四万十川・足摺岬 (98/1/31)


最後の清流といわれる四万十川沿いを下り、土佐の小京都・中村から
海岸線を走って足摺岬を目指しました。




宇和町でみかけた解体車の山。
縦方向に10台以上積まれています。こ、こわいっ!


 今回は四万十川を通って足摺岬を目指しました。朝5時に松山を出発し、海岸沿いの 378号を南へ。長浜から内陸に入り、大洲から56号に合流。さらに南下して南国ムードの漂う宇和島から川沿いに交通量の少ない320号を東にひた走ります。広見町からは381号をさらに東へ行くといつもの「国民休暇県高知」の看板と共に高知県に入ります。


 沈下橋で四万十川を渡る


 

四万十川にかかる沈下橋


沈下橋とは欄干の無い橋のことです


沈下橋を渡る時に運転手席から見た光景
はっきりいって怖いです


 やがて日本で最後の清流といわれる「四万十川」がその美しい姿を現しました。江川崎から南の四万十川はすでに川幅は広く、深いエメラルドグリーンの川はそうとう深いようでした。川沿いの道は道幅が狭く、1.5車線が続きます。しばらく走ると岩間の沈下橋に着きました。沈下橋とは欄干の無い橋のことで、川が増水して水面が上昇すると川の中に沈みます。上流から運ばれた流木等が欄干にひっかかって橋が崩壊しない様に、この様な構造になっているのです。ここもかつて来たことがあるのですが、かなり高い所を渡してあり、さらに橋幅が狭いので渡ると結構怖いです。以前は自転車で通ったのですが、今回は車で通過してみます。岩間の沈下橋は沈下橋の中では大きい方の部類です。それでも橋幅は5m程しかありません。よそ見しながら走ると本当に落ちそうなので危険です。 四万十川流域には10数本の沈下橋が現存しますが、時と共に普通のものに架けかえられているといいます。


    

誰も居ない冬の灯台周辺は"MYST"な雰囲気がいっぱい


足摺岬は美しい断崖を持つ四国最南端の岬です


 さらに南下すると土佐の小京都・中村に着きます。321号に入り、他の川と合流し大河となった四万十川に併走して走るとやがて川は土佐湾に流れ込みます。川と別れて今度は海岸線を南下しました。途中、大岐の海岸は美しい白浜の海岸でした。人の居ない冬の海岸は足跡も無く、本当にきれいです。土佐清水市に入り、急勾配の多い足摺スカイラインを走ります。やがて道は足摺岬に到達しました。観光の岬である足摺岬は旅館が多くひしめいています。かつてジョン万次郎はここから漁に船出した後、遭難してアメリカの捕鯨船に保護されることになります。岬は浸食された美しい断崖ですがとても荒々しいです。7年前の自転車での四国一周は高松で始まり、ここ足摺岬で終わりました。何も変わらない風景が懐かしさを呼び起こしました。ここで丁度、正午になりました。
 土佐清水からは321号を今度は西に走ります。足摺サニーロードと呼ばれるこの道は交通量も少なく、美しい海岸沿いを走る快走ルートです。内陸に入ってもハイペースな2車線が続き、やがて宿毛市に入ります。交通量の多い56号で再び中村を目指し、今度は太平洋沿いに北上します。佐賀町からは海を離れると延々と山中の谷に沿って走り続けます。須崎からは交通量の多い56号を離れて県道を東へ。浦ノ内湾の南側の海にはさまれた尾根上のワインディングを走ると断崖から大きく太平洋を感じることができました。その後、高知に入り、今度は南国市から32号を北上し杉の大杉を目指します。5時すぎに大杉に着き、日本一の大杉を見ました。ここもかつて訪れて感動した場所でした。あの時は昼間とゆうのに不気味な感じがしていましたが、あの時にも増して今回は誰も居なく、夕暮れ過ぎたそこは3000年も生きた大木の落とす暗い陰に埋もれて寂しい感じがしました。
 道には雪が見えはじめ、大豊からは高速を使って山越えをし、川之江から11号で松山に戻りました。全行程650km、8時に到着しました。





今治 (98/2/7)


海上交通の都市・今治を一周する小旅行の記録です。




廃船となった"さんふらわあ号"


背の高い後ろの船は自動車運搬船です


今治は造船の街である


 その日は午後になり、晴れたので海岸沿いに今治を目指しました。午後3時に松山を出発して196号を北上。北条までは対岸に興居島や中島を望む美しい海岸沿いを走ります。興居島はみかんで有名な島です。みかんは太陽と潮風の多くあたるところで作られると甘くおいしいものができるそうです。島のみかんは一様においしいそうです。北条で市街地を抜けたあとは再び海岸線にでます。近くに瀬戸内海の島々を見ながら走り、太陽石油の巨大な備蓄基地を抜けるとやがて大西町に入ります。しばらく行くと突如として巨大な客船が砂浜の先に停泊しているのに出くわしました。太陽のマークが有名な「さんふらわあ号」です。大阪-松山間を結んで航行していたこの船も役目を終えたのでしょうか?錆がめだつ船体がまるでのようにゆったりと海原に浮かんでいました。この辺はとにかく巨大なタンカーが多く入港しています。
 そのまま海岸線を県道に入り波方町へ。岬を一周して今治に近づくと大きなクレーンが乱立する港が見えてきました。近づくとそこは巨大な造船港でした。大型タンカーや客船等がスケールアウトした風景の中で造られていました。今治港にはフェリーターミナルがあり、海上都市の雰囲気が感じられます。かつての城下町の中心であった今治城は海のすぐそばにあり、小ぶりながら風格のある姿を見せます。196号と平行に走る内陸の周桑今治広域農道は一直線のアップダウンの連なる、快走ルートです。そのまま南下すると丹原町で11号に合流します。半島を一周しても100km程度の短いコースですが、見どころ満載でした。