ジェンダーと階層構造

----セクシズムの克服と理論的統合をめざして----

橋本健二
(静岡大学)

*本稿は、拙稿「ジェンダーと階層構造----理論内在的セクシズムの問題----」『教育社会学研究第61集』(1997年10月)に加筆修正したものである。主な修正点は、1.1995年SSMデータによって算出された数値を、最終版データにもとづいて一部修正したこと、2.表6.と説明を付け加え、これに合わせて記述を一部変更したこと、3.2-C「農民層分解研究----女性労働力の軽視」の箇所で、農業統計上の「あとつぎ」概念についての説明に一部誤りがあったのを修正したこと、である。また、単独の論文としての体裁を整えるため、前文を書き直してある。(1998年1月修正)



1.「女性の無視」ということの意味
 (1)研究対象からの除外
 (2)方法的・理論的問題
2.「女性の無視」の結果
 (1)階級構成研究----「新中間層の拡大」は本当か
 (2)地位達成研究----移動構造の性差
 (3)農民層分解研究----女性労働力の軽視
 (4)学歴と社会階層の歴史社会学的研究----家父長制家族の前提
3.ジェンダーと階層構造の理論化に向けて
 (1)分析の単位の問題
 (2)ジェンダーと階級構造
 (3)「『ジェンダーと階層』研究」を超えて

Gender and Social Stratification : Toward the Anti-sexist and Integrated Class Theory

Kenji Hashimoto
(Shizuoka University)

  In almost studies on social stratification, the female half of humanity has been excluded from research object. This exclusion takes two forms : (1)exclusion from research respondents : respondents were extracted from only male population, (2)exclusion from theoretical propositions i.e. sexism inherent in theory : theories of stratification itself have dispositions to ignore women as a unit of stratification. This exclusion has produced many unreliable results and false conclusions in various field of studies on social stratification, such as class composition, social mobility, diffrentiation of pesantly and historical sociology on of education.
  To incorporate women and gender inequality into the study on social stratification, I investigate unit of analysis and relations of gender and class structure. Most studies have assumed that the family is the unit of analysis and its location in class structure is determined by the status of the male head of the family. In other word, the patriarchal family has been assumed as the unit of analysis. This assumption is inadequate, both theoretically and empirically. We have to select relevant unit of analysis, individual or family according to research context.
  As to relations of gender and class structure, I identify three distinct approach : "gender as class", "gender as determinant of individual's class location" and "gendered class structure". In support of third approach, I insist that studies on social stratification must be refounded on the basis of adequate theory on class identification and intensive studies of labour process, especially job segregation by sex in the work place.


 本稿の目的は、従来の階層研究1)をジェンダーの視点から概括し、そこに特定の理論的偏向が存在してきたこと、そしてこのことが実証研究の上でも多くの誤りや混乱をもたらしてきたことを明らかにし、その上でオルタナティブな視点を提案することである。審問されるべき最大の問題は、「従来の階層研究は、女性を無視してきた」という、今日では広く認められた研究史上の事実である。

1.「女性の無視」ということの意味

 従来の階層研究が女性を無視してきたという場合、そこには少なくとも二つの意味がある。第一に女性が研究対象から除外されてきた、もしくは限定的にしか扱われてこなかったということ、第二に研究の際に明示的または暗黙に前提された階層理論そのものが女性を無視する構造を持っていたということである。

(1)研究対象からの除外

 女性が研究対象から除外されてきたことを典型的に示すのは、1955,1965,1975年のSSM調査である。これらの調査では最初から調査対象が男性に限定されており、性別に関する設問すら存在しない。1985年のSSM調査では女性を対象とした調査も実施されたが、男性と女性が同一の質問紙で調査されるのは、1995年が初めてである2)。
 こうした事情は、世界各国とも基本的に変わりがない。米国で地位達成研究が飛躍的に発展した1960年代後半、データ面で研究を支えたOCG(Occupational Changes in a Generation)調査は男性のみを本来の対象としており、質問紙の冒頭には"Dear Mr."と記されていた。したがってBlau & Duncan[1967]をはじめとするこの時期の代表的研究はほぼすべて、男性のみを対象とするものである。さらに時代をさかのぼってLipset & Bendix[1959]を見ると、社会移動の国際比較に関するデータはすべて男性についてのもの、また米国内の社会移動の分析に用いられたデータは「世帯主」を対象としていたためにサンプルの約85%までが男性で、しかも実際の分析では「女性と30歳以下の男性」が除外されている。ヨーロッパ諸国で同時期に行なわれた調査については詳細が不明だが、1970年代以降の調査でも女性が対象となっているのは半数程度である(Erikson & Goldthorpe[1993])。
 このように女性が調査研究の対象から除外された背景に、女性は社会にとって重要な存在ではないという、差別的な認識があったことは事実だろう。また有職者のサンプルを効率的に集めるという、技術的な問題もあったかもしれない。問題がそれだけならば、研究者が認識を改めて調査研究の対象に女性を含めるよう努力しさえすれば済む。だが、事情はそれほど単純ではない。というのはこうした女性の無視の背景には、より深刻な方法的・理論的問題があったからである。

