。流行に終わってしまった原因の一つは、これを単なる哲学的思索の問題ではなく、現実に切り込む戦略的概念として鍛え上げることができなかった知識人たちにある。〈近代教育システム〉の問い直しというテーマは、〈脱近代〉の試みの一部であり、すでに数多くの歴史学的・哲学的研究を生み出してはいる。しかしこれが流行語としての〈脱近代〉と同様の運命をたどる危険はないとはいえない。
 今や〈近代教育システム〉批判は、教育改革を構想するための基礎であるといってよい。これまで教育改革の課題とされてきた多くのことがら、たとえば生涯学習、男女平等教育の推進、いじめの克服、学校への参加と教育の分権化、学歴獲得競争の緩和など。これらはいずれも、〈近代教育システム〉の限界にかかわり、またその克服にかかわっている。教育の21世紀は、〈近代教育システム〉の問い直しから始まるのである。


〈参考文献〉

フィリップ・アリエス、中内敏夫・森田伸子訳、一九九二、「教育」の誕生、藤原書店.
イヴァン・イリイチ、玉野井芳郎・栗原彬訳、一九八二、シャドウ・ワーク、岩波書店.
森重雄、一九九三、モダンのアンスタンス、ハーベスト社.


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