2月9日(日)教会学校中高科分級 「放蕩息子のたとえ」
暗唱聖句(ルカによる福音書15章10節)
一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。
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クリスマスで放蕩息子の人形劇をやりました。皆さんお疲れ様でした。中学生や高校生の皆さんは、毎日の勉強やクラブ活動にあきあきして、お金があって、どこか遠い知らないところに行って、自由に暮らせたら、どんなにいいことだろうかって考えませんか。私も浪人してたころ、図書館へ行く電車を待っていると、隣のホームにいつも長野行きの特急が停まってて、あれに乗って、遠いところへ行けたら、どんなに幸せだろうかと思いました。
今日の聖書のお金持ちの家の放蕩息子は、ほんとにそんなこと考えて、実行してしまいました。さあどんな楽しいことが待っていたのでしょうか。聖書を読んでみましょう。
聖書(ルカによる福音書15章)
15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。
15:4 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
15:5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
15:6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:7 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。
15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 15:24
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 |

The Return of the Prodigal Son - Rembrandt |
言葉の意味
1節 徴税人や罪人・・・当時のイスラエルはローマ軍に支配されていましたので、この徴税人とは、ローマ軍に雇われて税金を取り立てているイスラエル人として、敬虔な人からは、非国民と言われて罪人扱いされ嫌われていました。
2節 ファリサイ派・・・律法学者とともに、熱心にお祈りし、毎日聖書を読み、神につかえる生活をしている愛すべき人たちでしたが、一方潔癖症で、神につかえないで、偶像礼拝していたり、不純交際に走る人たちを、罪人とののしり悪口を言ってましたので、たいそうイエス様に嫌われていました。
8節 ドラクメ銀貨・・・ギリシャの銀貨でデナリオンと等価。1デナリオンは約1日分の賃金に当たります。
16節 いなご豆・・・イスラエルでは家畜用に普通に栽培されていて、人の高さにもなるそうです。(右図)
考えてみましょう
@ 18節と21節で二度も「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。」とあります。この放蕩息子は、どんな罪があると考えたのでしょうか。
(発言例:不品行の罪、働かない罪、家財を食いつぶす罪などです。)
A 25節以下の兄とは、イエス様がファリサイ派や律法学者にあてつけています。教会の中にも、お祈り熱心で祈祷会も出ていると自慢したり、毎週礼拝に出てこない人を非難したり、献金をもっとしましょうと発言したり、偶像礼拝してる人を非難しているファリサイ派の人がいるとは思いませんか。そんな人はどうやって懲らしめたらいいのでしょうかねえ。(笑)
(発言例:ファリサイ派の人を非難すると、人間関係が悪くなりますから、父親が言っているように、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」とやさしく言ってあげるのがいいと思いますよ。)
今週の祈り
「神様。わたしが間違った時も、わかるまでずっと待っていてくださいますからありがとうございます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」
1.地に住める神の子ら/帰り来(こ)よ主の道に/ためらえる思い捨て/み招きに従いて/いさぎよく主に帰れ。
2.地は清く人みなは/み恵みに生(い)くべきを/他(あだ)し夢えがきては/代々(よよ)の国滅びゆく/世の民よ主に帰れ。
3.人皆の主にありて/結ばるるその日まで/み旨地にならざれば/罪を悔(く)い贖(あがな)われ/世をあげて主に帰れ。 |
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