(2)方法的・理論的問題

 こうした階層研究の伝統に対して初めて根底的な批判を行なったのは、Acker[1973]である。「知的セクシズムの一例(a case of intellectual sexism)」という副題を持つこの論文で彼女は、これまでの階層研究には暗黙のうちに6つの仮定が含まれており、その結果女性が研究対象から排除されてきた、とする。ただし彼女の示した6つの仮定には重複があり、その論点はほぼ二点に尽きる。それは、@階層システムの単位は家族であり、その所属階層は男性世帯主の地位によって決定される、A男性と女性の間には不平等があるが、これは階層システムとは関係がない、の二点である。
 Ackerによると、これらはいずれも事実に反するか、または理論的に困難をもたらす仮定である。現実にはすべての人が家族と生活を共にしているわけではなく、相当数の人々が単身世帯で生活している。しかも男性世帯主がいなかったり、いても無職者・退職者である家族が存在する。したがって@のような仮定は成り立たないし、またこのように仮定してしまうと、独身女性の地位は自分の地位資源によって決定されるのに、結婚翌日からはこれが無意味になると考えざるを得なくなり、理論的一貫性が失われてしまう。他方、貧困線以下にいる家庭の40%までが女性を世帯主とする家庭であるが、この事実は性別が階層分化と密接な関係にあることを示している。Aの仮定に反して、階層と性別の間には構造的な関係が存在するのである。
 二つの仮定に対する彼女の批判は、明らかに伝統的な階層研究の欠陥を突いており、事実その後の階級とジェンダーの関係をめぐる論争は、この2点を中心に展開されてきた。そして20年にわたる論争とフェミニズム理論の発展を経た今日の時点では、Ackerの指摘した二つの仮定の意味をより明確に評価できよう。
 第一の仮定の意味するところは何か。それは、これまでの階層研究が、家父長制家族の存在を所与の前提とし、これを分析の単位としてきた、ということである。その結果、ジェンダーは分析の単位内部の問題として処理され、結果的に無視されることになった。第二の仮定の意味するところは何か。それは、階層構造を決定するのは個人の属性とは無関係な客観的構造であり、ジェンダーなどその他の要因は副次的な要因にすぎず、階層研究の本来の対象ではないとされてきたということである。
 これら二つの仮定の源流をたどっていけば、それぞれWeberとMarxという、階層理論の二つの源流に行きあたる。
 Weberの「身分」概念は複合的な要素を含むが、その中核的な要素は生活様式である。生活様式を階層区分の基準に置く以上、生活様式を共有する家族が分析の単位になるのは当然である。ジェンダーと階層研究をめぐる論争において、Neo-Weberianと称されるGoldthorpe[1983]が男性を中心とする伝統的なアプローチを擁護する立場をとったのは、偶然ではない。他方、Marxの階級概念は生産関係上の位置を基準としている。少なくとも資本主義的生産関係に関する限り、生産関係上の位置は個人によって占められるから、階級の単位はあくまでも個人であり、しかもこの位置を占めるのが男であるか女であるかは基本的な問題ではない。そして生産関係上の位置を持たない人々、たとえば主婦は、階級分析の対象ではない。伝統的なマルクス主義が資本家階級と労働者階級の階級対立を分析の焦点に据え、女性差別の問題を副次的問題として扱ってきたのは、こうした階級概念のゆえである。
 したがってAckerの批判は、単に現代社会学における階層研究への批判にとどまるものではない。身分、階層、階級など呼び名は異なるとしても、近代社会科学の多くにとって、社会階層は社会現象の分析における基本的な分析の単位であったのだから、この批判は近代社会科学総体に対する批判でもある。したがって、仮に調査対象に女性が含まれたとしても、分析の前提となる理論そのものにジェンダーの問題を適切に扱えない構造がある以上、それだけで問題を克服することはできないのである。先述のようにこうした伝統を、Ackerは知的セクシズムと呼んだ。しかし私には、問題はより基本的な、認識論的・方法論的なものであり、むしろ「理論内在的セクシズム」とでも呼ぶべきではないかと思われる。
 それでは次に、こうした「理論内在的セクシズム」がどのような結果をもたらしてきたのかを検証しよう。取り上げるのは、(1)階級構成研究、(2)地位達成・社会移動研究、(3)農民層分解研究、(4)学歴と社会階層の歴史社会学的研究、である。

