エマオ途上のイエス様と2人の弟子

4月27日(日)教会学校中高科分級
「エマオに向かう道で」

暗唱聖句(ルカによる福音書24章31節)
二人の目が開け、イエスだと分かったが、
その姿は見えなくなった。

 先週はイエス様がご復活されたことをお祝いするイースターでしたね。たまご探しは楽しかったですね。いくつ見つかりましたか。
 しかし教祖様が神を冒涜した罪で処刑されてしまったので、残されたお弟子さんたちは大変なことになりました。また、この日の朝、弟子仲間の婦人たちが『イエスは生きておられる』と報告したことで、お弟子さんたちの混乱は極限に達したでしょう。確かにイエス様は三日後によみがえると話しておられましたが、イエス様はよくたとえでお話になりましたから、ほんとにイエス様はよみがえられたのでしょうか。なにか別の意味でしょうか。そもそもしかと死亡を確認された人が、よみがえったなんて聞いたことがありません。
 その日、さびしく田舎へ旅立つ、二人の弟子がいました。イエス様が処刑された以上、このままエルサレムにいては、いずれ弟子たちも逮捕されるかもしれないと考えたのでしょうか。今日の聖書を読んで見ましょう。

聖書(ルカによる福音書24章13〜35節)

24:13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
24:14 この一切の出来事について話し合っていた。
24:15 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
24:16 しかし、二人の目は遮(さえぎ)られていて、イエスだとは分からなかった
24:17 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。
24:18 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
24:19 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
24:21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

24:22 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、
24:23 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。
24:24 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
24:25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
24:26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
24:27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった
24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
24:33 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、
24:34 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
24:35 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

言葉の意味

13節 この日・・・イエス様がよみがえられた日。日曜日でしたが、当時の安息日は土曜日でしたので、旅行は禁じられていませんでした。 スタディオン・・・1スタディオン=約185m エマオ・・・場所についてははっきりわかりませんが、エルサレムの西北だと考えられています。
16節 イエスだとは分からなかった・・・先週の聖書箇所にはありませんが、ヨハネによる福音書の並行箇所に、その日の朝墓を見に行ったマグダラのマリアが、復活したイエス様を最初「園丁(庭師)だと思って」とあります。(20:15)よみがえられたイエス様は、生前とどこか違う容貌だったようですね。
21節 イスラエルを解放・・・イエス様が生前に「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになったことがありました。弟子たちは「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」と答えました。(ルカ9:18-19) イエス様が何者であるかということは、弟子たちの間でも見解の相違があったようです。ここの弟子クレオパなど、イスラエルを(ローマの占領から)解放するユダヤ人の王と現実的に考える人もいたようです。
30節 賛美の祈りを唱え、パンを裂いて・・・当時の食卓の主人がする習慣。この日二人の弟子の目的の村に弟子たちがしいて勧めたので、イエス様も一緒に泊まることになったという状況ですから、イエス様は客のはずでしたが、エマオ途上の会話から、二人の弟子はイエス様と認めることができなかったまでも、ただならぬ人であるとわかったので、弟子がイエス様に主人役をお願いしたのでしょう。
31節 見えなくなった・・・ヨハネによる福音書20章19節によると、このあとすぐにイエス様は、エマオから60スタディオン(約11km)離れている、エルサレムの弟子たちに現れたとあります。復活後のイエス様は瞬間移動できたのですね。
(ヨハネ20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。)
34節 シモン・・・ペトロとも呼ばれるイエス様の一番弟子。

考えてみましょう

@ 17節に「二人は暗い顔をして」とあります。この二人のお弟子さんたちは、婦人たちが報告したイエス様のご復活について、どのように思っていたのでしょうか。

Aイエス様の十字架と復活について、聖書に預言されている箇所を開いてみましょう。
(例 イザヤ書53:5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 詩編16:10 あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず 16:11 命の道を教えてくださいます。)

B 今日の暗唱聖句に「二人の目が開け」とありますが、みなさんもこのように目を開かれる経験をしたことがありませんか。現代において、私たちの心に霊的な悟りを与えてくださるのは、どなたですか。

今週の祈り

「神様。エマオのお弟子さんの目を開いてくださったように、私の心の目も開け、イエス様が見えるようにしてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」

今週の讃美歌3編5番
「ガリラヤの風かおる丘で」

1.ガリラヤの風かおる丘で/ひとびとに話された/恵みのみことばを/わたしにも聞かせてください。
2.あらしの日波たける湖(うみ)で/弟子たちをさとされた/ちからのみことばを/わたしにも聞かせてください。
3.ゴルゴダの十(じゅ)字架の上で/つみびとを招かれた/すくいのみことばを/わたしにも聞かせてください。
4.夕暮れのエマオへの道で/弟子たちに告げられた/いのちのみことばを/わたしにも聞かせてください。
このプリントはインターネットでも見れます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach
教会学校分級のコーナーです。教会学校に来れない時も読んでね。
わからないことがあったら聖書質問コーナー
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