
7月7日(日)教会学校中高科分級
「十戒」@ 唯一の神
暗唱聖句(出エジプト記20章3節)
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
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今月は、また旧約聖書に戻って、「十戒」(十のいましめ)のお話です。十戒というのは、昔々イスラエルにモーセさんという偉大なる政治的宗教的指導者がいまして、そのころイスラエルの人たちは、飢饉をさけて、エジプトに移住してたのですが、エジプトの人たちの好意に甘えて、飢饉が終わっても、本国に帰らなくて、エジプトに居着いてしまいました。エジプトの人たちは、本国に帰らないのなら、そのうちに帰化して、エジプト人になってくれるかな、と期待してたのですが、100年たっても、200年たっても、イスラエルの神を拝んで、エジプトの神々を拝む気配もありません。人口もどんどん増えていきます。エジプト人たちの辛抱も限界に達して、エジプト王はだんだんイスラエル人に重い労役を課し、いじめるようになります。しかしイスラエル人は、重い労役にも耐え、ますます人口が増えていきます。
で、エジプトとイスラエルの双方の緊張が頂点に達したとき、イスラエルの神は、偉大なる指導者モーセに命じて、イスラエルの民をエジプトから脱出させ、本国に帰させます。しかし、何百年前に比べて、イスラエルの人たちは何百倍にも増え、そしてもちろん、捨ててきた本国の土地には、よその人たちが住み着いてしまっていますから、本国に戻ると言っても、容易なことではありません。要するに現代の言葉で言う、侵略戦争をしかけるしかないのです。侵略戦争には当然道義的倫理的責任が生じます。イスラエルの神は難しい判断の選択に迫られます。
ということで、エジプトを脱出したイスラエルの民は、本国に戻りたくても、なかなか戻れないで、シナイの砂漠をウロウロさまよっているときに、ホレブという山で、モーセは神様から、十戒という、十のいましめの書いてある、石の板をいただきました。それには何とかいてあったでしょうか。今月は、十戒のお話をします。
しかし、そのまえに、「どうしていまでもパレスチナで、血なまぐさい抗争を繰り返しているイスラエルの神が、われわれと関係があるのか」と不審に思われる方もおられると思いますので、イスラエルで史上最も偉大な王様ダビデ王の読んだ、自然を詠った名句(詩19編)がありますので、それを読んだ後に、今日は十戒の序文と第一戒をみてみましょう。
聖書1(詩19編)
19:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
19:2 天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
19:3 昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
19:4 話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
19:5 その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
19:6 太陽は、花婿(はなむこ)が天蓋から出るように/勇士が喜び勇んで道を走るように
19:7 天の果てを出で立ち/天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。
19:8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
19:9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え/主の戒めは清らかで、目に光を与える。
19:10 主への畏(おそ)れは清く、いつまでも続き/主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
19:11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく/蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
19:12 あなたの僕(しもべ)はそれらのことを熟慮し/それらを守って大きな報いを受けます。
19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪から/どうかわたしを清めてください。
19:14 あなたの僕を驕(おご)りから引き離し/支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ/わたしは完全になるでしょう。
19:15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。
聖書2(出エジプト記20章1〜3節)
20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 |
言葉の意味
詩19:5 幕屋(まくや)・・・仮小屋とかテントという意味ですが、ユダヤ教では、十戒の板などを安置する、神の住まわれる聖なる幕屋という意味もありました。もちろん数千年前のことですので、今は十戒の板など紛失してしまってありません。
19:6 天蓋(てんがい)・・・新婚初夜で使う屋根とカーテンのついたベッドのことでしょうか。
19:8 主(しゅ)・・・神様のこと。新約聖書ではイエス様のことも主といいます。
19:15 贖い主(あがないぬし)・・・もともと贖うという言葉は、借金のかたに取られた土地を近親者が買い戻したり、戦争で捕虜になった同国人を、お金で買い戻すことを意味していました。転じて、ユダヤの教えでは、人間は生まれつき罪を犯す性質を持つ、罪人であるという性悪説があり、神様が罪の牢獄につながれている人間を解放して善人にしてくださる、という教えになりました。したがって贖い主とは神様のことです。
考えてみましょう
@ クリスチャンは仏像にお参りしたり、神棚に手を合わせたりはしませんが、自然をこよなく愛し、観察し研究します。自然は神様のお造りになったものだから、自然を観察し、研究すれば、神様のみこころが理解できると思うからです。それも物理学者や化学者のように望遠鏡や顕微鏡や薬品を使わないで、多くのクリスチャンは、自分の目や耳や感覚だけで、自然を観察し研究するのを好みます。虫眼鏡くらいはOKですが。神様からいただいた目や耳だけで、自然を観察し研究するほうが、機械なんか使うより、もっと直感的に理解できると思うからです。
詩19編を読んでみましょう。ダビデさんもすぐれた自然観察者で詩人てしたね。皆さんは夏休みに、山や海に行く計画はありますか。教会学校でも、今年は神奈川県の藤野というところへキャンプに行きますよ。自然を観察して、何か新しいことを発見したら教えてくださいね。
A 今日の暗唱聖句を読んで見ましょう。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」と神様がおっしゃったのは、あなたが神様の大切な子供であることを知ってほしいからです。神様はあなたのことを愛しておられます。イザヤ書49章15-17節を読んでみましょう。
(イザヤ49:15 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。
49:16 見よ、わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある。
49:17 あなたを破壊した者は速やかに来たが/あなたを建てる者は更に速やかに来る。あなたを廃虚とした者はあなたを去る。)
お知らせ
きょう、午後2時から、子ども会があります。中高生もよかったら手伝ってね。
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今週の祈り
「神様。この世界をつくり、私たちを愛してくださっている神様はあなただけです。まことの神様を信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」
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