2.「女性の無視」の結果

(1)階級構成研究----「新中間層の拡大」は本当か

 マルクス経済学が強い勢力を保ってきた戦後日本の社会科学で、階級はなぜか研究対象とされることの少ない領域であった。その中で唯一、一定数の研究者を引きつけてきた数少ないテーマの一つが、大橋[1971]に代表される階級構成研究である。これは国勢調査等の官庁統計をもとに各階級の量的規模を推計しようとするもので、1950年代から最近まで、数多くの研究が重ねられてきた。ところが、こうした研究が始まった初期の段階から、大衆社会論の影響下で専門職・事務職層に注目して階級構成表を読みかえ、新中間層が拡大しているとする見解が出現し、1964年には高校教科書にまで導入されて強い影響力を持つようになった。これが、今日まで広く流布されている新中間層肥大化論の原型である。これに対して大橋らは、当初使用していた「新中間層」というカテゴリーを破棄し、労働者階級内部の「いわゆるサラリーマン層」へと組み替え、労働者階級としての同質性を強調するようになった(大橋[1964,1968])。
 新中間層をめぐる両者の見解に共に欠けていたのは、ジェンダーの視点である。多くの場合、階級構成表では男性と女性が合算されており、男女別の分析が行なわれるようになるのは1980年代に入ってからである3)。この欠落の影響はきわめて大きかった。というのは、新中間層の問題を考える際には女性事務職の扱いが最大のポイントになるからである。Bernstein[1899]以来、階級研究において最も多くの論争を呼んできたのは労働者階級の範囲をどう考えるかという問題であり、労働者階級と新中間層を区別するか否か、区別する場合にはその境界をどこに引くかという問題であった。ところが女性事務職のほとんどは単純な事務作業に従事する下層事務職であり、この境界線上に位置している。明らかに、「女性は階級構造の中の最も論争を呼ぶ領域を占めている」(West[1978=1984:221])のである。したがって、男女を合算した上で事務職を自動的に新中間層に含めると、新中間層の規模を過大に評価することになる。
 いま仮に、被雇用の専門・管理・事務職従事者を新中間層と見なすことにしよう。図表1.は、その量的規模の推移を男女別にみたものである。新中間層の規模はこの40年間一貫して拡大しており、就業人口に占める比率は1950年の13.7%から、1990年には29.4%にまで達した。ところが「新中間層」に占める女性の比率も一貫して増加しており、1990年にはほぼ半数を占めるようになった。特に事務職では、女性が1092万人中629万人(58%)を占めるに至っている。しかし周知のように、女性事務職は一般に低賃金で、男性のように管理職へ連なるキャリアを持たない。階層帰属意識や生活満足度などの上でも、専門職よりは販売・熟練労働者との同質性が高い(橋本[1995])。これを定義上、資本家階級と労働者階級の「中間」を意味するはずの新中間層と見なすことには、理論的に見て明らかに問題がある。問題はそれだけではない。男性管理・事務職と女性事務職を同質の存在と見なした上で「新中間層が拡大した」とする見解には、女性事務職が賃金やキャリアの上では下層労働者であることを隠蔽し、女性差別を免罪する効果がある。
 そこで女性事務職を新中間層から除外すると、新中間層の就業人口に占める比率は1950年で11.2%、1990年では19.1%となる。確かに全体に占める比率は増加しているが、その増加率は被雇用者全体の増加率より低く、被雇用者に占める比率は低下している。その中で女性が占める比率は、1950年が10.4%、1990年は22.3%と増大してはいるが、依然として2割強にとどまる。「新中間層の拡大」という見解は、女性差別を無視することによって成立する言説だったのである。

(2)地位達成研究----移動構造の性差

 移動表分析とパス解析という二つのテクノロジーを駆使する社会移動・地位達成研究は、現代社会学における実証研究の花形ともいえる存在であった。しかしデータの制約もあり、これまで分析対象とされてきたのはほとんど男性のみである。日本では1985年SSM調査によって初めて女性についての分析が可能になったが、数少ない研究のいくつかは、女性は男性より移動率が高く、また父親の所属階層から受ける影響が小さいことを指摘している4)。仮にそうだとすれば、男性のみを対象とした従来の研究は社会移動量を過小評価し、出身階層の影響を過大評価してきたことになる。また社会移動量の趨勢についても、評価を誤っている可能性があろう。ここでは、移動表の基本的な分析で事実を確認してみよう。
 図表2.は、1985年と1995年の二回のSSM調査から、男女別に移動指標の趨勢をみたものである。男性の場合、事実移動率は変化していないものの純粋移動率は大幅に増加しており、その意味で産業化仮説は成立しているといえる。ところが女性では、もともと男性に比べて移動率が高く、しかも純粋移動率が不変、もしくはわずかに低下しており、その結果、純粋移動率の男女差は大幅に減少した5)。調査時点が最近の2時点に限られるので結論には慎重であるべきだが、次のことは確かだろう。

 所属階層が親の所属階層に規定されるメカニズムにはいくつかが考えられるが、その主要なものの一つは家業の継承である。ところが女性は男性のきょうだいがいない場合を除き、家業の継承を求められる可能性が小さい。したがって女性の方が、親の所属階層から自由になりやすい。しかし産業化とともに継承可能な家業を営む就業人口は減少するから、男性の場合には移動率が増加することになろう。ところが女性の場合には、もともと家業を継承する可能性が小さかったため、産業化が進んでも移動率が増加する余地が小さい。こう考えれば産業化仮説が、主に男性を想定した仮説だったということが分かる。

