9月15日(日)教会学校中高科分級 「教会での主日礼拝」

暗唱聖句(詩63編5節)
命のある限り、あなたをたたえ/手を高く上げ、御名によって祈ります。

 今日は敬老の日ですね。教会にはお年寄りの方がたくさん見えますね。どうしてかというと、今から60年くらい前に日本がアメリカと戦争して、負けてしまったので、日本は間違った神様を信じているから、アメリカに刃向かうのだということになって、アメリカから、多くの牧師や宣教師が日本に来て、キリスト教を布教したのです。ですから、その頃イエス様を信じた若者が、お年寄りになって、そろそろ天に召されようとしているのです。では、アメリカにはどうやってキリスト教が伝わったのでしょうか。そんなことを考えて、歴史をさかのぼって見ますと、約2000年前に、最初のキリスト教会が誕生した時にまで、さかのぼることができます。
 今日はその2000年前に、最初のキリスト教会ができたときのお話です。はじめての教会では、どんなことが行われていたのかな。やはり讃美歌を歌ったり、お祈りしたり、聖書を読んだり、牧師先生の長い説教を聴いていたのかな。今日の聖書を読んでみましょう。今日のお話は、いつもペンテコステの日(イースターから1ヶ月余りたった頃)にお話しているところです。

初期のキリスト教会の礼拝の様子(想像図)

聖書(使徒言行録2章37〜47節)

2:37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。
2:38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦(ゆる)していただきなさい。そうすれば、賜物(たまもの)として聖霊を受けます。
2:39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
2:40 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。
2:41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わりパンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
2:43 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業(わざ)としるしが行われていたのである。
2:44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、
2:45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
2:46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、
2:47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

言葉の意味

37節 これを聞いて・・・イエス様が復活されてから50日目に、聖霊がお弟子さんたちに望みました。ペトロは、イエス様が神の子であり、十字架に掛って復活されたことを力強く証します。そのペトロの説教のことです。(2章の前半に書いてあります。)
38節 聖霊(せいれい)・・・神様の一種で、イエス様を信じる人たち、一人一人に宿る、守護霊のようなもの。困ったことや悩み事があったときに、指導してくださいます。
40節 邪悪なこの時代・・・当時のイスラエルは、ローマ帝国の植民地支配下にあり、ローマの闇と邪悪に満ちていました。
41節 洗礼(せんれい)・・・イエス様を信じた印に、新米信者の頭に水をかけたり、水の中に沈めたりする(もちろん一瞬です。長く沈めておくと、死んでしまいます。)儀式のこと。
42節 交わり・・・交わりとは、いやらしい意味ではなくて、キリスト教用語で、クリスチャン同士が仲良くすることです。 パンを裂く・・・バンを裂いて、困っている人にも皆、分け与えること。
43節 不思議な業・・・ペトロさんたちは、イエス様から教えてもらった、病気を超能力で治したり、悪霊を追い出したりする術を持っていましたが、ここでは、44節以下の、いわゆる原始共産制のことを言っているのでしょう。もちろん、だれも働かないで、信者の生活費は新米信者が財産を売ってまかなうという、当時としては奇抜なアイデアは、ねずみ算式に新米信者の勧誘を必要とするので、すぐ破たんしました。ですから原始共産制は、初代教会だけの特質です。
46節 神殿に参り・・・最初のうちは、お弟子さんたちは、自分たちは新興宗教をやっているという自覚はなかったので、ユダヤ教のエルサレム神殿にお参りしていました。しかしだんだん、正統的ユダヤ教を信じる人たちとの関係が気まずくなり、また新興宗教をやってしまったのだという自覚がでてきたので、次第に独自のキリスト教会の会堂を設けて、そこで礼拝するようになりました。
47節 救われる・・・これもキリスト教用語です。クリスチャンはイエス様を信じた人だけが救われて天国へ行けると考えています。そうでない人、つまり救われない人は、死んだら地獄へ落ちるか、よくわからない所へ行くと考えています。

考えてみましょう

@ 38節でペトロさんは、「悔い改めて、(神様に)罪を赦していただきなさい。」と言いましたが、ペトロさんにはどんな罪の意識があったでしょうか。
(発言例:マタイによる福音書26章に書いてあるように、ペトロさんは、イエス様が捕まったときに、三度もイエス様を知らないと言いました。)

A 41節以下には、初代教会の様子が書かれています。今の教会と似ていることと、違っていることをあげましょう。
(発言例:似ていること・・・洗礼を受ける。使徒(牧師)の教えを受ける。相互の交わり(礼拝後の歓談)。パンを裂く(聖餐式)。祈ること。神殿に参る(教会に集う)。家ごとに集まる(家庭集会)。一緒に食事をする(愛餐会)。神を讃美する。など
違っていること・・・使徒たちの不思議な業(今の教会の牧師に、超能力で病気を治してくれなどとお願いするのは、無理でしょう)。すべての物を共有し、それを分け合った(今の教会では、困っている人を助けなさいと勧めていますが、信者に財産すべてを寄進しなさいと言っているわけではありません)。聖書を読むことについて書かれていない(昔は祭司や知識層を除いては、文字が読めなかったので、多分聖書は読んで聞かせていたのでしょう)。など)

お知らせ

今日の大人の礼拝(10時半より)は、敬老の日礼拝です。おじいさん、おばあさんをさそって来てね。プレゼントがあります。

今週の祈り

「神様。イエス様は私たちの救い主です。最初の教会の人たちのように、心から神様を礼拝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」

今週の聖歌451番
「われ知る、かつては」

1.神なく望みなく/さまよいし我も/救われて主をほむる/身とはせられたり/
(おりかえし) われ知るかつては/めしいなりしが/めあきとなり神を誉(ほ)む/今はかくも。

2.かつては罪のため/心は曇りて/迷いしが今は目も/全(また)く開きたり/
3.栄えの君にます/主は我にとりて/わが誇りわが望み/またわがすべてぞ/
4.なさばやこの一事(いちじ)/あとのもの忘れ/さきのもの望みつつ/勝利をうるまで/
(おりかえし めしいなりしが/めあきとなり→目みえざりしが/めをひらかれ と読み替えにご協力ください。)
このプリントはインターネットでも見れます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach
教会学校分級のコーナーです。教会学校に来れない時も読んでね。
わからないことがあったら聖書質問コーナー
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach/dengon7/dengon.htm
にどんどんカキコしてね。子ぎつね先生がお答えします。