
死海に浮かぶ塩のかたまり(そんなばかな) |
6月2日(日)教会学校中高科分級
「地の塩、世の光」
暗唱聖句(マタイによる福音書5章14節)
「あなたがたは世の光である。」
(はじめに) 今週は、先週の山上の垂訓(教え)の続きです。みなさんは塩と砂糖ととちらが好きですか。どちらも、取り過ぎると病気になりますが、お料理に大切なものですね。特に少量の塩は人間が生きるために、欠くことができません。お砂糖はなくても生きられますが。
みなさんは、夜、真っ暗な林の中の道を歩いたことがありますか。脇にそれないように目を凝らしながら、ゆっくりゆっくり歩いていって、やっと木が途切れて、町の明かりがさしてくると、ほっとしますね。
今日はイエス様が皆さんのことを塩や光にたとえて話してくださったお話です。
聖書(マタイによる福音書5章13〜16節)
5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
英語訳 (NKJV)
5:13 "You are the salt of the earth; but if the salt loses its flavor,
how shall it be seasoned? It is then good for nothing but to be thrown
out and trampled underfoot by men.
5:14 "You are the light of the world. A city that is set on a hill
cannot be hidden.
5:15 "Nor do they light a lamp and put it under a basket, but on a
lampstand, and it gives light to all who are in the house.
5:16 "Let your light so shine before men, that they may see your good
works and glorify your Father in heaven.
言葉の意味
13節 イエス様の時代、死海のほとりの塩は、精製せずに砂の混じった状態で売られ、主婦は塩の部分だけ使い、残った砂は、道に棄てたといわれています。
15節 升(ます)・・・バスケット(かご) 燭台(しょくだい)・・・ランプスタンド(ろうそく立て)
16節 天の父・・・神様のこと。イエス様は神様の子であられるから。
考えてみましょう
@ 塩にはどういう性質がありますか。(何のために塩を使うか考えてみましょう。)
(発言例)
i) 少量の塩を、サラダやスイカにかけて食べると、とても美味しいです。体が塩を必要としているからですね。(でもお砂糖は脳が必要としているそうです。頭が働かなくても、人間は死にはしません。ですからお砂糖は生存に不可欠なものではありません。)
ii) 日本では塩は食べ物を保存するのに使います。しょうゆや味噌にも、塩が入ってますから、冷蔵庫がなくても平気なのですね。梅干やお漬物や、魚の干物なんかが塩辛いのも、塩を入れて保存してあるからですね。(お砂糖でも保存できますね。ジャムやマーマレードなど。きっと大量の塩や砂糖は人間の体に悪いから、ばい菌の体にも悪いのでしょう。)
A 「地の塩」として生きるとは、どういうことでしょう。自分のことばで言い表しましょう。 |
(発言例)
i) 大量にあると害になるが、少しの塩は人間の生存に欠かせないように、「地の塩」として生きるとは、目立たないけれど、社会になくてはならない働きをすることだと思います。
ii) 社会は水の流れに似ていると思います。社会がうまく回転してさらさら流れていると、とても綺麗ですが、いったん社会の活力が滞り、うまく流れなくなると、水の流れのように、濁って腐って悪臭を放つようになります。「地の塩」として生きるとは、社会の滞って活力を失った所に出向いて、腐らないように、保存して、再びきれいな水が流れてくるのを辛抱強く励まして待つことだと思います。
B 頑張って努力するなら、「世の光」として輝くことができるのでしょうか。
[ヒント:聖書参照]エフェソの信徒への手紙 2:10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
コリントの信徒への手紙二 2:14 神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。
2:15 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
C 今日の個所で、すこし気をつけなくてはならないことがあります。それは目だちすぎてはならないことです。塩もかくし味程度に少しだけ使うなら、料理の味を引き立てますが、塩を入れすぎると、かくし味どころか、塩の味を主張するようになって、しょっぱくて食べられません。「世の光」も同じことです。わたしたちにできることは所詮、暗闇を照らすランプの弱い光です。原爆のように強い光を放ってはなりません。それは神様や太陽だけに許されることですから。わたしたちは自ら光るのではなく神様の光を反射する月のような小さな存在であることを忘れてはなりません。そうしないと嫌味なクリスチャンになってしまいますから。 さいごにイエス様がこの章に続く6章でおっしゃっていることも少し読んでみましょう。
(マタイによる福音書 6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。
6:6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
6:17 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。 6:18 それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。)
今週の祈り
「神様。小さなわたしも、地の塩、世界の光になることができますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」
お知らせ
先々週のバザーでウエイトレスや売り場で手伝ってくれた皆さん、お疲れ様でした。小学生のお友達が作ってくれた、毛糸のたわしも飛ぶように(とはおおげさだが)売れましたよ。
先週のチャペルコンサートも、晴天で絶好の行楽日和だったにもかかわらず、40人近くの出席者がありました(わたしの目算の人数。公式発表は40人を超えるかも)。これも感謝です。バザーにこられた初めての方が、チャペルコンサートにもいらっしゃって、うれしかったです。
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