(3)農民層分解研究----女性労働力の軽視

 社会移動研究は、社会学だけで行なわれてきたわけではない。農業経済学では戦前から最近まで、農民層分解の研究が活発に進められてきており、その研究蓄積は社会学における社会移動研究をはるかに上回る。農民層分解研究では、社会学的な研究に比べると女性の問題に対して一定の注意が払われてきたといえる。たとえば野尻[1942]にはすでに男女別の分析があるし、センサスデータや農村調査に基づく研究の少なからぬ部分は、性別を考慮した分析を行なっている。
 しかし全体とすれば農民層分解研究も、ジェンダー・バイアスを免れていたわけではない。そのことは、研究の焦点が「あとつぎ」と「次三男」にあてられてきたことに、典型的に現れている。農業統計上の「あとつぎ」とは家の後継者を指し、この中には長男以外の男子も含まれる。ところが多くの研究は、「あとつぎ」を長男と前提して「次三男」と対照する方法を採ってきた。たとえば並木[1957]は、次三男は戦前期には学卒後の一定期間就農することが多かったのに対し、戦後では直接に農業以外の職に就く傾向が強まり、また「あとつぎ」の流出も増えてきたことから、近い将来日本の農家戸数と農業就業人口には基本的な変化が生じるだろう、と述べている。ここでの考察は、明らかに男性だけに向けられている。並木の予測は大筋において正しかったとは言えるが、それでも男性が流出傾向を強める一方で女性が農業労働力に占める比率が高まったため、農家戸数・農業就業人口はかなり長期にわたって高い水準に維持されてきたのである。
 その後日本の農業は、世帯主やあとつぎの農外就労が増加し、兼業農家の激増期を迎える。こうして農業労働力における女性の比率が高まることになるのだが、この時期にはこの変化を農業労働力の質の低下と規定する論文が続出する。たとえば佐伯[1968]は、農業就業人口の女性化傾向を指摘した上で、「高度な機械・技術を使いこなし、農業経営を質的に高度化してゆくためには、過去の伝統・因習にとらわれない、若々しい経営の担い手が必要であるが、一般的な女性化・老齢化の傾向はまさにそれと逆行している」という。畑井[1965]に至っては、日本の農業は「元来家庭の内にとどまるべき婦人を圃場に叩き出すことによって、農業の労力不足を何とか切り抜けようとした」のだ、という。いうまでもないことだが、戦前期・戦後期を通じて女性は、常に農業労働の主要な担い手だったのであり、戦前期でも農業就業人口の45%程度を占めていた(栗原[1943])。これらの見解は、こうした女性の農業労働力としての貢献を、完全に無視するものといわざるを得ない。
 したがって農民層分解研究においても、農家出身の女性たちがどのような移動を経験したかについての研究は限られる。ここでは1995年SSMデータを用い、主に戦後に学卒・就職を経験した世代について、簡単な分析を提示しておこう。図表3は、農家出身者の出生順位別階級構成表である。長男では農民層比率が23.6%と高く、他を大きく上回っている。しかし次三男も7.3%だから、それほど低いわけではない。それ以上に注目されるのは、長女・次三女の農民層比率がそれぞれ12.3%、12.0%にも達していることである。農家出身の女性が農民層の主要な供給源の一つだったことがわかる。移動先をみると、女性では労働者階級の比率が多く、男性では労働者階級と並んで新中間層の比率が大きい。こうして見ると、女性は労働者階級の主要な供給源であり、農民層分解過程の中心に位置していたことが分かる。

表3 農民層出身者の出生順位別階級構成(N=1402)

(4)学歴と社会階層の歴史社会学的研究----家父長制家族の前提

 近年、教育社会学では「歴史社会学」と呼ばれる領域で研究の蓄積が著しい。そのテーマは多岐にわたるが、ここでは学歴と社会階層に関する代表的な研究である天野[1991]を取り上げよう。この研究は兵庫県の丹波篠山をフィールドとして、文書資料の収集とともに丹念な聞き取り調査を行ない、庶民の生活世界への学歴主義の浸透過程を明らかにした労作である。しかし、そこには家父長制家族を自明の前提としたことに由来するいくつかの問題点がある。
 天野[1991]は研究の主題を4点にまとめているが、その一つが「女性にとっての学歴の問題」である。ところがそこに突然、「結婚こそが人生の最終的な目標とされた戦前期」という規定が何の根拠も示さずに導入され、これが研究の基調になっていく。したがって「問題はその結婚までの時間の過ごし方にある」と、考察の対象が義務教育修了から結婚までの約10年間に限定されることになる(天野[1991:13,95-97])。これを受けて吉田[1991]は、高等女学校卒業者の進路について検討した上で「高女卒業者は『家庭』『進学』『就職』のどの進路をとったとしても、数年後に待っていたのは『結婚』であり、専業主婦としての生活だった」6)として配偶者の職業の検討に移り、「高女出身者は学歴取得によって俸給生活者になった者と結婚することによって、旧中間階級から新中間階級へ、また、郡部からと市部へと移動していった」と結論する(吉田[1991:128,130])。
 果たしてそうであろうか。表4.は1995年SSM調査から算出した、高等女学校卒業者の結婚後の主職である。確かに無職が約半数を占めてはいる。しかし専門・管理・事務・販売職に就いた者の比率は23.5%に上り、決して少ないとはいえない。就業上の地位から見ると、家族従業者が21.9%と多いのは当然としても、経営者・役員と常雇一般従業者が13.2%、自営業主・自由業者が7.7%に上っている。高等女学校卒業者は決して専業主婦ばかりだったわけではない。ところが天野らの研究では、「女性=専業主婦」というそもそもの前提をおいたことから、女性本人についての事実の究明が結婚時点まででストップし、以後は所属階層が配偶者の所属階層に還元されてしまうのである。

 

 家父長制家族ということと関わって、もう一点指摘しておこう。広田[1991]によると、大正期までの農家ではあとつぎである長男に学歴は不要だとみなされ、進学させるのは次三男に限られていた。そして昭和期には長男も進学させる傾向が生まれるが、それはあくまでもあとつぎとなることを前提したものであり、昭和40年代になっても長男の学歴を抑制する傾向が一部にあった、という。果たして本当だろうか。
 図表5.は、農民層出身者の学歴を出生コーホート別・出生順位別にみたものである。確かに1910-19年生まれのコーホートでは、次三男の方が学歴が高いといえる。しかし中学以上への進学率の差は2倍程度であり、長男への学歴の抑制が支配的だったとはいえない。逆に1900-09年生まれコーホートでは、高小以上への進学率は長男の方が高い。全体的に見て、次三男の方が学歴が高いというのは、必ずしも一般的な傾向ではない。

