7月20日(日)教会学校中高科分級
「神に選ばれたダビデ」
暗唱聖句(サムエル記上16章7節)
「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
|
イスラエルの最初の王様サウルさんは、常識的で庶民受けする王様ではありましたが、神様に敵を皆殺しにしなさいと命じられたにもかかわらず、敵の王様を助けてしまったり、神の人(預言者)サムエルさんが約束の時間に遅れたので、神の人だけに許されるいけにえの儀式を代わりに自分でやってしまったりしたので、サウル王は神様の目にはかなう王様ではありませんでした。それで神様は新しい王様をお選びになります。今日の聖書を読んでみましょう。
聖書(サムエル記上16章)
16:1 主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」
16:2 サムエルは言った。「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、
16:3 いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」

David the Shepherd
少年ダビデ |
16:4 サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」
16:5 「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。
16:6 彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。
16:7 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
16:8 エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」
16:9 エッサイは次に、シャンマを通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」
16:10 エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」
16:11 サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」
16:12 エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」
16:13 サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
16:14 主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。
16:15 サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。
16:16 王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」
16:17 サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」
16:18 従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉 に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」
16:19 サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」
16:20 エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。
16:21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。
16:22 サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」
16:23 神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。 |
言葉の意味
1節 角に油を満たして・・・祭司が油を王となるべき者に注ぐのが、王となるための儀式。
2節 サウルが聞けばわたしを殺すでしょう・・・サウル王を首にするためにベツレヘムへ行くのがばれてしまうということ。
2節 いけにえ・・・農耕民族である日本人が、神様に米や畑の作物をお供えするように、牧畜民族は神様に家畜をお供えします。これを生贄(いけにえ)と言います。イスラエルの人たちは羊や牛をお捧げしていましたが、異教徒は人間を捧げる(人身御供・ひとみごくう)習慣もありました。もちろん日本人がお宮のお下がりをいただくように、供え物の羊や牛もあとでみんなで食べる楽しみもありました。
4節 不安げに出迎えて・・・泣く子も黙る超VIPの神の人サムエルさんが予告なしで来たので、町の人たちは恐れました。きっと今の私たちもそうであるように、当時のベツレヘムの人も、神様の前に正しくないことをしているという自覚があったのでしょう。
14節 主から来る悪霊・・・今でいうところの心の病気のこと。昔は医学や心理学が発達していませんでしたので、心の病気は悪霊のしわざだと考えられていました。現代の指導者が皆そうであるように、当時のサウル王も相当のストレスがあったのでしょう。
考えてみましょう
@ 6,7節を読みましょう。サムエルと神様の見方の違いはどんなところにありますか。
A この世の判断は、人の見かけや学歴や社会的な地位や経済力を基準にしていますね。実際、教会で特別伝道会の先生をお招きするときでも、その人の経歴や地位や評判が気になるところです。まさに今日の暗唱聖句の「人は目に映ることを見る」というみ言葉のとおりですが、皆さんはどうですか。また、そのことについてどう思いますか。
B 「だれも私の本当の気持ちなんてわかってくれない」と思ったことがありますか。あなたの心をわかってくれる人は、本当にだれもいないのでしょうか。
(聖書参照 ルカによる福音書 12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」)
C 「神様が心の内側をごらんになる」と聞いて、どう感じますか。
(聖書参照 ルカによる福音書 5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」)
 |
今週の祈り
「神様。私たちの心を見ていてくださることを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」
|
|