 ただし、1955年SSMデータの学歴コードは、選択肢に実業学校・青年学校が含まれていないなど、信頼性に欠けると思われる部分がある。そこで、1965年SSMデータの新学歴コード)を用いて、農民層出身者の出生コーホート・出生順位と学歴の関係をみたのが表6.である。事実は明らかである。どのコーホートをとっても、長男と次三男に明確な学歴の差は認められない。χ2乗検定の結果では、いずれのコーホートについても、両者の差は20%水準で有意ではない。

 ちなみに戦後については、『農家就業動向調査』に付随して行なわれている「農家子弟の新規学卒者の動向」調査から、あとつぎ・非あとつぎ別の高校進学率・大学進学率を知ることができる。詳細については橋本[1998]に譲るが、1975年頃までは一貫して、高校進学率・大学進学率ともあとつぎのほうが高く、非あとつぎ男子の進学率はあとつぎのみならず女子をも下回っている。こうした事実の一部はすでに、中安[1965]が指摘していることである。
 また、農家の長男が一様に「あとつぎ」と見なされていたという想定にも疑問が残る。川島によると、「従来わが国では、長男単独相続制が全国農村に行なわれてきたかのように漠然と想定する考え方が支配している。しかし、これは事実に反する錯覚である」(川島[1957:71])。現実には分割相続や末子相続・姉家督相続などのさまざまな相続形態があったのであり、長男を自動的にあとつぎと想定することはできない。事実、粒来[1995]は、長男の単独相続は東日本では支配的であるものの、西日本では必ずしも支配的でなかったことを明らかにしている。また天野らが調査対象に選んだ兵庫県が、必ずしも長男単独相続の支配的な地域ではないと考える根拠はある。1950年代に全国各地の次三男の農業就業状況を比較した宮出[1956]によると、兵庫県では長男より次三男の就業日数が多く、むしろ次三男が農業の主要な担い手になっていた。学卒後の「お礼奉公」が衰退しつつあったこの時期に次三男が農業の中心だったというこの事実は、次三男のかなりの部分があとつぎ、あるいは分割相続者だったことを示唆するものである7)。
 天野らの結論とここで示した事実との食い違いの原因の一部は、丹波篠山地域の特殊性にあろう。じっさい天野は、この地域は「けっして代表的とも典型的ともいいがたい」と、慎重な態度を取っている(天野[1991:12])。しかし同時に、次のことを疑ってよい。それは、この研究には当初から、農村地域の家族は長男単独相続の直系家族であり、しかも妻は専業主婦だという前提があったのではないかということである。つまり長男中心の伝統家族と家事専担者のいる近代核家族のミクスチュアともいうべき特定の家族像、いわば伝統−近代複合型の家父長制家族が、研究の前提かつ分析の基本単位とされていたのではないか。この点に注意して読み返すと、聞き取り調査の結果の少なからぬ部分が、つねにこうした家族モデルの確認へと動員されていることが分かる。

3.ジェンダーと階層構造の理論化に向けて

 以上から、家父長制家族を所与の分析単位とし、また女性差別の問題を階層構造とは無関係と見なす理解が、階層研究の対象から女性を排除する結果を生みだしたこと、そして階層研究に多くの誤りや混乱、または事実確定の上での疑問を生じさせてきたことは明らかだろう。それではフェミニズムの主張に端を発したこの挑戦に、階層研究はどう答えるべきなのだろうか。これまでの研究を整理するとともに、私自身の見解を述べることにしたい。ただしこの領域で重要な研究を蓄積させてきたのは主にマルクス主義フェミニズムとマルクス主義階級論であり、記述は階級を中心とするものになる。

(1)分析の単位の問題

 分析の単位を家族と前提することが、多くの問題を生じさせることは明らかである。かといって、分析の単位をすべて個人とすることにも問題がある。所有の単位、あるいは消費=再生産の単位としての家族の重要性は大きく、そのために家族は、各家族成員の階層所属の効果を他の家族成員にまで波及させずにはおかないからである。
 Wright[1989]はこの問題が、階級所属が効果を発揮するメカニズムという、階級理論の最も基礎的な問題に関わるものであると指摘した。彼によると階級構造は「直接的な諸関係」と「媒介された諸関係」の両者からなり、家族は国家とともに、媒介された諸関係の主要な要素を構成している。そしてジェンダー関係は、この媒介された諸関係の構成的な要素である。この両者の相対的な重要性は社会によって異なり、女性は媒介された諸関係が重要な社会では夫の所属階級からの影響を強く受け、重要でない社会では自分自身の所属階級からの影響を強く受ける。その上で彼は、米国とスウェーデンの比較から、米国では媒介された諸関係が優越的であるのに対し、スウェーデンでは両者の効果が同等であると結論した。
 しかし両者の効果は社会によって異なるだけではなく、階級所属が影響する問題の領域によっても異なるはずである。たとえば賃金や労働時間は基本的に本人の階級所属によって決定されるが、全般的な生活水準は他の家族からの影響を強く受けるだろう。したがって我々は、個人単位の階級所属と家族を考慮した階級所属の二種類を、社会によって、また問題の領域によって使い分ければいいことになる。Duke & Edgell[1987]はこの両者をそれぞれREA(respondent economically active)、HALL(household all) と呼び、分析目的に応じて両者を使い分けるべきだ、とした。橋本[1989]の「個人的な階級所属」「家族と連接化した階級所属」、盛山[1995]の「階級状況」「生活様式状況」の区別も、これとほぼ同じアイデアによるものである。
 残る問題は、家族を考慮した階級所属をどのように判定するかである。伝統的アプローチは、その基準を自動的に男性世帯主においた。しかし多くの調査は、有職女性の意識や行動が夫との階級所属からはうまく説明できないこと、また夫の意識や行動も妻の階級所属に一定程度規定されていることを示している。この問題に対して一つの解答を示したのは、Erikson[1984]であった。彼は、@夫婦の一方しか職業を持たない場合は、職業を持つ方の階級所属を採用する、A両者とも同一の職業を持つ場合は、これをそのまま両者の階級所属とする、とした上で、妻と夫が異なる職業を持つ場合について、妻と夫の職業や労働時間から各々の階級所属を判定する複数の手続きを設定して説明力の比較を行なった。その結果、夫と妻のうち地位の高い方の階級所属を用いる方法(「優越性」モデル)の説明力が最も高いことが示された。この結論は、1985年SSMデータを用いた分析でも支持されている(橋本[1989])。
 この手続きによれば、専業主婦の階級所属は夫の階級所属と同一と判定される。また日本のように女性の職業的地位が低い現状では、大多数の家庭では夫の階級所属が妻の階級所属を決定することになる。だとすれば、男性を基準に置く研究方法にも、対象への第一次接近としてはそれなりの意味があるということになろう。ただし、スウェーデンのように平等度の高い社会では、その限りではない。「社会が家父長制的であればあるほど、正統派の理論はよく当てはまる」のである(Mann[1986:44])。この意味でも伝統的なアプローチは、家父長制家族を所与の前提とするものだったということがよく分かる。
 こうしてAckerの提起した第一の問題は、ひとまず解決をみたといえる。

(2)ジェンダーと階級構造

 第二の問題は、ジェンダーと階級構造の関係である。これについては大別して、3つの主張があるといえる。第一は「ジェンダー=階級」説、第二は「ジェンダー=階級所属決定要因」説、第三は「ジェンダー化された階級構造」説である。

A.「ジェンダー=階級」説

 女性と男性の間の経済的な支配-従属関係が一種の階級関係であるという発想は、Engels[1884]にすでに見られ、またMarx & Engels[1845-46]にも「妻と子供たちが夫の奴隷であるような家族」に階級関係の萌芽がある、とした記述がある。しかしこの主張が広範な支持を得るようになるのは、1960年代以降のフェミニズムの発展以降のことである。その中でも今日、最も広く知られているのはDelphy[1984]であろう8)。
 彼女によると、我々の社会には「産業制様式(industrial mode)」と「家族制様式(family mode)」という二つの生産様式がある。大部分の財は産業制様式で生産されるが、家内サービス、育児などは家族制様式で生産される。そして前者は資本制的搾取と、これに基づく階級関係を、後者は家父長制的搾取と、これに基づく階級関係を生じさせるのである(Delphy[1984:69-75])。Delphyの主張は上野[1990]の紹介によって日本でも広く知られるようになったが、まだ階層研究に影響を与えるには至っていない。これに対して欧米では、階層研究の分野でも一定の支持が見られる。たとえばWalby[1986]は、夫と主婦は「家父長制的生産様式(patriarchal mode of production)」の中で異なる階級的位置を占めており、既婚の有職者は資本主義的生産様式と家父長制的生産様式の両者に二重の階級所属を持つ、とした。
 近年の研究で注目されるのは、分析的マルクス主義(Analytical Marxism)と呼ばれる理論潮流9)から生まれたCarling[1991]である。この書でCarlingが行なったのは、ゲーム理論と合理的選択理論を援用しながら階級の基礎理論を開発し、その上でジェンダーと階級の関係を検討する作業である。彼によれば、階級とは「社会的生産力の所有の違いから生じた、社会的均衡状態における体系的な福祉の格差」のことである。この定義は一見すると従来の階級概念と大きく異なるように見受けられるかもしれないが、実はRoemer[1982]の行なったマルクス主義的階級概念の一般化をベースとしている。そして女性の賃金が男性より低い条件下で妻と夫が労働力の最適配分を行なうと、必然的に妻は主に家事労働、夫は主に賃労働という分業が生じ、しかも総労働時間は妻の方が長くなる。ここから彼は、ジェンダーは階級と見なされるべきだと結論した。
 以上のような「ジェンダー=階級」説は、既存の階層研究の理論装置に対して全面的に挑戦するものである。もしこれを受け入れるならば、階層構造の把握の仕方や階層所属の判断基準、分析手法などの大半が、大きな変更を迫られることになろう。しかしいずれの説明でも、女性労働者が低賃金・低地位の状態におかれる理由が直接には説明されない。資本主義的生産様式と家父長制的生産様式を区別して、前者を生産、後者を家族に位置づけてしまうと、前者の内部における女性差別の説明が困難になるし、Carlingの説明では女性の低賃金が所与とされている。また低賃金と家事負担は相互補強関係にあり、二つの階級規定を独立のものと見なすことには疑問も残る。ただしDelphyに関していえば、その主張の本来の意義は専門領域としての階層研究に対する批判というよりは、社会科学総体への批判、そして女性解放理論への貢献というところにあり、こうした問題点がその価値を減ずるものではない。

B.「ジェンダー=階級所属決定要因」説

 これはジェンダーを階級所属の主要な決定要因に位置づけるものである。これを最初に明確に主張したHartman[1981=1991]によると、マルクス主義は資本主義社会の階級構造を明らかにしたものの、「だれがどの場を埋めるのか説明することができない」。そして「ジェンダーや人種のヒエラルキーこそが、だれがどの空白を埋めるかを決定する。家父長制は単なるヒエラルキー的組織なのではなく、特定の人間が特定の場を占めるヒエラルキー」なのである。
 ただしこの立場は、おそらくは彼女の意図に反して、正統派の階級理論家がフェミニストの批判をかわすために利用されることになった。たとえばWestergaardは、「性による不平等は(人種による不平等と同様)かなりの部分まで階級的不平等を通じて表現され、その逆ではない。実際、女性は、その男性への従属の多くの部分を(全部ではない)……階級の経済的秩序の中の比較的低い立場に置かれることを通じて、体験する」(Westergaard[1993:105])という。つまり、まず階級構造や階級内部のヒエラルキーがあり、その上でジェンダーが所属階級や階級内で諸個人が占める位置を決定する、というのである。あくまでも主要なヒエラルキーは、階級構造の側にある。したがってこの立場に立つと、階級理論そのものを大きく修正する必要がなくなるのである(Young[1981=1991], Acker[1988])。事実、Westergaardが上のように主張したのは、ジェンダーやエスニシティの重要性を強調して階級理論の有効性を否定する議論への批判としてであった10)。
 しかしこの理解には疑問も大きい。Ackerが例示したように、貧困層や低賃金労働者の多くが女性によって占められているという事実は、女性が労働市場に参入することによって、それ以前には存在しなかったタイプの貧困層----女性下層労働者層が形成されたということを示唆する。女性の雇用労働への参入によって、階層構造は変化したのである。このことは、日本におけるパート労働者の増加を考えても明らかだろう。既婚女性がパート労働者として参入することにより、多くの男性労働者は雇用の安定と高賃金を享受するようになった。また多くの国では、事務職へ参入した女性たちが下層事務職層を構成するようになった結果、男性は上層ホワイトカラーの地位を保障されることになったといえる(Goldthorpe[1983], Abbott & Sapsford[1986])。

C.「ジェンダー化された階級構造」説

 このように考えると階級構造とジェンダーは、単にジェンダーが階級所属の決定要因の一つになるという外的な関係で結ばれているのではなく、構成的な関係にあるといえる。「ジェンダー化された階級構造(gendered class structure)」説は、この点に注目するものである。
 Mann[1986]によると、女性は多くの場合、ある階級の男性たちとその下位に位置する階級の男性たちの間の緩衝帯(buffer zone)に位置し、「準階級的分派(quasi-class fraction)」を構成している。その意味でジェンダーによるセグリゲーションは、経済的階層化の中心的メカニズムである。「階層はいまやジェンダー化されており、ジェンダーは階層化されている」のである(Mann[1986:56])。これを受けてAndes[1992]は、「諸階級は男性中心の階級と女性中心の階級とにセグリゲイトされている」という仮説をデータに基づいて検証し、肯定的な結論を得ている。この両者はいずれも先進社会を想定した議論だが、これに対してWerlhof[1986=1995]は第三世界の階級構造の分析から、性別と階級との対応関係がますます明確になり、その中で女性が最下層階級に位置づけられるとともに、男性の多くは支配階級の女性に対する支配を媒介する「中間階級」として現れる、と主張した。
 以上のような主張は、家父長制と資本主義的生産様式が、二元的システムを構成するというよりは「弁証法」的な関係(Werlhof[1986=1995:185])にあり、その総体が階級構造を決定している、とするものである。「ジェンダー=階級」説に二元論的傾向が強いことは、先述した。「ジェンダー=階級所属決定要因」説も、ジェンダーを階級構造外部の要因と見なす点で二元論の一種(ただし、階級構造の方が優越的な要因とされることが多い)であることに変わりはない。これに対して「ジェンダー化された階級構造」説は、こうした二元論を克服するとともに、実証的な階層研究にも豊富に示唆を与えるものといえる。

(3)「『ジェンダーと階層』研究」を超えて

 しかし「ジェンダー化された階級構造」という問題設定の意味することは重い。従来からある「『ジェンダーと階層』研究」という言い方は、「ジェンダー」と「階層」が外在的な関係にあることを前提としながら、階層所属や地位達成、社会移動過程などの男女差を検出しようとする試みを意味することが多かった。そしてその場合、同一の職業分類、同一の就業上の地位分類、同一の職業威信尺度が男性と女性に適用されてきた。しかし階層構造そのものがジェンダーと構成的な関係にあるならば、このような研究方法は通用しない。第一に階層構造の理論的な把握そのものの段階からジェンダーが考慮に入れられなければならないし、第二に階層所属を判断するための尺度構成自体が見直しの対象とならざるを得ない。この二点について今後行われるべき作業の簡単な見取り図を描くことで、本稿の結びにかえたい。
 階層研究の基礎的な変数としての職業の重要性は、動かしがたい。しかしながら従来の研究では、各職業内部は均質であり、同一職業であれば性別に関わらず同一の階層に含められると仮定してきたという問題があった。女性事務職を一般的に新中間層に含めることができないことは先に指摘したが、同様のことは他の職業にもいえる。販売・サービス職は、通常「準ノンマニュアル」と分類されるが、この中には管理職へつながるキャリアを持つ大卒男子の営業・販売担当者、接客サービス員から、女性パート店員までが含まれる。また専門職の中には、大部分を男性が占める高度専門職から、看護助手のように無資格で主に女性が就く職業までが含まれる。同一学歴・同一資格でありながら、実際の職務が男女で大きく異なることも多い。にもかかわらず既存の職業分類を機械的に当てはめることによって、従来の階層研究が男性と女性の格差の存在を曖昧にしてきたことは間違いない。
 その克服のためには、第一に職業を各階層に割り振るための基準を明確にし、第二に同一職業内・職場内性別職務分離についての分析11)を通じて、各職業の性格を男女別に明らかにするという二つの作業を行い、その上で各職業と各階層カテゴリーの対応関係を、男女別に特定すればよい。たとえばマルクス主義階級理論のように階級区分の基準を生産諸要素(生産手段と労働力)の統制関係に置くならば、各職業が生産諸要素の統制関係の中で占める位置を男女別に明らかにする作業を通じて、それぞれの所属階級を特定化できよう。この作業の過程では、既存の職業カテゴリーそのものの見直しも、必要になってくるはずである。
 フルタイム労働者以外の場合は、分析の単位を考慮することが必要になる。専業主婦は、家族単位においてのみ所属階層を持つ、各階層内の一カテゴリーと考えることができる。彼女たちは、たとえば労働者階級世帯主婦層、新中間層世帯主婦層、などと区分されよう。またパートタイム労働者は、個人単位では下層労働者でありながら、家族単位ではこれと異なる所属階層を持ちうる存在として把握することができる。こうした一連の作業を通じて、我々は専業主婦層を含む女性全体について、階層構造の中で妥当な位置づけを発見できるだろう。こうして所属階層が確定されれば、ジェンダーが共通の位置と利害をもつ「階級」と考えることが可能かという、先の問題に対してもアプローチが可能になる。
 ただし最後に付け加えなければならないのは、日本の現状では、このような研究が発展する可能性について楽観はできないということである。計量研究を得意とする階層研究者と労働過程分析を得意とする労働研究者の間には、ほとんど交流がない。そもそも階層研究者の数自体が不足している。確かに1995年SSM調査には多数の研究者が集まったが、その大部分は「階層研究者」というより「階層変数を使う社会学者」である。本来の専門領域を持つこれらの人々に、こうした膨大な作業を期待するのは酷というものだ。せめて研究会や研究成果の共有といったレベルで相互協力が進むことを願うとともに、ジェンダーに関心を持つ若い研究者の参加に期待したい。

[注]

(1)ここでいう「階層研究」とは、職業的地位・身分・階級など各種階層概念の上位概念としての、社会階層に関する研究すべてを指す。
(2)1961年に実施された「SSM主婦調査」では女性も調査対象に含められているが、対象地は東京区部のみである。分析結果は、安田[1971]に収められている。
(3)日本共産党中央委員会経済調査部[1965]にはすでに男女別階級構成表があるが、本格的な研究としてはSteven[1983]が最初である。
(4)橋本[1989]、今田[1990]を参照。
(5)男性と女性では職業構成が異なるので、今回のような父親と本人の比較では、女性で事実移動率が高くなるのは当然である。したがって男女比較の場合は、純粋移動率のみに注目すべきである。
(6)吉田がこのように結論した一つの材料は、昭和初期に行なわれた卒業生調査である。しかし有職率が20%以下ときわめて低く、しかもそのほとんどが近代セクターの被雇用者であることからみて、この調査ではもともと、自営・家族従業者が「有職者」と見なされていなかったようである。
(7)なお、1995年SSMデータによる集計では、農家男性の約4割までが次三男である。これについては橋本[1998]を参照。
(8)なおFirestone[1970]は、女性と男性の関係を階級関係と規定する点では同じだが、その基盤を両性の生物学的機能の違いに求めている。
(9)分析的マルクス主義とは、伝統的なマルクス主義理論の疑わしい仮説、たとえば弁証法や労働価値説といった仮説を放棄するとともに、数理的・論理学的・計量的方法などを大胆に導入して伝統的マルクス主義の難点を克服しようとする理論潮流で、経済学、社会学、哲学などの多くの領域で研究が蓄積され始めている。1997年には日本でも最初の研究組織として、アナリテイカル・マルクシズム研究会(http://www.toyama-u.ac.jp/~matsui/am/am.html)が結成されている。
(10)ただしWestergaardは後に、この説明は簡潔にすぎたとし、「性や人種の不平等は、それ独自の不平等を階級的不平等に付け加える」と、性による不平等の重要性をより明確にしている(Westergaard[1995])。
(11)たとえば木本[1995]は、その貴重な試みである。

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論文一覧